東のEloundaを後にし、西の Chaniaへ移動〜。Chaniaから飛行機に乗って帰るから、空港に近い所に泊まっておきたかったのと、人気の街らしいChaniaの街をみておきたかったから。その道のりは3時間もあるので、途中でヘラクリオンにあるクノッソス宮殿跡に寄りました。

 

神話時代の話になってしまい誰が本当に建てたか分からないくらい古い宮殿だそうです。1回地震で壊れたから、また新しいの建てたやつみたいです。

 

クノッソス宮殿についてwikiから一部抜粋しますと、

 

農耕と牧畜の発展に伴い、紀元前7000年頃からクノッソスに人々が住み始めた。富の蓄積によって富裕層が生まれ、紀元前2000年頃、クノッソスを含むクレタ各地に宮殿が建ち始めた。

 

ミノア文明下で儀式や政治の中心であったと考えられている。宮殿の一辺は160m以上あり、部屋は1200個以上、部分的には4階建ての建造物すらもあったとされる。後のミケーネ文明のものを遥かに凌ぐ規模を持つこの宮殿の最大の特徴は、何よりも中央広場。この広場とそれを囲むようにして重要な施設が配置されている宮殿の構造は、高度な官僚機構と強い王権の存在を示している。また、巨大な倉庫を備えていたのも重要な点で、ここから宮殿が支配領域内の物資を集積して再配分する機能を持っていたと考えられている。

 

クノッソスはクレタ島において最も力のあった地であり、クノッソスをリーダーとするミノア文明の影響は海外にまで及び、キクラデス諸島やドデカニサ諸島、キプロス島や、ギリシア本土、シリア、パレスチナ、エジプトすらもその影響下にあった。

 

各地にミノア文明の別荘まで作られ、その構造は宮殿を模倣したものであった。クノッソスには城壁が無いが、その代わりに世界最強の海軍を有しており、サントリーニ島から出土したフレスコ画には、強大なミノア艦隊の交戦場面が描き出されている。ミノア文明は東エーゲ海を支配し、当時世界最高水準の文明であった。

 

しかし、巨大な災害により、ミノア文明の全盛期にも終わりが訪れる。巨大な地震によりクレタ島に繁栄した大半の宮殿は消滅してしまう。クノッソス宮殿は生き延びるものの、もはや全盛期の力は残されていなかった。とのこと。

 

紀元前7000年って、想像もつかないくらい古い。とにかくギリシャの歴史は古いんですよ。前来た時もそう思った。エジプトだローマだなんて、まだまだ若いって感じ。

 

しかし凄いですね、こんな小さな島なのに一時はあのエジプトすらも支配下に置いてたくらいの文明の中心地だったとは。。でもあっさり地震でやられてしまったなんて。。

 

紀元前2000年くらいの宮殿だし、地震で崩壊してしまっただけあって、ほとんど何も残ってませんが何となくの雰囲気は感じます。発掘された貴重な出土品の実物は博物館にあるそうで、時間がある方はそっちを先に見て知識を得てからの方が理解が深まると思われます。また、行ってないけど、島の南の方にもここより小さめの宮殿跡があります。

 

とりあえず宮殿跡〜

 

階段の幅も広く、使い込んだ感もあり壮大さを感じます。

 

定期的に修復やペイントはなされていると思います。

 

この部屋が一番人気でした

 

描いてあるのは鳥の頭でライオンの体みたいな変な生き物

 

こういう柱が特徴的な神殿だったと思われます

 

上記の壁画の2階の様子

 

この壁の向こうに描かれているのは、、

 

牡牛

 

昔、巨大なのが居たのか、ギリシャ神話のヘラクレスもこの牡牛だか牡牛と人間のあいの子と戦って退治したとか言う話があるようです。

 

なんかエジプトの壁画にも似た感じは、このミノア文明の方が先でエジプトはその影響だったと思われます。

 

石造りの家はユラユラ揺れませんから、地震にあったら崩壊しかないですね。一部でも残ってるのは凄いかも。

 

こう言うツボがいくつもあって、大きなものは2mくらいありました。物資を貯めてた入れ物でしょうね。

 

壺だいじ〜

 

1時間半あれば十分見られました。とにかく暑いので水は持ってた方が良いですよ。飲食できるところはあるので、ジュリは最後にアイスコーヒー飲んでましたけど。

 

お土産屋さんで見た鳥の置物のレプリカ〜

 

以上、クノッソス宮殿でした。