さて~、昨日の食わず嫌い王。

…について日記書いたはずなんだけど
なんか携帯からの編集に失敗したらしく、今見てみたら途中で記事が尻切れに。

もう画像含めてやり直す気力もないので消しちゃった…

すいませんひらめき電球

そして、今日発売の日本映画マガジン。31ページ&表紙、玉木くんまみれ!
記事も写真も素晴らしすぎるので、
もうとにかく買ってください。


その中で、山田君との対談が興味深かったの!

前からさんざん言ってきたんだけど、手塚ファン&原作ファンであるわたくしは
大体漏れ聞こえてきた映画版MWのつくりにかなり不満だったわけですよ。
特に、神父と結城との関係性に。

神父から誘っての腐れ縁だったはずなのに
煮え切らない片思い状態になってるらしいのは我慢ならないと。
神父の立ち位置からして違ってしまうと。

でも今日、日本映画マガジンの山田君の解釈を読んで、ええ、それなら…
そこまでいうなら…それもありか?と思ってしまった。

これから読む人もいると思うのであまり書きすぎてもですが…
(買う予定だから何一つ聞くのが嫌、な人はこの先避けてください)




山田君は、神父をどうも「神が残した最後の光」とか「悪に対する善」という位置に置いてないみたい。

彼の行動の基盤にあるのは、
結城を救いたいとか被害を防ぎたいとか人類を救いたいとか
大きな立場に立っての正義、じゃなくて

「ただ結城を愛しているから、彼を手放したくない。自分だけを見てほしい。邪魔するモノも人も排除したい」
という、エゴと独占欲、
そういう驚きの解釈みたい!


その発想はなかったわ。
しかもその恋は成就してない。
そして神父は自分をうざったがる結城にどれだけガスガスボロボロにされてもひたすら一途な純愛路線、
自分に得るところがあろうとなかろうと、結城しか見えない状態。

そのつもりで全編演じているようです!

そこまで徹底するなら、これはこれで別物として面白いかも???
正義を行いたいという動機そのものが見せかけで偽、
こいつはただの偽善者。
恋に盲目になった哀れな男。
という意地の悪い解釈で演じてくれるなら、結城との関係がそれほど濃いものでなくても
神父のしつこさとあきらめの悪さは説明できます。

神父は結城という人間と一緒でなくては存在し得ないほどの傷を負っているけれど
それは、彼ら二人が、世界中でただ二人しか共有し得ない悪夢を共有しているからで
それは枷であり、同時に絆であり、
トランプの表と裏のように、互いに離れては持ちこたえられない記憶。

結城は世界に復讐することで怒りを表現し
神父は、そんな結城を愛し続けることで自分を成り立たせている…
ともに死にたいと願うほど。


手は下さなくても、共犯者となることが
もしかして彼の愛のあかしなのでしょうか?

キチンと解釈し、納得してからでないと演じられない山田君の演技。
賀来の悶々には、かなり期待できそうですドキドキ

そして、印象に残ったのが
玉木君の言葉。

「彼は時々、賀来の求めに応じるけれど
それは愛情からでなく、そのほうが後々彼を使いやすくなるという思いからで…」

ど、どうやって応じるんですかっ?


…いかん、過ぎた期待はしないでおこう。うん。
ぜいぜい。

おまけ。
聞き慣れてくると結構いいぞ、歌詞も深いぞふらんぷーる!
キャストだけバージョンドキドキ