「ホームズの華麗なる戯曲」




間奏曲


【夏の日の間奏】




1.序


ここ数年の日本の夏の暑さは異常ではないか。
国内の地域によっては最高気温が40℃を越えるところがあるというが、そんなものは赤道より向こうの南半球の国の話だと思っていた。




熱風が舞うアスファルト地獄で、
信号待ちをして立ち止まっているこの時間が1番辛い。
「茹だるような暑さ」とはよく言ったものだ。

ふと、横断歩道の向こう側に目をやる。
一瞬、蜃気楼(?)で世界がうねっているように見えた。なにか別の境界線が交わったような、、。
それとも「私」の頭が、暑さでやられてしまったのか。







14:45 水道橋 ファミレス デネーズ




待ち合わせの15分前に席についた。

私ー米山愛理(よねやま あいり)ーは
双葉社の新人である。
私が任されたのは、「ミステリ小説」部。
今日はその内の1人の作家との打ち合わせなのだが、、、。
その作家が、こちらからの呼び出しに対して、「打ち合わせなら水道橋のファミレスがいい」と言い出したわけで、このクソ暑い中、仕方なく彼に指定された場所まで足を運んだのである。


なぜそんな我儘をきいてやらなければならないのかと、上司にブツブツ文句を言えば、


「彼は特別だから」と。


特別、と言っても、たしかに彼が出した作品はどれもヒットしているが、それこそ東〇圭吾や綾〇行人と言った、ミステリ界の重鎮にはまだまだ遠いレヴェルで。




「やぁ。お待たせしました。」




声をかけられ、ハッと考え事が途切れる。

声の主は、スラッとした長身で30代と見られる男性だった。
黒いポロシャツに細身のジーンズというラフな出で立ちに対し、なぜか黒いハットを被っている。

顔はそう、いわゆる「塩顔」。
ただ、緩やかに曲線を描いて微笑む唇とは対照的に、切れ長の目の奥はどこか鋭く感じた。



「米山さん、ですね?」


「はい。双葉社の米山です。はじめまして。」


「はじめまして。私が複家です。」


複家俊介(ふくや しゅんすけ)
この男が、その作家である。


「いやはや、すみませんね暑い中。
仕事柄なかなか持ち場を離れられなくて、、」



「はぁ。」



持ち場?物書き机のことだろうか?


「なにか頼まれましたか?」


「いえ、今来たばかりなので。」


「そうですか。
では、先に決めてしまいましょう。」



打ち合わせに逆呼び出しだなんて、
どんな偏屈な男かと思っていたが。
普通の男性のようで少し安心した。

彼にすすめられて開かれたドリンクの
メニューに目を落としたその時だった。

 





「、、、なんです!!」
「そんなはずない!!」





「ん?レジの方がなんだか騒がしいですね。」




言われてメニューから目をレジの方へ向けると、
なにやら店員と女性客2人が揉めているようだ。


学生時代、私も接客業のバイトをしていたことがあるのだが、、ああいった場面に直面するのが1番厄介である。

私は「あー、面倒くさそうですね」とだけ言うと、関わりたくないなと思いながら、そそくさとメニューに目を戻す。



「ちょっと見てきますね。」


「えっ?」

素っ頓狂な声を出してしまった。
私は再びメニューから顔を上げて、複家さんを見る。



「職業病。というやつでしょうか」



そう言ってニヤリと笑うと、
複家さんは野次馬に混ざってレジの方へ行ってしまった。









2.
(愛理は相変わらず席にいたまま、視点はあなたへと移る。)




「すみません。いったい何があったんですか?」


複家は遠巻きに見てる野次馬を押しのけて、
ずいずいと前に出た。


「えっと。あの、、」


店員は、
この突然割って入ってきた客に、事の顛末を話していいものかどうかと迷っているようだったが、


「ああ。自分、こういう者でして。」



複家は名刺を手際よく取り出し、
それを店員に渡す。


「推理小説家 兼 私立探偵?」


店員が名刺を読んでいるの間に、複家はもう2人の女性にも名刺を渡した。


「なにかお困りのようでしたので。
これも何かの縁ですし、力になれればと。」


一見、微笑みのような、いや、
真面目な顔のような
どちらともとれる表情を見せて、複家はそう言った。


女性客2人は特に何も言わない。
無言の了承と見なしたのか、店員はおろおろと口を開いた。


「実は、先程女性トイレで財布のお忘れ物がございまして。
それで、、、落とし主だという方がお2人現れまして。」



「なるほど。それがこの御2人だと。」



複家は女性客2人に目をやる。


「財布の中に、名前などがわかるものは入ってなかったんですか?」


「それが、名前のないポイントカードとお札、小銭以外、なにも入ってなくて。」



「そんなはずないわ!」


そう声を挙げたのは、女性客2人のうち、30代半ばくらいの女性の方だった。長い髪を後ろでひとつに結んでいて、元々のキリッとした顔立ちがより強調されて見える。キャリアウーマンという言葉がしっくりくるなと、複家は思った。





