場には喫煙ルームなるものがある。フロアではそこでしかたばこが吸えない。


「昔は席でみんな吸ってて、その灰皿の片付けは女性の仕事だったのよぉ~」と年配の女性がランチタイムにしみじみと言う。

「喫煙者ずいぶん減ったよね」と別の女性。

「いっそみんなやめてくれればいいのにね~!」と誰かが言うと、その場にいる女性全員が激しく同意。

たばこってほんとヤダ!と口々に言い、私も一緒に頷いている。

 

でも頷きながら私は頭の中でこっそり考える。

たばこの煙は嫌いだけど、キスした時にほんのりと香るタバコの味は好き。

もちろん口には出さないけど。

 

ふいに嫌煙談義の声が遠くなり、脳内でヘビースモーカーだった男との甘いキスが自動再生。

「あれっ? なんだか甘い味がする」

「ああ、なんか突然気が向いてバニラフレーバー付きのたばこを買ってみた」

甘いキス、っていうのは修辞的用法じゃなくてほんとに甘かったの。


手をつないで歩いた懐かしい路地裏の風景が思い出されて、密かに嫌煙談義からいち抜けしている。



 タバコ タバコ タバコ

の実家は周囲が山に囲まれた谷あいにある。

子供の頃はよく山に向かって叫んでこだま遊びをした。ただこだまが返ってくるのに耳を澄ますだけの遊びだけど。

 

西側の山のてっぺんには避雷針が立っていて、こだま遊びをしていると鉄パイプを組んだものが樹々のこずえから数メートル突き出ているのが見える。荒っぽいつくりのジャングルジムみたいな感じ。

あれは何?と大人に聞いたら「避雷針だよ」と言う。

ひらいしん?

 

子供には理解できない言葉の一つ。

クリスマスソング『諸人来ぞりて』の一節、「主は来ませり」とかと同じ。ヒライシン。モロビトコゾリテ。シュワキマセリ。

それって何語?


おばあちゃんに「ひらいしんって何?」と聞いたら、「雷様のお家だよ」という答えが返ってきた。

なるほど。だから山のてっぺんにあるのか。

でも、待って。あんな屋根もないようなパイプだけの家じゃ、雨の日は濡れちゃうじゃん。かわいそう。

縞々のトラ柄のパンツをはいた雷様が鉄パイプの根元でしょんぼりと体操座りしているイメージ画像が私の心を痛める。

しのつく雨は雷様の小さな角を伝い、前髪から雫がポタリポタリ。


幼少期を過ぎて「避雷針」という言葉が無事に私の語彙に追加された後は、避雷針を見上げるたびに、うちのおばあちゃんは考えることがポエムだなぁ~なんて思ったものだ。


でも、ほんとはそんなんじゃないことが今は分かる。


おばあちゃんは単に子供に避雷針の説明するのが面倒くさかったに違いない。

そりゃ面倒くさいわ。(笑)



 雷 雷 雷

 

供の頃に、友達と一緒に虹に向かって一生懸命歩いたことがある。

私の想像では、虹が生えている辺り一帯は色のある細かい霧に包まれていて、そこを通ると大気が一定の間隔で七色に変化していくのを見ることができる。

まずは紫に世界が変化する。それから青。そして緑。黄色、オレンジ。

空気はひんやりとしていて、私のまつげや頬は薄い色のついた水滴で湿っていくのだ。

 

しかし当然のことながら私と友達はいつまでたっても虹の根元にはたどりつくことができなかった。

かなり歩いたけれど空気の色は相変わらずで、やがて虹はどこかへ消えてしまい、細かい雨がしっとりと降ってきた。

私たちは仕方なく引き返した。

もう着いてもいい頃なのにな、とかなり残念な気持ちで。

 

空に虹がかかっているのを見ると、たまにその時のことを思い出す。


おそらく私は虹の根元には到着していたんじゃないかとも思う。想像と違っていたから分からなかっただけで。

もしかしたら通り過ぎてさえいたかも?

 

そういうこと、人生でよくあるよね。

虹に限らず。幼い子供に限らず。いろんな意味で。

 


 虹 虹 虹