東北学院に入学していろんなことがわかりました。
山形の田舎にいた私は世間知らずでした。
世の中には実に様々な大学・学科があること。
国公立大学は偏差値的に難しくないこと。
4月の学院校内は新鮮な意欲ではなく、
無気力と失望感と悔しさに満ち、
再度国立大学を受けた、隠れ受験生の愚痴を聞かされます。
5月連休明けになると、
退廃的な校内から早くも学生の姿が激減します。
自教室のない学生はさながらかばんを持ち歩くジプシーです。
人も場所もよりどころがありません。
同じ学科でも顔を合わすことが稀です。
コンクリートとビルと石に囲まれた土樋校舎は極めて無機質でした。
『入るとこを間違ったな。』
私は親しかった中国語の先生に、絵画教室を紹介していただきました。
その頃は「Wスクール族」と言って、
学歴は大学、役立つ知識や技能は別の学校で、という風潮がありました。
「仙台市の4人に一人は学生」といわれるほど
各種大学・専門学校・カルチャースクールが豊富でした。
大学は『学歴を売る場』と割り切られていました。
私にとって、
人生で本格的に絵を学ぶ経験の始まりでした。
最上地方と似た、里山の連なる旧宮城町を調査し、スケッチで記録していきました。