私の小学校での成績は最下位でした。

ビリが私の安住の立ち位置です。

でも勉強は大好きでした。

授業は大人数に合わせて一斉送信です。

言葉の刺激で連想することひらめくこと

関連付けることは人それぞれです。

教師の言うことが分かってしまった子もいれば、

まるで分らない子もいます。

それらがごちゃまぜの状態の子もいます。

部分は全体を学んだあとで理解できることもあります。

中学校に行かなかった私ですが退屈したことはありません。

自分が興味を持った内容は枝葉を広げて広がっていきます。

習うべき内容が学年を超えることも、

教科の壁を超えることもしばしばです。

本来は理科という学問はありません。

生物、物理、化学…いろんな複合体です。

社会科なんていう学問もありません。

戦後、GHQが野蛮な日本人を民主的に再教育するためにつくった総合科目です。

地理と歴史はまったく別分野です。

この世界に教科の壁はありません。

教科の枠に合わせて考えることが不合理です。

学校で学ぶしくみそのものが私には合いません。

高校で生物のテストは140点満点でした。

私の解答は128点です。間違いもいくつかあります。

「100点満点にするとほかの人が100点がとれないから。」

担当の教師は説明してくれました。

その生物担当の先生が言いました。

「社会不適応はアンダーアチーバーだけでなく、オーバーアチーバーでも起こる。」

人の能力は、優劣というより複合的です。

 

翌年から私は進学クラスに行くことになりました。

 

新緑の頃の飯豊連峰

化学のプレゼン

普通科と衛生看護科がありました。