この頃チラホラ大きなクリスマスツリーを積んだトラックを見かけたり、今日は私が車中いつも聞いているラジオのステーションが、クリスマスソングのみに切り替えたので、気分は一気にクリスマスになりました。ジュリもそれを聞いて、「I love Christmas!」とか言っています。音楽って人の気分を変えるのに、とても大きな影響があるなと思います。

さて、前記事の続きみたいになっちゃうけど、もう一つ。。パパがコーヒーのお伴として食べられるような、イタリア製のビスケットを買っていたら、
数日前ジュリがバリバリ食べまくっていました。この手のビスケットはヨーロッパでコーヒーを頼むとよく付いて来る物で、これは直系2cmくらいの小さな丸い物でした。

苦いコーヒーと合うように出来ているので、甘いです。だからあんまり食べて欲しくないもの。ジュリに、「それはコーヒーのお友達(お伴と言っても分からないので)だから、そんなにバコバコ食べちゃだめよ。」と言ったら、「え~!コーヒーには、お友達が居たの!?」と大変驚いていました。

そしておとといフミちゃんが来たとき、「フミちゃん、知ってた?コーヒーってお友達が居るんだよ。見たい?」と言って、得意そうに例のビスケットを見せていました。

この、言われた事そのままに解釈するって、ジュリがとか子供だからと言うより、実は遺伝なんだと思います。パパにたとえ話とか、こんな風に物事を例えて言ってもなぜか一切通じないからです。

「これは例えば~~と同じような事よ。」とか言って説明しても、「例えば」と「と同じような事よ。」の部分は聞いていないのだと思われます。「これは~~よ。」と頭に入っていくようで、「そんなはずは無いだろう。」とか「君は頭がおかしい。」とかの反応です。未だかつてたとえ話をたとえ話として理解してもらえた事がありません。ジュリもそんな大人になるんでしょうか?

又今朝は、みそ汁をしばらくそのままにしていたら味噌が沈殿し、上澄みと分かれてしまいました。それをしげしげと見て、「みそ汁に何か沈んでいる」とジュリが文句を言います。「それは味噌が沈んだの。みそ汁のキャラクタリスティック(特徴)なの。よく混ぜて食べて頂戴。」と言いました。

キャラクターには色々意味があり、性格(キャラ)という意味でもよく使われます。ジュリは、それを「みそ汁の性格」だと思ったらしく、「みそ汁にも性格があるんだ。すご~い。この世はなんでもありだなぁ。」ってなんか悟っていました。

やっぱりこのまま大きくなったらマズイでしょう。