パドドゥが苦手。
女性をくるくる回したり持ち上げたりする、いわゆるサポートと呼ばれるものがどうも上手にならない僕は先日アダジオクラスに参加する機会を頂き、色々習ってきました。

とってもためになりました。

パートナーが行きたい方向、力を働かせたい方向に自分も力を加える。この時の力量は本当にちょぴっと。

ぎゅ!と女性を制御しようとするんじゃなくて、女性が行きたい場所に向かってほんのちょっとだけ手助けをする、みたいな。

なるほど。車の運転と同じだ。

アクセル、ガーン!
ブレーキギュイーーン!
じゃだめ。

車を制御、じゃなくて、車が行こうとしているところにすーっとやさし〜くアクセルを踏んでいく。

上手な運転手はあまりブレーキを使わないらしい。
これは上手にサポートするひとがあんまり女性をべたべたむやみに触らないのと繋がる。
僕はついついベタベタ触ってしまう。
ピルエットの時なんかは気づくと陶芸家がろくろで器でも作ってるかのように触っている。
ヤバイ。


一点に集中せず、周りを全体的にみる、ということも教わった。

やっぱり車の運転と同じだ。
いや、他にも色んなことに通ずる。

試験勉強。
漢字練習ばっかりやってるうちに、
薔薇、憂鬱、葡萄、、なかなか楽しませてくれるぜ、、
と変なスイッチが入りそのままやめられなくなり、他の教科に手が回らなくなった。

小学校の授業中、ノートを分かりやすく書こうみたいなことを言われて、
なるほどそうか、
と感化されたぼくはそれはもうノート作りに全力を尽くした。歴史なんかは織田信長の顔とかもう忠実に描いた。気づくと次の単元に入っていた。
授業に追いつけなくなった。

この2つの失敗の他にも、一点だけに集中してしまったが故に起こった悲劇はいくつもある。
それくらい物事を広い目で見ることは大事。


日々の生活で落ち込むことも悩むことも無数に出てくる。でもそんなことばかりに気を取られてないで常に視野を広げて前を向く。そして軽ーくアクセルを踏むように自分のペースを保ち、誰にも制御されることなく進んでいこうじゃないか、

今回のクラスではそんな、もっと奥深くて根本的な教訓が秘められていたのかもしれない。
上手に生きる術
みたいなものを暗示してくれていたのかもしれない。
考えすぎ?うん。まあもうちょっと聞いて。あとちょっとで終わるから。

上手に生きる術。
どんなスポーツも習い事も社会活動も突き詰めていけば結局はそこに行き着くような気がする。

例えばバレエではまずターンアウト!とか、ポジション!とか、基本的な事を習う。それがだんだん高度な技云々微妙なムーブメントのニュアンス云々、、と難しいことに発展して行く。そしてよく分からん、となる。
よく分からなくなると基本に立ち戻る。ノートを見返すみたく。ずーっとページを遡って行くとターンアウト、ポジションよりもっと前に、ジャポニカ学習帳で言うとページめくってすぐのところに載ってる「アフリカの生き物」的な場所に「上手に生きる術」があるんじゃないかと。そういうことを言っています僕は。伝われ〜、、



考えすぎた。
気づくとこんな時間。
他にやらなくてはいけないこともあったのに、、

また一点だけに集中してしまった、、

ほんと難しいよ。