今日はまずなんちゃって自叙伝から

 

 

社長が変わりどんどん肩たたきにあう社員

 

そして営業成績がよくないスタンドは閉鎖に。

 

会社のことを考えれば当然なのだけど

 

ただただ数字、数字に結果を求める

 

そんな思うように簡単に結果なんて出るわけでもなく

 

会議はパソコンで資料を作り

 

グラフなどを作成しろと・・・

 

私はまだ本社で仕事をしているからパワーポイント

 

エクセルなどは使えるけれど(今はもう出来ません)

 

現場マネージャー達は本を抱えにらめっこしながら

 

パソコンと戦う日々

 

社長はマネージャーは現場なんて出なくていい

 

裏で色々考え、いかに効率よく人を使っていくか

 

頭を使って業績あげることを考えろという

 

でもね、当時の私達は

 

マネージャーが率先してやり、その姿を見せて学ばせろ

 

そしてフォローに回れ

 

だったのよ

 

なにより人がいないからマネージャーであれシフトに入らないと

 

現場が回らない状況だったしね。

 

ましてや私なんて新事業で他にいないから

 

まともに休みすら取れない訳で・・・

 

でもなんとか頑張ってやってたのだけど

 

父親が入院して3ヶ月過ぎた時

 

夜中の2時半に電話が鳴る

 

病院からだった・・・嫌な予感

 

電話から聞こえてきたのはお父様が危篤です

 

今すぐ来れますか?だった

 

隼翔を起こし車で病院に向かった。

 

長男には電話したけれど出なかった。

 

3時過ぎに病院に着く

 

部屋に入ると院長先生が心臓マッサージをしていた

 

お父さん!

 

看護師さんが先生が心臓マッサージしてすでに10分です

 

それを聞いたら、もうこれ以上先生にしてもらっても悪いと思い

 

わかりました、先生もう結構です。ありがとうございました。

 

院長先生も手を止めて、わかりました。

 

時計を見て〇時〇分ご臨終ですと頭を下げた。

 

しばらく父親と隼翔と3人で

 

頑張ったね、つらかったねと手をさすり話した

 

その後、非常灯のついた廊下の長椅子で

 

看護師さんから父親の搬送の葬儀屋さんの話とか聞いた

 

まだ頭が回らず・・・そんな時隼翔が

 

お母さん、とりあえず家におじいちゃん運ぶだけにしよう

 

後は安い葬儀屋さんあるから、おれ調べるからと。

 

なんと心強い息子だよ。

 

父親は他の看護師さんが管など外したりと

 

エンジェルケアをしてくれてた

 

病院を出る頃には5時近かったのを覚えてる

 

こんな早朝に部長に電話するのも気が引けたのを覚えている

 

でも早く連絡しないと部長が家を出る時間になっちゃう

 

この日のシフトやら今後のシフトを考えねばならず・・・

 

部長は寝てたのを起こされちゃったけど

 

こっちのことは何とかするから今は父親の傍にいてやれ。

 

通夜、葬儀などの日程が決まったら連絡してと。

 

私は一人っ子だからすべて私が決めて行かないといけない。

 

叔母さんに連絡したり、父親のお兄さんに電話したり

 

家に父親と戻ってもやる事が多くて

 

涙もこぼれなかったよ。

 

でもね、日付が変わった頃

 

付き合ってた彼から遅くなっちゃったけど今から行っていいか?

 

車で1時過ぎに来た

 

ピンポーン

 

玄関を開けると彼が立っていて

 

無言で私を抱きしめてくれた

 

この時初めて声を上げて泣いた

 

彼はただただ私を抱きしめていてくれた。

 

このなんとも言えない安堵感というのか・・・

 

人の優しさと言うのか温かさ・・・

 

言葉に表せないけれど私の生涯で忘れることの出来ない時間だった

 

今日はここまで