初めは扇町のごく普通のアパートにいましたが、
制作用の部屋もいるので同じ通りですがほんの少し美大寄りの天神町に引っ越しました。
床屋さんの二階です。
散髪しているときに
「ほんならぁ、うちに来まっし。」
天神通は金沢風の民家が軒を連ね趣がありました。
柱は太く黒々し、頑丈な軒下は威厳があります。
屋根は高く、真夏でも30度を超えません。
4畳半、6畳、8畳、そして台所が6畳ほど。
自分でもわからないくらい思考が飛び回る私にとって、
時系列を無視した思い付きに振り回されるには、十分な制作スペースです。
美大までは歩いて10分ほど。
朝と午後、天神坂を時には大学病院を遠回りして、馬坂をつかって往復しました。
私が卒業後、ほどなくご夫婦同時に亡くなられたと聞きました。
初めおばさんが心筋梗塞で倒れ、その姿を見たおじさんもショックでその場で息を引き取りました。
二人に子はなく、お墓の護り手もなく、
私が金沢来訪時にお参りをするのですが、檀家料など納めるはずもなく、やがてお墓撤去のお札が掲げられ、それでも毎年お花が共されるせいか、お墓はそのままです。
美大卒業時にいただいた時計は、今も時を刻んでいます。
床屋さんご夫婦。
お墓のある大乗寺。
加賀前田家の墓所です。
本堂に向かう回廊。
山門の仁王像。