定時制を終えた同僚の宏君は

「そだな勉強せんでも高校行けるじゅ。」

と言います。

定時制課程がある高校は県立高校でした。

市内には北、南、工業、農業そして私立の東それぞれの高校がありました。

職業訓練校もありました。

日曜日ごとにそれぞれの高校を尋ねました。

休日でも誰かはいます。

生まれ故郷の高校も調べました。

母は

「二十歳過ぎて高校行くなど恥ずしかしいから帰ってくるな。」

と言いました。

ある秋の日、新庄東高校を尋ねました。

フミ先生という年配の女性の教師がたまたま日直でいました。

東高校はできて間もない高校です。

教職員の平均年齢は27歳。

フミ先生は丁寧に進路相談にのってくれました。

県立高校の過去問もくれました。

解いて次の週に東高校にもっていくと驚きました。

「これだけできたら昼間でもいいじゅ。」

(県立の全日制でも行ける点数だ)

次の日曜日の県立農業高校を尋ねたら

「いくら入試で満点を取っても県立高校は入学させないなぁ。」

と言いました。

次の日曜日東高校に行きフミ先生に伝えたら

「うちに来なさい。一緒に勉強しましょう。」

東高校の過去問をくれました。

 

庄内の余目から陸羽西線に乗り換えます。

接続が悪く、余目ではいつも長く待たされました。

南には月山が見えます。