最近やたらたとヨーロッパは移民に関するニュース続出。特に、ボート転覆で100人以上溺死とか、移民中のトラックに詰め込まれたまま、移動中に死んで70人以上のシリア難民腐乱死体とか、本当に悲惨です。

以前、どっかのニュースで見ましたが、昨年1年で移民が4倍に増えたドイツのメルケルさんが「ドイツ最大の問題は移民だ」と言ました。でも、ドイツはまだマシじゃないかと、以下を見て思いました。

ちょっと古い記事かもですが、こちら より抜粋

「欧州」=白人、キリスト教がマジョリティという時代は終わろうとしている。

欧州は、2050年頃にはキリスト教文明圏ではなく、イスラム教圏になってしまうだろう。なんといってもイスラムの人々「出生率」が違いすぎる。

1990年から現在にいたるまで、欧州の人口増加の90%はイスラム移民によるものだ。

1、フランスの場合
フランスの出生率は1.8人。イスラム教徒の出生率は、8.1人。

2027年、フランス人の5人に一人はイスラム教徒に。

39年後(2048年)、フランスはイスラム国家になる。
(過半数がイスラム教徒になるということだ。)

2、イギリスの場合
イスラム教徒の数はここ30年で、8万2000人から250万人まで30倍増加。

3、オランダの場合
新生児の50%はイスラム教徒。15年後、オランダはイスラム国家になる。

4、ベルギー
人口の25%はイスラム教徒。新生児の50%はイスラム教徒。

5、スイス
スイスのイスラム系移民は1980年代には5万人台だった。その後、旧ユーゴスラビアやトルコから流入し、現在では30万~50万人とされる。国内のイスラム関連施設は130~160カ所あり、このうちミナレットは4カ所に設置されている。


ドイツ政府によると、現在欧州には5200万人のイスラム教徒がいる。それが20年後には、1億400万人まで増加

2050年、欧州各国はイスラム国家に変わる


との事。因に、イスラム教とイスラム国は、全く別物ですので、混同がないようにお願いします。

こちらの分布図 では、イスラム教国家分布とイスラム教人口の分布図を見られます。中東と北アフリカは当たり前ですが、パリやロンドンも凄いイスラム人口ですね。あと、中国は知ってましたがロシアも結構いるんですね。

どっかの予測統計で、今後移民が最も増えそうなのはノルウェーで、スイスも3番目でした。スイスに限っては、あと15年で16%増えるとか。。今でも人口の3割が移民ですが、それが半分くらいになるってことですね。そのうちの何割がイスラム教かは調べてませんが、イスラム教徒が主に増えるのは間違いないですね。

以前も移民の話は書きました。その時も言いましたが、別に移民して、そこに馴染めばみんな仲良く暮らせるでしょう。

でも、一般にイスラム教徒は馴染まずに、あくまでイスラムの価値観を貫き、現地に問題を作る種として嫌がられています。行った先の国々で、犯罪が増えたり不調和をもたらし、社会不安の大きな一因だそうです。

個人的には、一度もイスラム教徒と話した事すらないので、なんとも言えませんが。。

いずれにしろ難民達は、どこから来た人も、とても私達が想像もつかないような生活をして来て、命がけで移民して来るのがほとんどです。自分が食べ物を獲得するには、何でもありの極限状態を生き抜いた末にやって来るのがほとんど。

ひどい話ですが、子供も生きる為には、例外ではありません。それを垣間みたのは、ジュリの学校での体験でしたね。

始め、フランス語強化と言う事で、外国人だけのクラスに入ったときにジュリはこう言ってました。「暴力と嘘と盗みが普通の世界なんだ」って。。
ジュリのクラスは、ほとんどイスラム系難民ではありませんでしたが、みんなそれぞれにひどい生活からの脱出者でした。

例えば14歳のアフガニスタン人の子は、父親は殺され、母親と逃げて来たそうですが、14歳にして
今回生まれて初めて学校に行くのだそうです。初めて覚えたフランス語は「お腹すいた」だったそうです。

