今日もまずはなんちゃって自叙伝から。
原因わからずの病気となった母
血小板の輸血をするのだけれど足りなく
知り合いに声をかけて輸血に協力をお願いした。
その中に私が高校の時、草野球チームのK君がいた。
K君は私と同じ歳なんだけどね
見た目がもう志村けんさんみたいで、しかも話し方も似てて
絶対歳ごまかしているでしょう~みたいな雰囲気だった。
高校の時からどこか大人のような感じでね。
高校時代、K君は私に好意を抱いてくれてたようなんだけど
私には彼がいて・・・
彼が死んだ時、私を心配してくれてたんだけど
その頃K君には年上の彼女がいてね。
だから甘えることもせず・・・
でも母親とK君はお互いに色々相談してたらしい。
なので輸血をK君とそのお友達にお願いをしたらしい。
父親は定年退職後、百貨店の警備員として再就職したのだが
母親が入院時には、仕事の帰りに病院に寄り
洗濯物を交換して帰宅。
食事はお弁当を買って食べてたようだ。
そんな父親の姿を見て、私の父親に対する気持ちは大きく変わった。
母も悪いけれど、父親が一番いけないんだと思ってたが
違ったね・・・
入院中でも悪態つく母親だったようだ(おばさんから聞いた)
でも父親は変わらず仕事後に病院に寄り帰宅。
帰宅して洗濯してまた翌日持って行くことをしてたようだ。
母親が退院して家に居た時に
旦那と子供連れてお見舞いに。
旦那にはお見舞いと言うことで一緒に来てもらったが
私の目的は違ってた。
事前に母親には旦那の暴力があり離婚をしたいと。
2人で話すのは危険だから親の前で話がしたい。
出来れば叔母さんもいてもらいたいと・・・
そしていよいよその時が・・・
机を挟んで母親と叔母さん。な~んと親戚の叔母さん2人もいた。
旦那と私が並び・・・・
もう暴力には耐えられない。
両親は子供の為に別れないという選択をしてたが
私は親が喧嘩ばかりして暴力したりは
子供の為にも良くない。言いたいことも言えないなんて
夫婦でいる意味ない。だから別れたい。
ここにサインして欲しいと離婚届けを机の上に。
旦那はびっくり。
色々手を上げちゃう理由を並べてたが
母親や叔母さんから手をあげることは許されないことと。
でも納得いかない旦那。
そこで少し別居してみたら?という話になり・・・
でも私の中では無理という思いが・・・
ならばとりあえずこれは書いて。
そして別居しても暴力が直らなければ
即これを役所に出す。
それならもう一度チャンスをあげるということで
旦那も納得した。
そして書いてもらった離婚届は母親に預けることに。
こうして11月から別居生活が始まったのだ。
病気の母親には申し訳なかったが
でもやっぱり最後守ってくれるのは親なんだなぁ・・・と
その時思ったよ。
だから自分も子供を守るために頑張らなきゃと。
別居中も夜のお仕事を頑張ってた。
その頃には月収が40万とかになってたよ。
もっと稼いでる人はいたんだろうけれど
酒も飲まないのに子供二人いるのに・・・私的には高収入と思えた。
それが私の背中を押すことになったんだと思う。
今日はここまで。