解離性大動脈瘤発症で奇跡的に生還。
その後14年間勤務しましたが、
仕事が一区切りついた年に早期退職。
年金受給はまだまだ先でしたが、
子どもが自立、両親も他界。
元来が持ち家なので借金もなく、
そんなに稼ぐ必要もなくなり、
家族とも相談の末の退職。
発症当時は県立病院の医師すら『解離性大動脈瘤』という病名すら知らず、
分厚い医学書を見ながらの治療。
さらに言えば、はじめ腰痛で救急外来に行った時、こちらを一瞥だにしない医師曰く「それはぎっくり腰です。湿布薬もらっていってください。」一応帰ったが激痛が止まらず再度病院へ。ベッドに寝かされて2時間ほど経過。さらに激痛。たまたま通りがかりの別の医師が「腰痛は腰だけが原因とは限らない。」そこで再検査。胸の動脈が裂けていることが判明。急遽入院。2週間の入院後別の医師曰く「仕事に就いていいですよ。」が歩行もままならず結局休職扱いを願い出ました。
その後県立病院の不祥事など相次ぎ、
コンプライアンス問題など社会の目が厳しくなり
病院の患者さんへの対応や医師の説明責任の明確化など改善され今日に至っています。
学んだ教訓
「入院などするものではない」
これは無理だとしても
少なくとも
「病気にならないようにしっかり健康管理をすること」
時折、退職後描がいた拙い絵を再度描き進めています。
何度も描きなおしができるのも油彩画のよさですね。