さて、
原作も映画もいままでのドラマも知らないままに見た「砂の器」。

むかーしなんとなくテレビで眺めた記憶が端々に蘇って
あ、こういうストーリーだったかも、と記憶を解凍させながら見ました。

この原作、新聞に一年間連載されてた小説なんですね。ジャンルとしてはサスペンス?人間ドラマ、推理小説、社会派問題作……
それらすべての要素を贅沢にとりこんで手練の書き手が描ききったからこその名作なんでしょう。
設定は昭和35年。まず、昭和のかほりが全編において濃く演出されてましたね。特に電車、汽車の車体等にはこだわったといいます。ここらへん、マニアな方にはたまらない映像だったことでしょう。玉木君の熱演はもちろんのこと、背景とか舞台のこだわりっぷりを見て、これが無事放送されてほんとによかったと思いました。何しろ放映直前までやっぱり地震がきてましたからねえ。

さて小林薫氏、まったく無理のない渋くて自然な演技です。そして西村さん演じる熱いウザイ田島警部と女性記者、山下洋子。陰影で言えば陰の多いこのドラマに陽と動きを与えてくれてました。蔵さんの演じる和賀、正体不明で飄々としている、という彼の持ち味を生かして、しかもぎりぎりで生きている芸術家の多面性を、薄そうな顔の皮の下に感じさせるさすがの演技でした。
全体に人物描写はくどくなく、割りとサラッとしてる感じでした。まあ、原作に比べて尺もないことですが。
そんななかで、当初の印象では、一番体温高そうで濃いキャラが若手の玉木・吉村刑事でしたね。
意気込みはあるけど女の押しに弱そうなところ、割と感激屋さん、先輩刑事を慕う素直さ。
主人公としてはわかりやすくはいりやすいタイプなんだけど、これはこれでいいのか?という一抹の不安がむくむくと。
いつも「重厚」がお約束(らしい)の松本ドラマの主人公としては、キャラ設定がライトすぎない……?
そして玉木君、どう見てもただの頑張りにーちゃんには見えません。
見た目が無駄にかっこいい、堂々としてて貫禄ありすぎじゃないですか。なんですかあのオーダースーツの似合いっぷりは。なんですかあの渋さは、あの周囲から浮きまくるモデルみたいな容姿は。
私は前に、玉木君のルックスがこのドラマに必要なのか、何を求めてキャスティングされたのだろう、と書いておそらく一部の方に顰蹙を買ったと思うんですが(内部顰蹙ですね)
使うなら彼の持っているモノを使い切ってほしかったんですよ。
でやっぱり、特徴的すぎる見た目がある意味余計な要素になっている気が……
一部でも言われてましたね。
あんなかっこいい刑事あの時代にいない、彼だけ昭和と違う、ただの刑事にはイケメンすぎる。
で、誰に対しても説得力のあるその容姿と、わかりやすい頑張り屋さんという親しみのある役柄がどうもぴったりこない、という違和感が前編はまあ、正直あったんですよね。
(演技もわかりやすい表情演技が多かったし)
でも、後編ではその辺の帳尻があってきたように思いました。
空襲での暗い記憶。悪いことばかりやってギラギラして生きてきた過去。その負の記憶が、和賀のもつ無垢と影と悪に共鳴して、それはそのまま彼の曲への共感と理解へと流れこむという。
(和賀はやすやすと共鳴した気分になるなと拒否してましたけどね)
正直、私は推理小説の謎解き部分はあまり興味がないんですよね。新聞小説だから、真相に迫ってゆく過程のスリリングさはもちろん必要だろうし書き手としても腕の見せ所でしょうが、それって結局一種のゲームでしょ。わたしはゲームはあまり好きではないのです。
(基本的にいらない女性記者とか、説明的すぎるナレーションとか、紙吹雪の女に気づく唐突さとか、突っ込みたい部分はいろいろありますがゲーム部分についてはどうでもいいのでスルー)
個人的に、追い詰める側と追い詰められる側の魂レベルでのやり取り、
天才音楽家がただの若手刑事に、制限時間内で「落ちる」過程に描かれるそれぞれの人生の断面にすごく興味があったんですよね。

