都市型地震は何度も日本を襲います。

1964年新潟地震。

さらに1978年宮城県沖地震。

水田地帯の造成でできた工業・流通団地が、液状化の被害を受けます。

周辺の丘陵地帯を切り開いた、住宅地の地盤が崩壊します。

1981年耐震基準が見直されます。

特に鉄筋コンクリートのせん断補強基準の強化が図られます。

ちなみに阪神淡路大震災後の耐震基準見直しでは、木造建築の耐震化がすすめられました。

現在見る仙台市は1980年代に復興された新しい街です。

その当時の復興応援ソングがさとう宗幸の『青葉城恋唄』です。

約37年周期で東北地方は大地震に襲われるといわれ、33年後の2011年には東日本大震災に見舞われます。

けれども1936年の大地震では大きな被害を出していません。

その理由は、都市開発が進んでいなく、山の切り崩し、田園の埋め立て、橋・道路・高層ビルなどの人工物が少ないからです。

1980年代の旧宮城町。

現在はこの道路はなく、まっすぐに農道が通じています。交差点左奥には新しい赤坂団地、交差点奥には仙台観音に行き着きます。

昔ながらのくねくね道。

舗装もなく、山肌の起伏に添って自然にできた道。

 

最短距離などお構いなしに、きままにうねりながら続く道は、どこか楽しさがあります。