東高校に入学した春には21歳でした。
年下の子たちとの日々は常に新鮮でした。
『最上地方にも私立高校を』という熱意の元できた高校は
教職員も若い人たちです。
司書の方、用務員さんは同い年。
先生方も20代がたくさんいました。
私立高校には第一希望がかなわなかった子たちが来ます。
先生方は生徒たちが
達成感や自己承認が感じられるように
工夫していました。
できたばかりの高校で、
これが恒例のとか、
伝統のという行事やシステムがあるわけではありません。
それがよいところで、
生徒の要望や先生方のひらめきで
「やろう」と決まれば即実行です。
「生徒に活躍の場を与える」その方針のもと、
1年はあっという間に過ぎていきます。
そして、生徒と年齢が近いせいか、教職員と常に一緒にいた、ということです。
先生方が生徒と一緒にいたがります。
生徒に対して暴言を吐く、けなす、暴力をふるうことはありません。
訳ありの子や他校からの中退者もたまに来ます。
そういった子たちにも親身に接します。
新潟にいた時の学校とはまるで違いました。
鮭川から見る月山。
冬の晴れ間に白く輝きます。
山形県は実は教育県?
給食を日本で初めて行ったのは山形の無着成恭(むちゃく せいきょう)だし、
酪農とともに生活するユニークな全寮制の独立学園高校、
なぜ田舎の山形に総合的な芸術大学がと思える
東北芸術工科大学などがあります。