「免許証もカードも、全部入ってたはずで、、」


「だから、わたしのです!」


もう1人の女性ーこちらは20代半ばといったところか。かわいい、とも、かわいくない、とも言えないような、悪くいえばあまり印象に残らないような顔の女性だった。髪は肩くらいの長さでふんわりと内巻きにしていて、花柄のやわらかい雰囲気のワンピースには合っていた。


「私は、免許証やカードは、別のカードホルダーに入れてるんです。よく無くすから、、、買い物につかうポイントカードとお金以外入れてないんです。」



ふむ。と複家は顎の下に右手を当てる。



「そのお財布を見せてもらえますか?」


「はい。これです。」


店員が複家に渡したのは、花柄のかわいらしい長財布だった。
表面の上の方に小さく金の刺繍で「PRADA」と書かれている。
使用感はほとんどなく、まだ真新しいように感じた。


「それ、今年の春限定のお財布で。もう買えないんです。オークションとか見ても、何十万もするし。」

と、花柄のワンピースの女性が説明する。



「ほう。まあ確かに、あなたのようなかわいらしい女性が好みそうなデザインですしね。」


複家がそう言うと、彼女は照れたように顔を下に向けた。


「悪かったわね!私みたいな女には似合わないデザインで。」


「いいえ、似合わないだなんて。
ただ、、そうですね。あなたがこれを使っているなら、ギャップ萌え、というやつでしょうか。」


複家のそのフォローはお気に召さなかったようで、キャリアウーマン風の女性は、ふん、とあからさまに顔を背けた。



「えーと。では、店員さん。
この財布を拾った時のことをお話していただけますか?」




「あ、はい。

こちらの(そう言ってキャリアウーマン風の女性を手で)お客様が、お会計を済ませたあと、お店を出る前に御手洗をと言われて、ご案内して。
お客様は御手洗を済まされてから退店されました。

そのすぐ5分後くらいにクリーンチェックの定期巡回の時間がきたので、御手洗へ掃除に行きました。
そしたら、こちらの(今度は花柄のワンピースの女性を手で)お客様がちょうどトイレから出られて。


中に入ったら、鏡のところにこのお財布があったのでお客様にお尋ねしたところ、ご自身のだと仰られましたので、、、出られてすぐでしたし、そのままお渡しようとしましたら、、、そこへ、先程のこちらの(キャリアウーマン風の女性を手で)お客様が戻ってこられて、お財布を忘れた、と。
それがこのお財布だと。

それで、中に身分証が入ってるから開けて確認してほしいと言われまして、中を開けたら、お名前が書いてあるものがなにも入っていなくて。」



「ふむ、説明ありがとうございます。
すみませんが、、、中を見てもいいですか?」



そう言って複家は女性2人を見た。


「どうぞ」
「はい」





「靴屋のポイントカード、本屋のポイントカード、ヘアサロンのクーポン、マッサージのクーポン、牛丼屋のクーポン、、
確かに、名前の書いてあるものが何一つ入っていないですね。」


「そんなはずはないわ!
盗まれたんだわ!
はやく銀行に電話して止めてもらわないと!」



「私は、、さっきも言ったんですが、よく無くすので、免許証とかはこっちに。」

そう言って花柄のワンピースの女性は、これもまた花柄のカードホルダーを出して見せる。


「ふむ、確かに。ありがとうございます。
では、おふたりにお聞きしたいのですが、、、
ご自宅と職場の最寄り駅を伺えますか?」



「え?」

最寄り駅?


こういう時はむしろ名前や住所、年齢、職業などを聞くのではないのだろうか?
なぜ最寄り駅なのだろうか。



「えと。私は、家は千駄ヶ谷駅が最寄り駅で、
大学が水道橋駅です。
アルバイト先も水道橋です。」


「ふむ。するとあなたは総武線の各駅停車ですね」


「はい。総武線で1本です。」



「あたしの家は新宿よ。
詳しく言うなら西新宿が最寄りだけど、雨の日以外は新宿西口までいつも歩いてるわ。
職場は水道橋よ。」




「ふむ、ありがとうございます。

、、、そうですね。
私にはこの財布の持ち主がどちらかわかったような気がします。」




「え?!」


「この財布はあなたのですね?」



そう言って複家は、花柄の財布を、












キャリアウーマン風の女性に手渡した。




「ちょっと待ってください!私のです!」



花柄のワンピースの女性がすかさず抗議する。




「では、順を追って御説明しましょう。


まず、あなたの
【身分証などの貴重品は別にして持ち歩く】
この道理はよくわかります。

ですが、普段の生活の中で、ポイントカードやメンバーズカードなどにも名前を書くことはたくさんある。
だが、この財布には、名前がわかるものが何一つ入っていない。
これは逆に不自然ではありませんか?

