マチュピチュと言えば知らない人は居ないペルーの遺跡。どうやって富士山より高い何も無い所に高度な技術の建物を建てたのか、何の為かも謎な遺跡です。

 

 

上記のビデオ様によると、文字を持たない文明だったので、記録が残ってないらしいですが、伝説はあるんだそうです。

 

 

興味深いのは、皇帝一族の子孫は現存していて、その子孫さんが2014年に「インカ帝国を作ったのでは日本人であると言い伝えられてる」と言って、ちゃんと根拠もあるんだそうです。

 

 

皇族は一般の民には分からない皇族だけの言語を話していたらしいのですが、それが日本語だったのではと思われるとの事。と言うのも、王族言語は庶民が話していたケチュア語やアイマラ語では意味をなさないが、昔の日本語では意味をなすからだそうです。

 

ペルー国立図書館には、日本とインカ帝国を結びつけるような本もいくらかあるそうです(一般には非公開)。

 

言語学者が書いた「インカ帝国を作ったのは日本人だった」と言うタイトルの本の表紙は以下で、

 

 

え?「マナコカッペ?」って、一瞬思いましたがそうではなく、以下のように初代皇帝さんのお名前を指していると言われてるそうです。

 

 

カッパの眼なんて高貴な感じがしないお名前なので、こじつけた当て字かなぁとも思いますが、100歩譲ってそこは追求せずに続けます。

 

この初代皇帝マンコ・カパックさんが降臨したとされるチチカカ湖の名前も日本語由来と言ってます。

 

 

インカ帝国のインカも日本語の

 

 

で、昔日本では一般的な言葉だったそうです。その意味は「許可する」で、

 

 

と結びつけています。ホンマかいな〜

 

また、今でもインカ帝国の暮らしを守り続けているマティンガ村の伝説には「太平洋の彼方からやってきた神が王国を築いた後、いつか必ず戻ってくると言い残して、海へ旅立った」との事です。この伝説はインカ帝国を征服した時スペイン人が調査し、記録も残されてるそうです。

 

う〜ん、海から来たって、めっちゃ遠くないですか?地球の裏側ですよ。私がメキシコのマヤ文明について大学でクラス取った時、マヤ人やアメリカンインディアンもアジア人っぽいですが、その祖先は氷河期にユーラシア大陸とアメリカ大陸が北極に近い上の方で土地が繋がってる時に、アジア圏から歩いて来たのだろうって話でした。

 

それはさておきインカに戻りますと、日本人に多いとされる遺伝子型の「ハプログループ」と同じ遺伝子を持つ人達が、何故か南米の海岸部のみに存在との事。おぉ〜キラキラこちらはもっと研究して欲しいですねキラキラ

 

サラッと軽く面白かったので、気が向いた方は冒頭のビデオで全貌をお楽しみ下さい。また、そのビデオでも紹介されてありますが、遺跡に行く時必ず通る「マチュピチュ村」も興味深いです。

 

初代村長は日本から来た「ノウチ」さんと言う方で、それはマチュピチュの遺跡が発見される前の話。「マチュピチュ村」に関しては以下のビデオも興味深いです。