映画のだめについて…
いまさら、なんとなく、思っていたこと。

ストーリーについて詳しく触れるので
映画未見の方はここまでにしてね。

千秋は本当にのだめの音楽が好きで
それはもうのだめの周りのだれよりも、のだめの才能を買ってたんじゃないのかな。

でものだめにとって音楽は、基本的に自分が楽しみ、自分に聞かせていればいいもの。
千秋にとって音楽は、神の世界の調和を知るための学問。
そしてそれに身をささげようと思ったら、自分の生きる時間を削り、自分が紡ぎだす音のすべてに耳を澄まし、
聴衆のために 危うい機織りの糸を調節するように細心の注意を払い
最大限の努力をしなくてはならない。

ふたりの才能は立ち位置が違うんだよね。

のだめは才能の塊で、でも恋愛には不器用だから
千秋が、才能豊かな女性との演奏で
恍惚と高みに上るのは我慢できない。
でも我慢しなくちゃならない、それは「当然」のことだから。
自分が負けていれば当然、
自分は聞く側に回るしかない。
千秋の相手に選ばれる基準はただ技術と才能。世間の評価。
それはのだめの類する音楽の世界とは別の尺度。
のだめがいるのは本当に「音が」「楽しく」はねている自由世界だから。

評価がほしくて暴走するのだめをオクレール先生は許してくれない。
でも、自分の唯一の武器がきかない世界で悶々としてるうち
千秋はほかの女性にとられてしまう。
その苦しみからおりたくて、のだめはエプロンをつけて妻ごっこをし
プロポーズまでして、現実世界のただの妻、の座に落ち着こうとしたんだよね。

でも千秋は天才だからそれが逃げだと見破った。
…ここまで来て何で逃げるんだ?

千秋にすげなくされて、のだめは行き場を失った…
ドコニイケバイイデスカ?
イツマデヤレバイイデスカ?

私の音楽はどこですか?

そしてはじめて自分のうずまく感情をピアノに乗せる。
それは恋を知る人の心に鳴りつづける、人類共通の意識下のハーモニーになって
きく人の心を揺さぶった。
ミルヒに導かれて突き抜けた自分の天井、最高の喜び、でも千秋とじゃない。
千秋とじゃない。
もう千秋に会えない…

千秋の心にも、取り返しのつかない次元までいったのだめが見えてた。
もう元には戻れない気がする…

そのあと、ピアノから逃げ出したのだめを思い千秋は煩悶する。
自分はのだめをどうしたかったのか。
のだめの音楽と共に旅したかったのに、あいつが求めてたのはそれじゃないのか。
自分が導こうとした先は、のだめの行きたい場所じゃなかった。
連れて行けるのは自分じゃなかったのか。
それとも、満足できれば誰でもよかったのか?

そして行きついた先が
のだめのピアノが好きだという思い。
大好きだという思い。
好きにさせてやりたいと思いながら、その音色を聴くだけで涙を流すくらいに。
だから、やっぱり、二人で旅したい。
のだめを導く天使はミルヒじゃなくて自分なんだから。


最後の二台ピアノのシーン、大好きです。
何度見てもここで涙が出る。
相手を本当に愛するとはどういうことか、あれほど俺様だった千秋が
考えて悩んで選んで、勇気を出して二人で座った椅子。最初のコンチェルト。
またそこからはじまるふたり。


雄々しい、孤高の音楽家の独立のドラマじゃない。
でも確かに、志の高い二つの魂と
揺れながら前に進もうとする、鮮やかなふたつの愛情がある。

登場人物すべての幸せを心から願える、大好きなやさしいものがたりでした。
音楽は続いています、観終わった後も。
ありがとう玉木千秋くん、そして上野のだめちゃん。