こんにちは。
みなさん、「セミナー」って聞いてなにを思い浮かべますか?
なにか怪しいもの?
自分には縁がないもの?
その考えは、もったいないかもしれません。
セミナーに出る出ないではなく、”それを弾く”という思考が、もったいないのです。
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自己研鑽のセミナーって、怪しいの?
セミナーと一口にいっても、いろいろありますね。
会社でセミナーに出なさい、と言われてでる人もいるでしょう。
ビジネスマナーとか、メールの作法とか。
でもそんなのは一般的すぎて面白くないです。
しかも、受動的に出るセミナーもあまり身になりづらい。
仲の良い友達がセミナーとか自己啓発の話をしてきて、説明会に来ないかと言われる。
いわゆる、世間的に言う”怪しい”やつですが、そこでそれを弾いていたら、あなたの”保守的な人生”はいつまでも変わらないかもしれませんね。
そこに行けばいい、と言っているわけではありませんが。
自分の知らないもの、”常識”の外にあるものは弾きがちです。
それを知らずに今のままでいることが、なにより”楽”ですから。
常識とは、成人になるまでに身につけた偏見のコレクションであるとは、アインシュタインの言葉です。
「普通は」とか「常識的に」とか言う人は多いと思いますが、それは”あなたの常識”ですよ。
そういったセミナーで先の人生を変える人や、宗教で幸せを目指す人、ちょっとグレーな仕事だけど頑張って稼いでいる人。
”保守的な人”から見れば変な人たちですよね。
でも、死ぬときに”幸せな人生だった”と言えるのはどちらでしょうか。
これは別に、前者が幸せになりますよ、と言っているわけではありませんからね。
でも、そうなる”可能性”は大いにあります。
僕の目指すところは、死ぬときにいい人生だったと思うことです。
保守的に、安全な道を、レールに乗って歩いていって最期を迎えることが幸せだとは、まったく思いません。
山あり谷あり、失敗も成功も、挫折も感動も味わっての面白い人生じゃないですか。
難の無い人生は無難、難が有る人生は、”ありがたい(有り難い)”。
あなたはどちらの人生を選びますか?
なにかをはじめるのに遅すぎることはありません。
ケンタッキーで有名なカーネルおじさんは、65歳でケンタッキーを始めたんですって。
あなたは今、何歳ですか?もうなにも新しいことはできない年齢ですか?
今日はここまで。