ブログの説明にも堂々と書いている通り、私は「育児」が大っキライ。
でも、これ、実は私にとって、ものすご~く大きなストレスです。
そんなことを言う母親の元に生まれて、子どもたちがかわいそう。
自分で産んでおいて、「向いていないから辞めま~す
」と投げだせない。
他の人のように「今だけよ、かわいいのは~
」と、楽しめない。
他の人の「子どもと○○に行った」とか「子どもと○○をした」という
楽しそうな報告を見聞きする度に、
とくる。
「ママのストレスを下げる」本とか、「がんばらない」子育ての本とか、
「ママがイライラしないようになる」ための本なども読みました。
でも、どれもピンとこない。
「怒鳴る前に深呼吸をしてみましょう」
「自分が信じ切っている人に同じことをされたら悲しいでしょ?」
とか。
それだけ自分がコントロールできていたら悩んでなんかいないよ~![]()
気づいたときには怒鳴ってる
気づいたときには手が出てる
「そんな自分を受け止めましょう」
受け止めた。認めた。
「私は育児が大っキライ!」
で、また落ち込む。。。
きっとこれを聞いた人は眉をひそめるだろう。
そんなことを公言する私に母親の資格はない、と。
誰かに相談すれば、
「みんな同じよ~」
と言われるけれど、違うんだよ~
セルカンしてみよう。
STEP⑥で止まる。
私はどうしたい?どうなりたい?
自分を変えたい?
→自分にムリを強いる=余計にストレスが貯まりそうだからNG
今のまま、他人や育児書を気にしない自分に変わりたい?
→性格上、気にしないようにするのはムリだからNG
じゃあ、今のままでこれからも過ごす?
→ということはず~っと同じ状態が続くってことよね。NG!
う~ん・・・う~ん・・・
「セルカンは1度に全ステップやらなくてもいいんですよ~
」
というあな吉さんの言葉に甘えて、ここで思考停止。
そんなある日、床を拭きながら突然気が付いたのです![]()
「育児がキライ」=「子どもたちがキライ」ではないということ。
私は「育児」「母親」という言葉が嫌いなだけだと言うこと。
私は「母親」として「育児」をしているのではなく、
1人の「人間」として彼ら(子どもたち)と「共同生活」をしているだけ。
ただ彼らより○十年長く生きているからできることが多いだけ。
だから彼らのできないことを手伝っているだけ。
ま、世の中ではそれを「母親」とか「育児」というのでしょうけどね
でも、ようやくスッキリしました。
なぜ私が今まで
「ママが生き生きすると家庭も明るくなります」
とか
「ママのストレスを上手に解消しながら、育児を楽しみましょう」
という言葉に対して、異常なまでの嫌悪感を抱いてきたのか
わかりました。
私、「ママ」とか「育児」という言葉に反応していたんですね。
改めてSTEP⑥から再開!
私は今の私のまま、子どもたちと楽しく暮らしていきたい。
視点や考え方をちょっと変えただけなのに、
こんなにも楽になるものなの
というくらい、心が軽くなりました。
長男の誕生から5年半近く、ず~っとず~っと
「私に育児は向いていないんだ~
!!!」
と否定してきた自分を、初めて肯定できたのです。
もしかしたらそれは、何かで読んだわけでもなく、
誰かに言われたわけでもなく、
自分自身で見つけ出した答えだからかもしれませんね。
セルカン、もっといろいろやって修得して行きたいなぁ。