かつきえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし。

らっきょう大好き。
家族の中で私だけが好き。
だもんで一回つけると一キロ全部ひとり占めだぜ
最初のうち、待ちきれなくて半分生のらっきょうかじって
食卓で「くさい!」とガーガーおこられてました。
らっきょう酢が全体の半分ぐらいになると、酢の中のらっきょうはそれぞれの場所で中途半端に停止状態になりますが
これがナニカ、とてもいい風情なのよね。
黄金の液体の中のかいこのまゆ? 小さな不思議宇宙、禅の世界。
というわけで明るいところで撮影。庭から帰ってきたにゃんこ付きです。
そういやNECのCMで昔玉木くんが、ネット注文したらっきょうを太郎さんに全部かじられてたっけ。
さて、ヒロシくんのNEWアルバムは、CDを手に入れるまで耳からシャットアウト中。
ラジオで流れたやつの反響をきく限りでは、なかなか評判がいいようではありませんか。
Nakedや雑誌で、なにかと、自分で作詞を手掛けることの意味とそのむつかしさとやりがい。を語っていたけれど
正直、アップテンポのロックをきかされても、ちょっと歌詞から読み取れるものの限界を感じて
どこのどういう玉木氏を読み取ればいいんだ?とうろうろしてましたが
これは、手ごたえありそうな感じ?
期待してます!
写真と作詞と歌、自己表現の手段を確実に広げつつありますね。
写真のプロフェッショナル に収められていた、硬質で静謐な、美しい無口な写真たち。
あれもまぎれもなく、玉木くんだったもの。
だけど、演技も、被写体としてのモデルとしての姿も、ある意味充分に自己実現の一つだと思うの。
彼が意識しないところでこそ、時々不本意なぐらい唯一無二状態に陥ってるのが彼の魅力なんだよね。その美貌の瞬間を手放そうとしない観客は、ときに、玉木くんの一番の難題になるみたいで
「もっとあのままでいて!」という(もっとも有名なのはもちろん千秋コール)呼びかけに
「もう終わったよ!」とぽんぽん投げ返していた彼でしたが
その長い戦いも、そろそろ終わり…… かな?
いや、ストライクな容姿に落ち着いたから、ではなく
千秋のイメージを残さず頼らずとも、誰もが「いい!」と言ってくれる大人の男の領域にやっと入った気がする。
だって、最近、変化球投げるの急にやめた彼、ずるいぐらいステキではありませか。
そりゃあこっちも、「なんだかんだ言っても今の彼が一番ステキ!」といってはきたよ?
でもさあ。
一時的な超スレンダー体形とか。
違和感を感じるぐらい伸ばした髭とか。
のだめ映画の時の舞台挨拶の髪型とか、Mステでのカラフル髭にーちゃんとか
もうなんかよくわからない、ど真ん中容姿の避けっぷり。
音楽番組でも深夜枠になると普通にいい男に変身してみせるしー。
いまだからいえるけど、あれなんだったの、宏クン。
もうどんな変化球も爆走してキャッチするぞ、と覚悟決めたのに
せっかく決めたのに
こんなど真ん中容姿で来られると、
やばいやばいこれだやっぱりこれじゃないか!!!
(NECのふっくらパンフ、台湾香港の取材映像、大河会見、最近の女性誌、メンズノンノ)
と、今までの覚悟もばらばらに砕けてしまうのですわ
くそう、画像がはれない今が口惜しい。
ねことらっきょうしか貼れん。
彼は、おじいちゃんとか児玉さんとか、最近身近な人を亡くしましたよね。
そして震災による、数えきれないほどの死。
そういうことが重なると、悲しみとともにどうしても考えちゃうと思う。
人生は一度きり、いつか自分もこういう時が来る。
死んだらあとは永遠の闇。人の死に向かい合うたび、生の有限を知る。
私も何度も考えてきました。
昔はそういうことから目をそむけて、とりあえず今のことだけ考えるようにしてきたけれど
今は、それを十分に自覚したうえで、だから今を大切にしたいし、今できることは今やろうと絶対に決めたのね。
今伝えたいことは今伝える、遠慮も躊躇もしない。人生は一度きり、人の望むものだけを差し出して、人の評価ばかり気にしていて何のための人生。
なんだか最近の玉木くんを見てると、そういう気合を感じます。
私が魂わしづかみにされたビストロスマスマのときは、なんだかえらく美しいのに従順でおとなしくて、いつもにこにこ笑って一歩下がってる、みたいな印象があったんだけど、
随分変わりましたよね。
Nakedでもいわれてたけど、今は、一緒に仕事する人たちに
「気難しいんじゃないか、気を使わなければならないんじゃないか」
とかなり畏れられてる様子で
それだけ、抑えていた自分を、動かせない形で静かに、かつゆるぎなく出していっているのが、周りに浸透しているんですね。
「十二年こうしてやってきた、というプライドが時に自分の邪魔になり、壁になることがあった」と言っていた玉木くん。
その実績と年月があると自分に言い聞かせてきた、とも以前言っていたけれど、自信としてきたものが枷になることもあるんですね。
それを自覚し、壁があるなら壊して柔軟に進もうとしている大人の今が、頼もしく、美しい。
何か月前だったかな。
あるミュージシャンの旧友がご自分のCD送ってきてくれた折に、久しぶりに電話で話して
自分が駄文やら小説書いて遊んでる話もして、
でも恥ずかしくはない、わたしの人生だし一度きりだし、需要なんて考えてたら自分からは動けない!
と熱弁をふるったんです。
そしたら、「そうよ、そうよね!人生そうでなくちゃ!やるときはやんなきゃ!」
と何かのスイッチが入った様子でした。
そして現在、ジャズピアニストとして歌手として作詞家としてしばらく表立った活動をしてなかった彼女が、新たなCDを二枚同時に出すべく活動中らしい。
海外レコーディングも終了とのこと。
多くのファンを抱える彼女だから、リリースしたらまた話題になることでしょう。
聞いたことない方、古い音源が次々とアップされているので聞いてみてね。
彼女は紛れもなく天才です。↓
かもん!
一時は、俳優としてあんなに待ち望まれてる玉木くんが
なんで歌にそこまでしがみつくのかと不思議に思った時もありましたが
「たとえ一人でも聞いてくれる人がいる限り自分はうたい続ける」という強い決心を聞いて、
よし、あの美しい声で、その正しい心で、これからまっすぐに歌い続けるなら
その一人を目指してついて行こうじゃないか。
と、思いを新たにしました。
個人的にはバラードが好きなんだけどね。
眠れない夜、いろいろなことが胸に押し寄せて苦しい夜、イヤホンから聞こえる静かな声にどれだけ癒されてきたか、な私なのですから。
選ばれた人たちが、この暗い世の中にあって、生命力を失わず前に進んで行ってくれるのは、
聞かせてもらえるこちらのまたとない幸せでもあるのです
(もちろん、ちらほら聞こえてくる新しい映像のお仕事もすご~~く楽しみにしてます!)

