いきなり長いタイトルですが。

延々つづけてきたMWネタもそろそろ着地時かな?
映画見るたび、原作読むたび、ノベライズ読むたびいろいろ変わってきた所感の中で
今回はあえて、原作漫画にスポットをあててみます。

何度も言うように、私は手塚先生のファンです。
それこそ子供のころから中毒状態。
そのなかで、MWをうっかり子供のころに読んだ衝撃は忘れられません。
とにかく結城美智雄が気味が悪くて。
当人に備わった美しさ以上に、本人がそれを意識しまくってる、利用しまくってるっていうところがね。
でもそれ以上に受け入れられなかったのが賀来神父でした。
一応、読者が共感できる、自己投影できる唯一のキャラだと思うのですが
そしてその心理も過不足なく表現されているので、読者がおいてけぼりになることもないのですが。
しかし、いただけないおっさんです。
一応、善意の人ということになっているし
その根底には、人の道とか正義とかという意識があり
映画の「恋するガライ神父」がおいてけぼりにした所を、ひととしてしっかりしょっているまともな人なのですが。
だけど、この漫画のテーマ、
そして映画が落っことしたとして大罪扱いされている核、
「結城という男に恋していること」
つまり同性愛設定の本来の意味合いはあまり、ない。というか、かなりなおざりにされていると思うのです。

手塚さんが意識したという、少女マンガ花の24年組における「少年愛ブーム」の各作品と比べても、いかにもその辺はとってつけた感じがあると感じます。
たとえば竹宮恵子の「風と木の詩」
萩尾望都の「ポーの一族」。
一大ブームをまき越したこれらの作品を、手塚さんは大いに意識し、タブーを満載しながら突き進む衝撃作を目指したといわれています。
風と木、においては竹宮氏は、同性を愛するということの苦悩と意味を主人公に掘り下げさせ、
(生物学的に繁殖につなげるための恋愛が自然であるというなら、自分のこの思いは何のためにあるのか、自然に逆っているとなぜ罪なのか、等々)
ポーの一族では、歳をとることができないという宿命において、人と安定したつながりを保てない魂同士の切ない結びつきを叙情たっぷりに描いています。

そして、賀来と結城。
二人の結びつきの始まりは、結城があまりに美少年で、賀来がついその気になり(ナオンのようでハクイ、という一応の説明あり☆)
一方的にいただいてしまった。
というわかりやすいところから始まっていますが
その後、結城は良心のかけらもない殺人鬼に変身し
その上「時々女性に化けて私を誘惑する」「ずるがしこいメフィストフェレス」へと変貌した、と賀来の口から説明されます。
これは果たして恋なのか、愛なのか?
私にいわせればどっちでもありません。
なぜなら賀来は、「私だって好きであんなやつといたしてるわけじゃない。魔女のように私を誘惑するからだ」
と、自分の「罪」の原因を全部相手のせいにしているから。
いったん、自分の気持ちにしたがい好きな相手を選んだなら
恋する者同士は共犯者でしょ!
どっちがどっちを騙した、してやられた、という言い訳をしながらずるずる引きずる関係ほど醜いものはないっす。
賀来は、男が男にひかれること自体いつまでも罪と思っているから
「俺はまともなのにあいつが」
「神よ、お助け下さい」
と延々と救いを乞うているけれど
もともとホモというのは、ありふれた脳のイレギュラーであり
また生物学的に、一定数現れる性的趣向のパターンだと思えば
そう大げさにとらえるものでもないのです。
でも生物学的じゃなくて
あくまで恋愛として、一つの愛の形としての同性愛を考察するなら
「結城は悪魔だ」「してやられた」以外の見解、アプローチが賀来的にあってもいいはず。
そこがぬけおちているのが、いかにも男性が描いた「同性愛マンガ」だなあと感じてしまうんです。
つまり、ホモ関係はあくまで道具立てで、「背徳」とか「神をも恐れぬ」という設定が漫画的にほしかったんではないかと。
そう感じてしまう。
これはあくまで私の感覚ですが…

で、映画はというと、あまりに語り足りず、本来の主役であった賀来がまったく同調できない「よくわからんキャラ」になって、見る側を突き放してしまっているのが驚きでしたが…

そのかわり、いいわけがましいおっさんのエセ正義漢に振り回されるストレスなしに、ただ迷いなく疾走する主人公の一直線の生きざまに注目することができたとこが、好きなんです。

まよいもない、罪悪感もない、揺らぎもない。そして因果応報すらない。

映画MWは、本来辛口で知られるキネ旬のレビューで、思いのほか好感触な評価をもらっていたんですが、その中の一文にすごく共感しました。

主人公はひたすら、ひとりだ。破壊へと至る欲求は、自らの幸せさえ望まない。
復讐心は、他人の視線をまきこんで太るものではない。

そういえば、原作結城は、なんだかんだいいながら賀来との駆け引きを楽しんでいたし、それでいながら賀来に依存する、わりと人間臭いキャラでした。
映画結城は、利用するだけ利用して譲歩は絶対になし、賀来の人間としての弱点をとことん食い物にする容赦のなさです。
だがしかし、どっちがエロいかと言われたら。
さんざんベッドでくんずほぐれつしているマンガの二人より、こっちのふたりが圧倒的にエロい!
必要最小限の会話、有無を言わせぬ力関係、結城の賀来へのひそかな依存、絶対彼が自分を離れないという確信。そして、賀来の捨て身の告白と献身。

一つもキスシーンがなくても、息をするのすら苦しそうな恋に身を焦がしている賀来と、わかっていながら突き放しては手繰り寄せる結城との悲しく切ない間柄に、思わず知らず胸を打たれてしまうのでした。
してみると、原作は男性向き、これは女性向きかなあ?
あちらは優れたエンタテイメント、これは報われない愛のものがたりですから。

あっ、それと、
誰に対しても、自分に対しても
「だって結城がああだから仕方ないんだもん」という言い訳をしない賀来くんは
終始苦悩する女性のような演技でありながら
とてもとても男らしかったと思いましたとさ!


なっげ~。
おまけネタ。
映画の中の結城の住まいは、現存する家賃二百五十万のマンション。
結城の使っている携帯は、N906iμ。

以上でした!