私の「過去の教訓」とは、

ズバリ、長女こけしの登校しぶり。

長女が2年生の冬、社会はコロナ禍に包まれ、

休校措置が取られました。

「行きたくない学校に行かなくてもいい」

「みんなも学校に行っていない」

この状況は長女にとって安心して学校を休める理由となり

休校期間中に彼女が口にしたのは、

「そろそろ学校行きたいなぁ…」

という言葉でした。

この子からそんな言葉が出るなんて…

驚いたけど、彼女にとってはこの休養が

本当に必要なことだったんだなと

私の中に植え付けられました

 

新学年を迎え、ようやく休校が明けると

長女は、新しいクラス・新しい先生の輪の中に

まるでずっといたかのように馴染み、

毎日楽しそうに登校するようになりました。

 

過去の教訓

次女が学校に行きたくないと訴えてきたとき、

2週間くらいは毎朝行くか行かぬかのやり取りをしていましたが

そのやりとりに、次女も私も疲弊していることを

私自身が感じ、長女の時のように、

自分から行きたくなる時がきっと来るだろうと

「しばらく休養してもいい」と次女に伝えました。

これによって次女は、「学校に行かない選択」をしました。

 

SNS作用

一人に試した方法でうまくいったと感じたとき、

もしくは失敗したと感じたとき

どうしたって私たちは、

他でも通用すると考えてしまうもので

きょうだいだって、全く別の人格なんだから

当てはまるわけもないのに試みてみようとしたり

更には他人にまでそのやり方を広めようとしたり

逆に否定したり…

SNSで「不登校」について検索してみると

「あぁ、うちの子と似てるな」とか

「あぁ、このお母さん頑張ってるな」とか

無意識のうちにそういった投稿を

自分と似ているのか、そうじゃないのかで

分別しているような感覚があるなと

感じるようになりました。

そして私は、SNSを開かなくなりました

 

「あるある」を見つけては

仲間意識みたいなものが芽生えることも

実際にそれで励まし合ったり

見守り合えたりすることも事実。

それは子どもが小さい時に

身をもって体験している。

けれども私は、今はSNSを閉じて

ただ目の前にいるわが子たちと遊ぶこと

自分にとって、身になる学びに

時間を投資することに決めました。