桂米丸師匠が逝去されました
新作落語への意欲に満ち、その高座はあたたかさと、先見の明にあふれていました
師匠はうちの師匠十代目文治の葬儀委員長を務めてくださり、その師匠が御存命でいらっしゃることが何よりの喜びだったのですが
お得意の「星は何でも知っている」
米丸師匠は何でも知っていました
師匠はもちろん上品なお店にもいらっしゃったでしょうが、池袋のやきとん千登里で肉豆腐を御馳走になったのが一番の思い出です
いつでもどこでもおしゃれでした
どうか安らかにお休みくださいませ
以下、(公社)落語芸術協会HPより
【訃報】桂米丸
令和6年8月1日(木)午後4時45分、当協会最高顧問 四代目桂米丸(本名:須川勇)が老衰のため、都内の病院にて逝去しました。享年100
【略歴】
大正14年4月6日生まれ (出身地 神奈川県横浜市)
昭和21年(1946年) 古今亭今輔に入門
昭和22年(1947年) 二ツ目に昇進 古今亭今児となる
昭和24年(1949年) 四代目桂米丸を襲名し真打となる
昭和51年(1976年) 日本芸術協会(現・落語芸術協会)の三代目会長となる
昭和52年(1977年) 社団法人化に伴い初代会長就任
平成11年(1999年) 会長職を勇退、顧問になる。
平成12年(2000年) 最高顧問に就任
【受賞歴】
平成 4年(1992年) 紫綬褒章受章
平成10年(1998年) 勲四等旭日小綬章受章
大正生まれで現役最高齢、終戦直後新作派の古今亭今輔門下に入門し、新作落語一筋を貫いた落語家でした。
落語界で大いに売れるとともに、テレビ黎明期、開局と共にテレビスターとしても売れに売れ続け、広くお茶の間に愛された師匠でした。
日本芸術協会から落語芸術協会にかけて23年間会長職に就き、長きにわたり協会の指導役であるとともに落語界の指導者でありつづけました。協会会長を勇退後も顧問、最高顧問として後進の指導に携わり続け当協会の精神的支柱であり続けると共に、新作落語の第一人者としても最晩年まで創作意欲が衰えることはありませんでした。
新型コロナウィルス感染症の流行以降は寄席出演を控えておりましたが、電話で元気な声を聞かせてくれることも多く、寄席復帰を模索する中の訃報となりました。
寄席定席の最後の高座は令和元年九月下席新宿末廣亭でした。
葬儀は8月4日近親者にて執り行われました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。