当時、泉・太白・赤坂・国見など多くの郊外が大規模開発されていました。

唯一残った地域が宮城町でした。

街の真ん中を広瀬川が流れ、上流の関谷街道を抜けると山形市です。

盆地のあちこちに、『馬頭観音』『山の神』『庚申塔』が残ります。

それらを調べると、東北のというより日本人の精神性の本質が見えてきます。

東北学院の宮城先生は当時若い方でしたが、

『東北学』で東北地方の特異性や魅力を分かりやすく話されました。

宮城町には、藁ぶき屋根・稲架掛け・ぬさ・水神など、

農業とともに現在進行形で日本の伝統が残っていました。

民俗学は岩崎先生がいました。

柳田国男から直接民俗学を学んだ方でした。

キリスト教学の小笠原先生は、

『東北は日本のスコットランドだ。』

と言います。

人々に

『東北地方はヤマトとは違うんだ』

というナショナリズムが

意識の根底にあるのがおもしろいと思いました。

旧宮城町 水神の松

この松の根元に泉が湧き、そこから田に水を引いていました。

白い紙は『ぬさ』で水神様の依り代です。

米の豊作を水神様に感謝します。

数年後、この茅葺民家は解体され、この場で燃やされました。

水神・山の神の石碑。

広大なこの辺一帯はすべて造成され、

今は全く違う景観です。