蔵さんは熱演してましたが、特に私がすごいなと思ったのは、あの「目」でした。
(目力がありすぎる二人が目を剥き合うシーン、のだめのカメハメ波レベルの衝撃波が行きかってましたよね)
上三白眼がオカルトみたいで怖い。じゃなくて、少年時代の孤独が見えるような、子どもの光が、たしかにあったんです。あれは、必死に生きる子どもが棲んでる目でした。
対する玉木くん。
彼の音楽を聴いて涙を流すシーン、千代吉の裏書を見て目を閉じるシーン、和賀を静かに追い詰めるシーン。
どれもいい。どれも美しかったです。ただ、美しい。いやあ、なんていい男なんだ。これは異形の人と言ってもいい。アップにすればするほどうっとり。国籍を超えた美貌……ってちょっと。
だからすぐ見てくれで勝負みたいに言われるのが彼としてはいやなんであって。
でも、彼があんなに美しかったのには、理由があるんです。それはやはり、共感の向こうにあった、和賀への愛。これですね。(それかっ?)
犯人を問い詰める刑事には、こいつの罪を絶対に許さないという正義感と、犯人をなんとかして理解したい、その上で自分の力で罪を認めさせたいという野心があると思うんです。
けれど、吉村はまず和賀のひとみにふれ、音楽に触れて、そこにある意味、落ちた。そのうえで彼の過去をたどり、千代吉の心を知り、彼の人生を知った。
その上で彼を「落とす」のは、過去を消して時代の寵児として生きてきた彼を、その「秀夫」の部分を、開放する道でもあったと思うんです。
「将来はお坊さんになりたい」といった彼に、「きっと綺麗な坊さんになる」といった父。
(綺麗な坊さんが見たかったよー、と大奥の幻のお万役を思ったのは私だけではあるまい)
その時降っていた雪。
その父と歩いた道々で見た日本の四季と風景。孤独ではあったけどいつくしみだけがあった、その日々は、父が言うように秀夫にとってもまた、人生の中心に位置する、まぎれもない愛の風景だったと思うんですよね。
骨身にしみるほど美しい風景には、芸術を作り出す力があると、個人的に思う。
そこに伴う唯一無二の感情があれば、なおさら。

今の自分を守るために父の骨さえ踏み壊した。その和賀を、吉村は彼なりの愛でもって、彼のかけがえのない風景、美しい音の中にだけ流れていた涙の風景の中へ帰した。そして、和賀は本浦秀夫となり、罪を認め、過去に向かって開放されるんです。そういう話だと、私は受け取りました。はい、歪んでおりますが、わたくしの勝手でございます。
だから最後に、吉村が和賀に最後の愛が灯ることを願うシーンも、是とします。何しろ松本清張版を知りませんからね。あれはあれでいいじゃないですか。
しかし、玉木吉村の目には泣いてるときもそうでないときもなぜあのように水分が多いのか。
湧き出る泉のごとくきらきらと光るひとみは、まるでリアル星の王子さまでしたわ。
取り調べシーン、ちょっとの間、いつ泣くかもう泣いてるのかと勘違いし続けました。

だけどひとこと。
原作をある程度知って(読んでませんが)言わせてもらえば、松本清張版の砂の器と同じ作品といってはいけない部分もあると思う。
和賀の放浪の原因が父のハンセン病だという設定。
これ以外の設定においては、語り得ないところが厳然としてあるとは思います。
ハンセン小説として有名な、北条民雄の「いのちの初夜」(誤解を生みやすいタイトルとして有名)を昔読んで、その業病の悲劇と絶対的な社会差別と、どんなに病み衰え全てを奪われても人は美しくあることを目指し続ける本能を持っているという希望と、いろんなものを知りました。が、人は結局変わらずに酷薄であるということも、福島の原発事故で思い知りました。どんなに教訓としろと言われても、汚れたものを追い払おうとする非情は時間と場所と関係なく人のうちに住んでいるんです。
だから、あの当時、人としての権利をすべて剥奪されゴミのように扱われた父と子が味わった絶対的な孤独と地獄、それがゆえの和賀の美しいものへの憧れと非情は、その設定抜きには語れないレベルのものがあると思う。
できればその設定で見たかった。しかしご遺族の意向とあらば仕方ありません。
ですから、これはあえて、別物として見ました。

あ、えーと、女性とイチャイチャしてもパンツ見せられてもなんのエロスもないと思うのは私だけでしょうか。
苦悩の表情浮かべたり目を閉じて水を飲んでたりするほうがよほどエロい。
これはもう、旧版の主題曲じゃないけど、宿命ですね。

玉木君、大げさな表情を作るときよりも、静かに淡々とに語るときの方がグッと説得力があります。わたしはオリオンの艦長のしゃべりがすごく好きでした。今回、特に後半、それを彷彿とさせるしゃべりが何箇所可に見られました。とても、うれしかった。
彼の今のキャラにあった役に、どんどん降りてきて欲しいです。

て、例の日中韓合作映画、ついにヤフーニュースになって出回り始めましたね。
しかし、漏れ聞くところ、彼にあてられた役は、あのまさかの……

そうならばたぶん、あの美しい指、ツルツルの脛、ツルツルの腋を見て決定したのね晴れ


あ、ところで吉村の髪型があの時代に合わんとかいう意見をちらほら見たけど。
あれって昔の松本清張さんなんじゃないの?音譜
$水☆迷☆宮

ラスト、毎度おなじみですが。

     七話