ヘアサロンのクーポン、マッサージのクーポンが入っているなら、そのお店のメンバーズカードも一緒に入っているはずです。ですが、それが入っていない。
いかにも名前が入っていそうなカードです。


ではなぜ、名前の入ったカードが1枚も入っていないのか。
それは、この財布が盗品であり、元々の持ち主を分からなくする必要があるからです。


おそらく、あなたはトイレで、この花柄の財布を彼女が忘れて出ていった現場に居合わせた。
追いかけようと思ったが、よく見ればそれは欲しかった限定の財布だった。
良心より欲が勝ってしまったあなたは、中身を開け、持ち主の分かるものを全部抜き取って捨てた。

このまま持ち去ろうと思ったが、盗むという行為に若干抵抗があった。

そこへ店員がクリーンチェックに訪れた。
あなたは思った。
ここで、この財布を故意に置いて出れば、この店員はこの財布があなたの忘れ物だと思い、届けるはず。
だとしたら、この財布はあなたが盗んだのではなく、この店員が勘違いをして渡してきただけであり、自分が盗んだことにはならない、と。」



花柄のワンピースの女性は、真っ青な顔をして俯いている。

複家は構わず続けた。



「他にも何点か、あなたの発言に気になったことがあります。

1つは、よく財布を無くす、と自負しているのにも関わらず、もう二度と手に入らないというお気に入りの財布を持ち歩くのか?

2つ目は、オークションで何十万もする、と仰ってましたが、なぜオークションを見る必要があったのか。
そこまで気に入っているなら、売る必要はないでしょうし、、、これは私の憶測の1つに過ぎませんが、あなた以前同じものを持っていた。しかし無くしてしまった。
とても気に入っていたのでどうしても欲しい。それでオークションを見たら、、、とかね。」


「それと、このクーポンを見てください。

このマッサージ店のクーポンに書かれてる店舗名には【水道橋駅前店】と【四ッ谷駅前店】の2つのものがあります。


あなたは千駄ヶ谷駅から水道橋駅まで各駅停車で1本。水道橋駅前店のクーポンが入っているのはわかりますが、乗り換えの必要がないのに、わざわざ四ツ谷駅で降りてこの店に行っていたんですか?」


「あの?」と店員が手を挙げた。

「それなら、新宿から水道橋も1本かな、と。」



「確かにそうですが、彼女(キャリアウーマン風の女性を手で)の場合、雨の日は西新宿駅から丸ノ内線を使って水道橋に行っていたんですよね?」



「あっ!」




「そう。西新宿駅から丸ノ内線で四ッ谷駅までいき、そこからJR総武線で水道橋駅まで。
彼女の場合は四ッ谷駅で降りて乗り換えすることがあったんです。
四ッ谷駅には併設したショッピングセンターもありますし、この靴屋のクーポンにはそのショッピングセンターのマークが入ってます。
だから、水道橋駅前店のクーポンと、四ッ谷駅前店のクーポンのどちらとも入っていても、不自然には思いません。」




「、、、そんなのっ」



「はい?」




「そんなのただのおじさんの想像じゃない!」
 



「確かに。憶測の域です。
ですから、、店員さん。」



「は、はい。」



「先程クリーンチェック時に回収したトイレのゴミを確認してください。
そこに、身分証などのカードが入っているはずです。」



花柄のワンピースの女性は肩をビクリと揺らす。




「免許証やキャッシュカードはトイレへ流すことはできないですからね。」



複家のその言葉に、
店員はパタパタと小走りで裏へ向かった。



「あなたは、、何者なの?」


感嘆にも似た声色で、
キャリアウーマン風の女性が複家に問いかける。




「大したものじゃないですよ。

私は、真実を見つけるのが好きな
通りすがりの探偵です。」














3.











「、、、さま!」


「お嬢様!」



ハッと目が覚めた。と言うよりは、
どこからか意識が戻ってきた、と言う言い方の方がしっくりくる。




彼女はまだゆらゆらとする意識の中で、
周りを見渡す。



見慣れたオフホワイトのドレッサー、本棚、開け放たれたままのウォークインクローゼット。
天井にはこじんまりとしたシャンデリアが飾られ、ベルベットのカーペットを照らしている。




「お嬢様、大丈夫ですか?」




声の主はー、そう、私の執事。
タクティス・セイドリック。



「、、、夢?」



「夕食のお時間になってもいらっしゃらないので、呼びに参りましたら、ソファで寝てらして。」




そうか、あれは夢だったのか。



あれ?でもどんな夢だったのだろうか?



それはとても暑い、茹だるような暑さの中で見えた蜃気楼(?)の向こう側、、、。




「メアリーお嬢様?」


世界がうねったように見えたそれは、
なにか別の境界線が交わったような、、。



「なんでもないわ。
行くわよタクティス!おなかぺこぺこだわ!」



まだ私は寝ぼけているのだろう。


そう、それは夢のお話。







END