母のことで自分の軸がブレないようにするために綴ります。
現在、ブログを拝見する余裕がなく
すみません。
落ち着いたら拝見するのを楽しみしています。
前回のブログupした日の6/20 夕方
母よりLINEがありました。
(麻痺が出る前にきたLINE)
母 「今日 何か変と感じ○○病院へ来たら、早速 検査入院との事で入院しています。」
びっくりして急いで入院先の病院へ。
母は22年前に脳出血になっています。
当時、私は独身で実家暮らしでした。
母の様子がおかしいのに気付き救急車を呼んだのも私でした。
この時もCT画像で出血している脳を見てすぐ“命の危機”を感じましたし、脳外科医の説明でも覚悟するように言われました。
しかし、本当に奇跡のような回復で後遺症も無くすみました。
当時のわたしは仕事を終え帰宅したら、母のお店(母は総合病院内の売店を経営してました)のパートさんが毎日の売上管理を持って来てくれていたのを引き継ぎ、その後の処理を夜中にしていました。
愛犬の散歩もあり、母の見舞いも行き、医療費の手続き等もして・・・
弟は数日前に第2子が誕生したばかりだし、妹は一人暮らしで働いていた。
私たち三人きょうだいにとって一番大変だった。
母の健康保険証の置き場所さえ知らず、母のお店の事も全くノータッチだったのでパニックでした。
今回、6/20母が検査入院した日の診断は一過性脳虚血発作
脳梗塞の前兆でした。
翌日(6/21)に診断が下ったのは 脳梗塞
左脳の細い血管に数ヶ所 脳梗塞を発症
この日(6/21)から脳卒中集中治療室Stroke Care Unit SCUに移る
22年前と違い、母は81才
実子の私達3人も50代 そして3人共にそれぞれ健康に不安あり。
私達きょうだいは高血圧のサラブレッドのようなもので、父は45才で脳出血で倒れてから10日で意識戻らないまま亡くなり、母方の祖父も49才で脳卒中で職場で倒れ他界。
皆、お酒もたしなみ程度で普段は飲まず、タバコも吸わず、太ってもいない。運動もしていた。
でも高血圧。
両方の家系がそうなので22年前に母が脳出血で病院に運ばれた時に脳外科医から
「あなた達3人とも気を付けなさいよ」
と言われました。
息子が進む大学が決まり、雪ちゃんを看取り・・・・・
それからすぐに始めた自分自身の終活の断捨離は、息子に迷惑をかけたくない一心でした。
実家の片付けの大変さは身をもって知っているから。
家具や衣類,食器や調理器具,寝具,本や紙類,自分のアルバム・・・全て現在使っている《一軍》だけを残して処分。
写真がまだ終わってないけど
私の実家の断捨離も一昨年~昨年にかけて母と同居している妹が率先してくれてかなり済んでいます。
今、思うのは断捨離していて良かった です。
義父91才,義母86才,母81才
親が全員介護が必要になり、これから更に色々とあるだろう事を思うと、出来る時に出来るだけ自分自身の整理整頓はしておいて正解だった。
断捨離ついでに地震対策もパッと出来る所だけはしました。
リムの歯のスケーリングとマイクロチップ装着も済ませていて良かったです
母はその後、次の脳梗塞を起こすことなく6/28に一般病室に移り、麻痺した右側の手足のリハビリを開始しています。
呂律がまわらなくなって聞き取りにくかった会話も7/3の時点で、ほぼ普通に戻りました。
看護師さんから《すごい回復力》と言われたそうです。
看護師「何か運動されてましたか?」
母 「太極拳を15年前位からしてます」
看護師「それは良いですね!」
母は太極拳の他にも校区の小学校の登校を見守るボランティアや近くの公園の掃除や草むしりのボランティアを日課でしていました。
運動のパワーすごいな
と思いました。
近々 母はリハビリ病院に転院します。1ヶ月~最長半年の入院にてリハビリを頑張らねばならないそうです。
私の自宅や実家から電車を乗り継ぎ片道約1時間。
こんどは面会に通って洗濯物の交換など、また一歩進んだお世話になります。
夫は義父母のこと
私は母のこと
そして自分の生活。
母がリハビリ病院を退院後、自宅に戻ってからの準備も整えながら、この夏を乗り切りたいと思います。
息子に
「○○(息子)は自分のしなければならないことを自分で計画的にちゃんとしてよ
勉強出来てるんやろな!?」と話しました。
息子からは「わかってる!ちゃんとしてるに決まってるやん!」と怒られました。ごめーん つい・・・
こんな時こそ私のかわいい末っ子♡リムのケアがおろそかにならぬよう気を付けます。
既にいつもと違う感じなのを察している