今日はまずなんちゃって自叙伝から。
どこまで書いたかな・・・・
時系列にずれがあるかもしれないが
自分のやってきたことをここに残しておく。
2002年 4月 家の建て替えも終わって
ジャックとラブとトトロと新生活も始まってたね。
父親も新しくなった家をすごく喜んでくれて
少しは親孝行できたかな~と思ったよ。
新事業1年過ぎて落ちつき私も通常勤務に。
父親は最初の入院で認知症が少し進んだ感じはあったが
まだ日常生活にはさほど支障もなかった。
そんな時会社が新事業2店舗目を出すと言い出し・・・
新しい人材の募集から始めるわけで・・・
当然軌道に乗るまではまた私が教育、指導にあたるわけで。
それは最初の店舗からさらに車で30分走らせないといけない。
もう地獄のような日々となる。
それでも家のことはおろそかにはせず・・・
ジャックとラブ、トトロがいてくれたから乗り越えられたのかもしれない。
そんな時最初の店舗のマネージャーが
もう無理だ、僕は辞めると。
その気持ちはよく分かった。
だってガソリンスタンドのマネージャーとして仕事してたのに
いきなり新事業のマネージャーもやらなければならず
そして一番苦しめたのは24時間営業ってこと。
スタンドも新事業も24時間。
クレームがあったり・・・休みでも休んだ気がしない。
それは私も同じだった。
本社お偉いさん達は現状なんてわかってないからね。
マネージャーが辞めるとなると・・・
おのずと私がやらなければ営業できない。
新しいマネージャーの子が出来るようになるまでと言われ・・・
店を閉めることは出来ないので引き受けた。
父親が体調を崩し2回目の入院となる。
しかし1週間後に病院から電話
父親の行動に迷惑しているので転院してくださいと。
急いで病院行くと
ハサミでシーツを切り刻んだと事務の方はいう。
そして後日シーツ代は請求させていただきますと。
でも肺炎はまだ治ってませんよね?と聞いたら
もう大丈夫です。医師からも治ってるとのことです。
病室に行って退院の片づけをして
お隣の付き添いの方にお世話になりましたと
ご挨拶したら、お父さんハサミでなんてシーツ切ってないよと・・・
ど~ゆ~こと
私も父親がそういうことする人とは思えないんだけどね・・・
おそらく認知症が進んで手がかかると言うことなのだろうと。
とりあえず、私も昼間は仕事でいないから
訪問介護なり探して父親を看てもらわないと・・・
その日のうちに探した。
今日はここまで。