の痛む話です。それはジュリもとても気の毒がっていました。しかし、今まで自分がいた環境とは180度違い、その
暴力と嘘と盗みが普通と言うすさんだ環境に、ジュリは心身共にやられました。それも一つの原因として、結局公立の学校は断念し、新学期からは私立に入れました。

今はインターで普通の学校生活に戻りましたが、世の中の実情を垣間みる、凄い体験させてしまったと思います。スイスには色んな意味で、今までとの対極を体験しに来ているのは分かっていますが、ジュリにはそんな事は理解できませんでしたから。。

近年は、シリアからの難民がもの凄く増えたので、イスラム教徒の移民の激増に拍車がかかっている訳ですが、その原因のシリアの内戦も、また天皇派と教皇派の領土争いと分かって、驚きました。

こちら より抜粋:

「自由シリア軍」は反アサド。「イスラム国」も反アサド。なのに、彼らは互いに戦っていた……。普通なら一体どういうことかと思いますよね。

しかし、実はここにも裏社会のカラクリがあったわけです。

「自由シリア軍」は「教皇派」の傀儡であり、「イスラム国」は「天皇派」の傀儡だった。だから「自由シリア軍」は本当にアサド(天皇派)に反逆し、「天皇派」がこれに怒って「イスラム国」という仮面を被りながら「自由シリア軍」を叩きつぶそうとしてきたわけです。


上記の見解の裏付けは、長くなるので転載しませんが、興味がある方は、上記のリンクのサイトでどうぞ。

更に
こちら では、あの難解なイスラム国の事もスッキリ分かります。

昨日は「天皇派」と「教皇派」が、いかに互いに中東で激しい抗争を繰り広げながら、その事実をうまく我々庶民に隠してきたか、そのカラクリを簡単に解き明かしてみました。

「イスラム国」を口実にした「天皇派」と「教皇派」の戦いのカラクリについて。

とりあえず昨日の記事をざっと簡単に要約すると以下のようになります。

先ずアメリカ(教皇派)が「アルカイダ」を作り、色々と世界で悪さをはじめた。「天皇派」はこれを危険と見て、アルカイダ内部に侵入して破壊・解体しようと試みた。

そのため、「天皇派」は先ず「イスラム国」というテロ組織を作り、本物のイスラム過激派である振りをして、アルカイダに近付いていった(イスラム国の結成は2006年)。

で、「アルカイダ」はまんまと騙されて「イスラム国」を味方として招き入れた。

しかし、あるときから「アルカイダ」も「イスラム国」の正体に気付き、「イスラム国」の乗っ取り、解体に乗り出した。その結果、「イスラム国」の中で激しい内部抗争が起き、「イスラム国」は二つの勢力に分裂してしまった。

その結果、片方が「ISIS」と呼ばれ、片方が「ISIL」と呼ばれるようになったのかも知れません。で、この二つを総称して「IS」と呼ばれているのかも知れません。(「ISIS」はエジプト神話(太陽派)の女神の名前で、教皇派はこの名前を使いたくなかったため。)


以上。第一次、第二次世界大戦共、ろっくとろす天の争いでした。戦争は全て彼らの争いが原因、そしてその結果の移民問題。社会不安を増すと言う、これも計算に入れての争いなのかもしれませんね。

アメリカは住み分けがハッキリしていましたが、スイスは比較的収入がある町や村は、逆に移民受け入れサポートがあったりで、移民は広く混在しています。オランダ、ベルギーもそうだと聞きました。

一番可哀想なのは、国を追われた移民本人達。それに私自身も難民ではなかったけど、スイス人にとっては移民だし、差別は絶対にいけませんが、こうした社会変化の実情や、事件に巻き込まれない為の注意は、今後増々必要になるのかな~と思う今日この頃。

アメリカの方がずっと危機感無しで、みんなハッピーで楽しかったな~。