その頃の仙台市は震災復興の真っ最中です。

2011年の、ではなく1978年の宮城県沖地震です。

人口65万人の一大地方都市は壊滅的な被害を受け、

その後、道路拡張・衛星都市の建設・地下鉄工事・仙台駅東側の開発がすすめられました。

30年近くかかった大規模整備です。

私の仙台のイメージは、分厚い鉄板で覆われた道路、鉄骨むき出しのビル群、スパイクタイヤによる粉塵公害(仙台砂漠)、交通渋滞など殺伐としたイメージしかありません。

2011年の東日本大震災では、仙台市内そのものの大きな被害はありません。

1978年の大地震後に建築の耐震基準が厳しくなったからでした。

仙台市は基本、碁盤目状の計画都市です。

しかし、一応城下町なので、いくつも鍵の手に突き当りがあり、

交通は不便な街でした。

都市中心から地方への道路が未整備で、都会から即農村でした。

当時泉市役所は、何にもない棚田の丘にポツンとビルが建つ、

奇妙な光景でした。

青葉城跡の伊達政宗騎馬像