昨日に引き続き、もう1つ江戸時代のビデオでご紹介したいものがあります。それは江戸人の老後の過ごし方。なかなか楽しそうなんですよ。

 

 

江戸時代の人って短命というイメージがありますが、それはまだ子供の頃に亡くなる事も多かったから平均寿命が短くなってるだけで、一旦大人になってしまえば、今の私達と変わらないくらいの長生きの方も多かったようです。だから老後の過ごし方は大切。

 

この浮世絵で有名な葛飾北斎も自分はまだまだ上手くならねばと描き続け、この有名作品を描いたのも70代だったそうです。70代になるまでに描いた作品は実に取るに足りないものだと言い、70代半ばで更に精力的に描いたそうです。

 

 

何故か年齢の切り方が微妙なんですが、86歳になったらますます腕は上達し、90になれば奥義を極め、100歳に至ってはまさに神妙と、富獄百景の後書きにも記していたそうです。100歳は無理だったけど、生涯現役で90歳で亡くなるまで描き続けたとのこと。

 

 

伊能忠敬も現役時代は千葉の村役場の役人として働いた後、50歳で定年。定年後に江戸へ出て趣味に没頭。趣味が高じてと言うか、趣味で勉強した測量の技術を活かし、50代半ばから70代に全国各地を巡っては測量しまくり、「伊能図」と呼ばれるかなり正確な日本地図を作ったのだそうです。

 

 

当時は45歳までに一生困らないだけのお金を蓄え、50代くらいで退職し、その後は隠居暮らしを楽しむと言うのが理想だったそうです。井原西鶴も「若き時 心を砕き身を働き 老いの楽しみ早くしるべし」と言う句を残してるそうです。

 

まぁ、それは比較的裕福な方の場合だったんじゃないかと思われますが、江戸の場合は年取ってからのアルバイトも充実していたようです。

 

 

また、年老いてからは、儒教の影響もあり親孝行が高く評価されており、子供は親を亡くなるまで大切にしていたようです。

 

江戸では5人組と言うシステムがあり、近所の5軒1組くらいの人達が家族のように色々と助け合っていたそうです。なのでお一人様や子供が居ない人は、5人組が相互扶助。なんかその心の余裕、素敵ですキラキラ。身体が不自由な方や70歳以上の高齢者など、5人組でも足りない場合は、町の積立金でお世話されていたようです。

 

現代では数も多いし、老害などと言われておりますが、当時は老人はその豊かな知識や経験故に大切にされる存在だったようです。老いる事自体も楽しんでいたそうで、なんか充実して理想的な社会って印象ですね。それだけ国が安定していたって事でしょうか。

 

 

かいつまんでご紹介しましたが、他にも色々言ってるので興味がある方は元ビデオさんの方で楽しんで下さい。