新潟県は農民県です。

江戸時代から一揆、小作争議が盛んでした。

社会主義思想が入ってからは、旧社会党や共産党が勢力をもってきました。

戦後は旧ソ連に抑留され、マルクスレーニン主義に思想感化された人々が大量に戻ってきました。

その人たちの多くは、旧国鉄・郵便局に採用されました。

社会党の阿部助哉氏は「新潟県独立宣言」を訴えていました。

その当時旧ソ連は経済が順調で発展した国でした。

北朝鮮は世界で初めて税金のない国としてこの世の楽土といわれました。

新潟港には盛んに万景峰号が出入りします。

ベビーブームと教員不足の中、教師にも採用されました。

学校は組合活動の拠点です。

戦後は高卒での教師も多くいました。

研修を受ければ教員になれた時代です。

私の小学校1年生の担任も、女学校卒業後に教師になりました。

いい先生でしたが、そうでない教師もたくさんいました。

今日大学で学ぶ心理学や病理学、教科指導法など専門分野など学ばなかった人たちです。

まして、コンプライアンスなどという言葉もありません。

中学校はひどいものでした。

「お前たちはバカだ。」

「お前たちは勉強しても仕方ない。」

「高校へは行かずに就職しろ。」

授業はしてもひたすら板書を写すだけ。

質問しても無視されます。

「質問の意味が分からい!」と怒ります。

「生徒の自主性が大事だ」と言って

部活動には来ません。

体育は生徒たちだけで勝手にゲームをして

「終わったら教官室に呼びに来い。」

美術は喧騒の中騒ぎまくっていました。

掃除時間は音楽だけが流れます。

授業は『脱線』といわれた教師の無駄話。

進まなかったところは

「うちでやっておけ。」

3学期にやり残した教科書は

「読んでおけ。」

国語は進度が前後します。

学年が変わるとまた元の場所に戻ります。

生徒たちは教科書の中で迷子です。

全員が未履修です。

部活動に顔を出さない教師たちは定時で帰ります。

月曜の1時間目は必ず自習でした。

先生方のストライキです。

修身の復活だ!と道徳はしません。

数人の共産党員が教職員を支配していました。

校長も頭があがりません。

5月メーデーでは教師たちが大通りを旗を振って行進していました。

生徒たちもすさんでいきます。

私は3年生の時の担任と会ったことがありません。

家庭訪問もおたよりも通知表もありません。

学校に行かなくなった子はそういうものだと思っていました。

山形の高校に行って意外だったのは、

教科書を最後までやる、

教師がそばにいる

ことでした。