らっきょう大好き。
家族の中で私だけが好き。
だもんで一回つけると一キロ全部ひとり占めだぜ

最初のうち、待ちきれなくて半分生のらっきょうかじって
食卓で「くさい!」とガーガーおこられてました。
らっきょう酢が全体の半分ぐらいになると、酢の中のらっきょうはそれぞれの場所で中途半端に停止状態になりますが
これがナニカ、とてもいい風情なのよね。
黄金の液体の中のかいこのまゆ? 小さな不思議宇宙、禅の世界。
というわけで明るいところで撮影。庭から帰ってきたにゃんこ付きです。
そういやNECのCMで昔玉木くんが、ネット注文したらっきょうを太郎さんに全部かじられてたっけ。
さて、ヒロシくんのNEWアルバムは、CDを手に入れるまで耳からシャットアウト中。
ラジオで流れたやつの反響をきく限りでは、なかなか評判がいいようではありませんか。
Nakedや雑誌で、なにかと、自分で作詞を手掛けることの意味とそのむつかしさとやりがい。を語っていたけれど
正直、アップテンポのロックをきかされても、ちょっと歌詞から読み取れるものの限界を感じて
どこのどういう玉木氏を読み取ればいいんだ?とうろうろしてましたが
これは、手ごたえありそうな感じ?
期待してます!
写真と作詞と歌、自己表現の手段を確実に広げつつありますね。
写真のプロフェッショナル に収められていた、硬質で静謐な、美しい無口な写真たち。
あれもまぎれもなく、玉木くんだったもの。
だけど、演技も、被写体としてのモデルとしての姿も、ある意味充分に自己実現の一つだと思うの。
彼が意識しないところでこそ、時々不本意なぐらい唯一無二状態に陥ってるのが彼の魅力なんだよね。その美貌の瞬間を手放そうとしない観客は、ときに、玉木くんの一番の難題になるみたいで
「もっとあのままでいて!」という(もっとも有名なのはもちろん千秋コール)呼びかけに
「もう終わったよ!」とぽんぽん投げ返していた彼でしたが
その長い戦いも、そろそろ終わり…… かな?
いや、ストライクな容姿に落ち着いたから、ではなく
千秋のイメージを残さず頼らずとも、誰もが「いい!」と言ってくれる大人の男の領域にやっと入った気がする。
だって、最近、変化球投げるの急にやめた彼、ずるいぐらいステキではありませか。
そりゃあこっちも、「なんだかんだ言っても今の彼が一番ステキ!」といってはきたよ?
でもさあ。
一時的な超スレンダー体形とか。
違和感を感じるぐらい伸ばした髭とか。
のだめ映画の時の舞台挨拶の髪型とか、Mステでのカラフル髭にーちゃんとか
もうなんかよくわからない、ど真ん中容姿の避けっぷり。
音楽番組でも深夜枠になると普通にいい男に変身してみせるしー。
いまだからいえるけど、あれなんだったの、宏クン。
もうどんな変化球も爆走してキャッチするぞ、と覚悟決めたのに
せっかく決めたのに
こんなど真ん中容姿で来られると、
やばいやばいこれだやっぱりこれじゃないか!!!


