あら、

もしかして私の生き方つまんない?


オーストラリアに渡ってからほぼ毎日のように自分の生活の仕方を振り返ってて、正解が分からなかったり漠然と、わたしは今の経験でなにを誇るんだ?とか、留学中なんだからもっと“それらしく”楽しんだり偉大なことをしなきゃいけないんじゃないか?とか考えてしまう。


大森自身がどう思うかが大事なんよってある人は言ってくれた。

私自身、自分のしたいことが留学することによってより現実味を帯びるんだって旅立つ前から信じてたし、実際そうなって、色々悩みながらも近付けていってる気はする。


でもまた別の部分について、

そんな他国に行ったくらいでその私が人として、大それた成長が見られるかというとそれは分からないなとか自己嫌悪に浸かったりする。

そんなこんなで

「今の私、いいのだろうか?」

の呪縛が悶々とするなか、楽しいことやまあまあ苦しいことを続けている。


でもね 生活のなかでこれは!って発見できることも多いんだ。

この前下向いて春巻き作ってたらふと、自分が舌んべって犬みたいに出してるのに気付いてやばいかよ〜!って誰かに報告したくなったこととか、

歯磨きのうがいを超反り背でやったら起き上がった瞬間鼻からめっちゃ水出たこととか(無意識です)、

SNSの投稿で変なツボ見つけちゃって帰り道に一人でふふふって笑っちゃったこととか、

アジトみたいな自分のベッドで ラジオ聴いて唐突に吹き出したりとか、今月はこの新譜が良かった!とかランキング作ってみたり、そういう ちいさなしあわせ を見つけれてるだけでもだいぶ楽しんでるうちに入るのかもしれない。


たぶんだけど私たちは日々、目標を掲げてしっかりしているように魅せることや、恥ずかしくて怖くて誰にも会えないなんて責め立てる義務感を背負いすぎてるのかもしれない。

そのくらい、周りの人たちを失望させたくなくて、敬意を持って接していけてるのかもしれない。

自分がどう見えるか また周りがどう捉えるか、ひとまず自分自身が心底楽しまなきゃうっきうきのハッピーウーマンにはなれないし、苦を超えるにもやってけないか!ってところでちゃんちゃんと落ち着きました。

いくらだって今の状況をポジティブにもネガティブにも変換できるなかで、私たちはどう生きるか。

私はどちらも取り入れたいな。