おはよ~ございます。
まずはなんちゃって自叙伝から。
いつだったかな・・・
大晦日に大雪が降ったときがある。
この時は日付が変わる時に車で帰宅。
高速は通行止めだし下道で帰るしかなく・・・
職場に泊まることも考えたのだが
父親ことがあり、どうしても家には帰りたかった。
1人車の中で泣きながら雪道をノロノロと帰った記憶がある。
病院から無理やり退院させられた感じの父親。
本当に肺炎は治っているのだろうか・・・
訪問介護の方も決まってたので何かあれば連絡出来るし・・・
デイサービスにも週に何回か行くことが決まってた。
お風呂にも入れるとのことだった。
とりあえず元気ではあるので私も仕事に出かけた。
しかし数日後会社に郵便局から電話だと。
もしもし、○○です。
こちら○○郵便局なんですけれど(家の近く)
今お父様が手提げ金庫を持って来て、開けてくれと。
うちでは出来ませんと言ってるのですが
俺のお金がここに入っているからと開けてくれと。
郵便局の方も困り果てて私に連絡してきたのだ。
私も急いで帰ることにしたがどんなに急いでも1時間半近くかかる。
そこで先日契約した訪問介護の方に連絡をし
父親を迎えに行ってもらうことに。
私が帰るまで家にいてくれることになった。
無事に父親は郵便局から自宅に戻り
私も帰宅。
この手提げ金庫は父親の年金のお金とかを入れておいたのだ。
と言うのも長男が父親のお金を勝手に使いそうな感じであったので
それを防止するためにね。
もちろん父親にもちゃんと話はして、了承してた。
なんだけど忘れちゃったようで・・・
その夜、父親は私に殴りかかり、この泥棒~と。
こんな悲しいことはなかった。
仕事でめいっぱいだけど父親や家族を大事にしてきたはずが
泥棒~呼ばわりされてね・・・ショックだった。
夜中3時に雨戸をあけて、朝ごはんはまだかと起こされたり
日に日に父親の認知症は進んでいった。
だけど私も仕事は休めるはずはなく・・・
私も心身ともにぼろぼろだったけれど
こんなんで負ける私ではない。
家のことも仕事も手を抜かずやってた。
父親が退院してから2週間後くらいだったかな。
この日はファイナルプランナーの試験日
朝父親が起きてこない。
起こしに行くと意識がもうろうとしていて
額に手を当てたらめっちゃ熱い。
呼びかけにも反応が弱い。
これはヤバイと救急車を呼ぶ。
受け入れ先の病院
救急隊員の方に事情を説明し、前回入院した所は行きたくないと・・・
そうなると受け入れ先が難しいのだが
なんとか地元で割と近い所で受け入れてくれることに。
私も救急車に乗り病院に。
今日はここまで。