と、今までの覚悟もばらばらに砕けてしまうのですわ

くそう、画像がはれない今が口惜しい。
ねことらっきょうしか貼れん。
彼は、おじいちゃんとか児玉さんとか、最近身近な人を亡くしましたよね。
そして震災による、数えきれないほどの死。
そういうことが重なると、悲しみとともにどうしても考えちゃうと思う。
人生は一度きり、いつか自分もこういう時が来る。
死んだらあとは永遠の闇。人の死に向かい合うたび、生の有限を知る。
私も何度も考えてきました。
昔はそういうことから目をそむけて、とりあえず今のことだけ考えるようにしてきたけれど
今は、それを十分に自覚したうえで、だから今を大切にしたいし、今できることは今やろうと絶対に決めたのね。
今伝えたいことは今伝える、遠慮も躊躇もしない。人生は一度きり、人の望むものだけを差し出して、人の評価ばかり気にしていて何のための人生。
なんだか最近の玉木くんを見てると、そういう気合を感じます。
私が魂わしづかみにされたビストロスマスマのときは、なんだかえらく美しいのに従順でおとなしくて、いつもにこにこ笑って一歩下がってる、みたいな印象があったんだけど、
随分変わりましたよね。
Nakedでもいわれてたけど、今は、一緒に仕事する人たちに
「気難しいんじゃないか、気を使わなければならないんじゃないか」
とかなり畏れられてる様子で

それだけ、抑えていた自分を、動かせない形で静かに、かつゆるぎなく出していっているのが、周りに浸透しているんですね。
「十二年こうしてやってきた、というプライドが時に自分の邪魔になり、壁になることがあった」と言っていた玉木くん。
その実績と年月があると自分に言い聞かせてきた、とも以前言っていたけれど、自信としてきたものが枷になることもあるんですね。
それを自覚し、壁があるなら壊して柔軟に進もうとしている大人の今が、頼もしく、美しい。
何か月前だったかな。
あるミュージシャンの旧友がご自分のCD送ってきてくれた折に、久しぶりに電話で話して
自分が駄文やら小説書いて遊んでる話もして、
でも恥ずかしくはない、わたしの人生だし一度きりだし、需要なんて考えてたら自分からは動けない!
と熱弁をふるったんです。
そしたら、「そうよ、そうよね!人生そうでなくちゃ!やるときはやんなきゃ!」
と何かのスイッチが入った様子でした。
そして現在、ジャズピアニストとして歌手として作詞家としてしばらく表立った活動をしてなかった彼女が、新たなCDを二枚同時に出すべく活動中らしい。
海外レコーディングも終了とのこと。
多くのファンを抱える彼女だから、リリースしたらまた話題になることでしょう。
聞いたことない方、古い音源が次々とアップされているので聞いてみてね。
彼女は紛れもなく天才です。↓
かもん!
一時は、俳優としてあんなに待ち望まれてる玉木くんが
なんで歌にそこまでしがみつくのかと不思議に思った時もありましたが
「たとえ一人でも聞いてくれる人がいる限り自分はうたい続ける」という強い決心を聞いて、
よし、あの美しい声で、その正しい心で、これからまっすぐに歌い続けるなら
その一人を目指してついて行こうじゃないか。
と、思いを新たにしました。
個人的にはバラードが好きなんだけどね。
眠れない夜、いろいろなことが胸に押し寄せて苦しい夜、イヤホンから聞こえる静かな声にどれだけ癒されてきたか、な私なのですから。
選ばれた人たちが、この暗い世の中にあって、生命力を失わず前に進んで行ってくれるのは、
聞かせてもらえるこちらのまたとない幸せでもあるのです

(もちろん、ちらほら聞こえてくる新しい映像のお仕事もすご~~く楽しみにしてます!)