こんにちは。

みなさん、「セミナー」って聞いてなにを思い浮かべますか?

なにか怪しいもの?

自分には縁がないもの?

その考えは、もったいないかもしれません。

セミナーに出る出ないではなく、”それを弾く”という思考が、もったいないのです。

 

 

 

     引き出し 008段目

     自己研鑽のセミナーって、怪しいの?

 

 

 

セミナーと一口にいっても、いろいろありますね。

会社でセミナーに出なさい、と言われてでる人もいるでしょう。

ビジネスマナーとか、メールの作法とか。

でもそんなのは一般的すぎて面白くないです。

しかも、受動的に出るセミナーもあまり身になりづらい。

 

仲の良い友達がセミナーとか自己啓発の話をしてきて、説明会に来ないかと言われる。

いわゆる、世間的に言う”怪しい”やつですが、そこでそれを弾いていたら、あなたの”保守的な人生”はいつまでも変わらないかもしれませんね。

そこに行けばいい、と言っているわけではありませんが。

 

自分の知らないもの、”常識”の外にあるものは弾きがちです。

それを知らずに今のままでいることが、なにより”楽”ですから。

 

常識とは、成人になるまでに身につけた偏見のコレクションであるとは、アインシュタインの言葉です。

「普通は」とか「常識的に」とか言う人は多いと思いますが、それは”あなたの常識”ですよ。

 

そういったセミナーで先の人生を変える人や、宗教で幸せを目指す人、ちょっとグレーな仕事だけど頑張って稼いでいる人。

”保守的な人”から見れば変な人たちですよね。

でも、死ぬときに”幸せな人生だった”と言えるのはどちらでしょうか。

これは別に、前者が幸せになりますよ、と言っているわけではありませんからね。

 

でも、そうなる”可能性”は大いにあります。

 

僕の目指すところは、死ぬときにいい人生だったと思うことです。

保守的に、安全な道を、レールに乗って歩いていって最期を迎えることが幸せだとは、まったく思いません。

山あり谷あり、失敗も成功も、挫折も感動も味わっての面白い人生じゃないですか。

 

難の無い人生は無難、難が有る人生は、”ありがたい(有り難い)”。

 

あなたはどちらの人生を選びますか?

 

なにかをはじめるのに遅すぎることはありません。

ケンタッキーで有名なカーネルおじさんは、65歳でケンタッキーを始めたんですって。

あなたは今、何歳ですか?もうなにも新しいことはできない年齢ですか?

 

 

今日はここまで。