はじまり
ある日の朝。
階段を降りようとした時に、右足首に痛みが走る。
「運動不足かな?」と思い、気に留めなかった私。
それが間違いだった。
ここから人生が大きく変わっていく。
あなたは「余命25年」と言われて、長いと思いますか?
短いと思いますか?
私は、どちらとも思いませんでした。
澄んだ空。
ひんやりとした空気が、肌に当たる。
今日は、私の命に、タイムリミットが付いた。
「余命25年。」
25年って、長いのやら、短いのやら。
旦那さんの定年退職のお祝いは難しそうだなぁ…。
私は、「無」の心で空を見上げる。
不思議な事に、涙も出なかった。
「無」
その言葉がぴったりだったと思う。
「あぁ、今日も何て綺麗な空だろう。大好きなぬーじっちゃん。私、ママよりも早くそっちに行くことになりそう。」
こんなことが数年前にもあった。
大好きな私の自慢の祖父、ぬーじっちゃん。
家族を温かく、愛で包み込むことのできる人。
私が尊敬している人の一人だ。
大好きな祖父は、2月9日に旅立った。
「世界が終わった。」と思った。
あんなにも人前で泣いたのは初めてだった。
本気で世界が終わったと思っていた。
大好きなぬーじっちゃんがいない世界で、一体どうやって生きていったらいいのか…。
今も似たような気持ち。
私は、病と闘うことさえ許されなかった。
ただただ身体が衰弱していくのを、思い知るだけ。
まるで「死にながら生きているような感覚」である。
私は現在33歳だから、生きれたとしても58歳で旅立つことになる。
旦那さんを定年退職まで送り出してあげることも出来ない。
母より先に逝くのか。
介護もしてあげられないなんて、なんて親不孝者なんだろう。
母だけは、介護してあげたかった。
見送ってあげたかった。
あとは、せめて大好きな姪っ子の成人式を見届けたい。
あの子の未来を、夢見たい。
しかし、それも許されていないようだ。
どんな人を選ぶのか、どんな素敵な女性に育っていくのか。
見届けたかったなぁ。
母より先に逝くのか。
介護もしてあげられないなんて、なんて親不孝者なんだろう。
母だけは、介護してあげたかった。
見送ってあげたかった。
しかし、それも許されていない。
神様、あと何個心臓があれば、私はみんなと一緒にいられますか。