小春日和の11月21日(水)、私の所属する会のみなさんと、池田市五月山山麓にある「鹽増山 大広寺」を訪ねた。

山号の「鹽増山」の由来は、その昔、山の上に池があり海の干満に応じてその池の水が増減したことから名付けられたという。案内していただいたのは郷土史学会の会長さんです。

山門の屋根は段違造りで中央は入母屋造。左右は切妻造となった風格ある門でした。

「修行の妨げになる臭いの強いもの及び酒の持ち込み禁止」という意味の「不許葷酒入山門」と書かれた標柱を読んで門をくぐりました。

その裏の山門の屋根壁には白い龍が浮彫にされていました。

「昔、本堂西側にある弁財天祠の小さい池の水を山門の龍が出てきて水を飲みに毎晩のように来ていることに気づいた和尚さんが、龍の目の玉を白く塗りつぶしてみると、それ以後は飲みに来なくなった。」という言い伝えがあるとのことでした。

本堂前右手にある「牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)の碑」です。

池田の文化に大きな影響を与えた室町時代の高名な連歌師「牡丹花肖柏」です。大広寺の裏にあった「夢庵」でしばらく風雅な暮らしを送られていたとのことです。

鐘楼です。

中にある梵鐘(池田市指定文化財)は、池田市内で現存する最古のものです。

江戸時代における日本最大の財閥に発展した鴻池一族の墓石群です。

墓所は、大阪市中寺町2丁目の「顕孝庵」、兵庫県伊丹市鴻池の「慈眼寺」、大阪府池田市の「大広寺」、高野山「奥の院」にあるといわれている。

池田城主であった池田知正(中央の背の高い五輪塔)と三九郎(左端)の墓です。

小林一三夫妻の墓 ( 阪急電鉄創始者夫妻の墓)です。

宝塚歌劇団「宝友之塔」

(在団中・退団後に亡くなった宝塚音楽学校卒業生の慰霊碑)

大広寺への参道と大広寺の子院の1つであった陽春寺の山門。

陽春寺の庭園から見る大阪平野。

2時間ばかりの見学でしたが、興味深く学ぶことができました。