この記事は過去にさかのぼって綴ります。

今日は母の病歴について、お話しさせていただこうと思います。

母は成人病など何もなく病気とは無縁でした。
私が子供の頃に父親と離婚していたのでバリバリ仕事をして元気そのものでした。

平成13年、夏ごろでしたが、ふと自分で触れた乳房にしこり見つけ、乳がんが発覚しました。

乳がんの方は全摘はしましたが、特に抗がん剤治療も放射線治療もホルモン療法もなしで回復しました。

遺伝性乳がん卵巣がん症候群、知りませんでした。疑いもしませんでした。

卵巣がんを発病するまでも乳がんのアフターフォローはしっかり受けていましたし、全身検査も半年に一度は受けていました。

乳がん罹患後、私(娘)の乳がんはありましたが、母自身、体は元気で孫のお世話などお願いしていました。

その後、乳がんから8年後に卵巣がんが突然の体のきつさと胃のむかつき、食事が取れない等の症状にて発覚しました。

発覚した時は手遅れの一歩手前、手術は行いましたが全てのガンは取りきれず、あとは抗がん剤頼みになりました。

幸い抗がん剤がよく効き日常生活を送れるように回復してましたが、やはり耐性ができ抗がん剤が効かなくなる、新しい薬に変えるの繰り返しで使える抗がん剤がなくなってきました。

抗がん剤をやめるとがん細胞が活性化するため肝臓に転移、肝臓の手術も行いました。

最後の抗がん剤を使い終わり無治療となった時、一気にがん細胞が暴れ出し、肝臓、肺等全身に広がってしまい、それからはあっという間でした。

最後の苦しむ姿を看病するのは、とても辛かったです。
あれだけ肝っ玉母ちゃんだった強かった母が骨と皮になり黄疸で真っ黄色になり、体はやせ細っているのに、腹水でお腹はパンパン。浮腫みで手足はパンパン。

最後は相変わらずの罵声で幼かった孫たちをウルサイ!と怒鳴り、子ども、孫がいる日曜日を選んで亡くなりました。

最期の最期まで私(娘)に卵巣がんの心配をしていた母。
母の病気を一緒に見て経験してきた私は卵巣がんの発見の難しさ、完治の難しさ、恐ろしさがわかります。

母が亡くなり、時が経つにつれて自分にも降りかかってくるのではないかという恐怖が増していきました。

その頃やっとアンジェリーナジョリーさんが乳房予防切除を受けたとの情報が入り、やっと私も遺伝性乳がん卵巣がん症候群を知ることになるのです。

知りはしたものの、まだまだ日本では検査機関も少ないし私も詳しくは調べようとはしていませんでした。

自分の乳がんのアフターフォローとともに、子宮ガン、卵巣がんの検診は行なっていましたが、2回目の乳がんに罹患後、お医者様のお話を聞き、私が高リスクであること。遺伝子検査をするしないの前にカウンセリングを受けてみたら?と助言いただき、幸い近くの病院でカウンセリングがあるとのことで紹介していただきました。

病院自体が嫌いで怖くて行きたくはないのだけど、生きるために!運命は仕方ないのです。
しっかり受け止めて通っています。

家族以外にもお医者様、看護士さん、職場の方々、親友。こんなちっぽけな私にみんな一生懸命考え解決しようとしてくれる。

どうして私がこんな遺伝してしまったの?子どもたちの遺伝も心配です。
でも運命は変えられないですよね…母が亡くなって6年半、卵巣がんに罹患したのは9年前
その数年前にはわからなかったことが今は分かる、医学の進歩はすさまじいです。分かるようになったから私も予防的措置が出来る
それだけでも有り難いと感謝しなければと思います。

卵巣卵管予防切除しても腹膜ガン等のリスクは避けられないようですが、しっかり検診を受けて母の分まで前を向いて生きていこうと思います。