「迷ラジオ局物語「ラジオ不況のシンボル 愛知国際放送(RADIO-i)後編」

前回のあらすじ

外国語放送局としての人生を歩み始めた

しかし、そのお祝いムードは 長くは続かなかった・・・

 

②ラジオ離れから不況の時代

時は2000年、携帯電話の普及もあってラジオ離れが進んでいた。RADIO-iもその波を受けてしまう。RADIO-i開業当初より慢性的な赤字が続いていた。

時は流れていく。2008年に、リーマンショックが発生。広告収入が低迷し、親会社である興和も経営が悪化。黒字転換は絶望的になってしまった

 

③番組を大改編

そんななか2010年1月1日から1月11日にかけてノンストップミュージック放送を開始する。理由として大規模な改編、組織編成の見直しが行われたようだ。そして1月11日、ほぼすべての番組が入れ替わるというラジオ業界としては驚きの改編を実施した。これで新規リスナーを呼び込みをし、経営も持ち直す… はずがなかった

 

④そして停波

時は2010年6月15日、時はiPhone4が発売されようとしていた。

この日RADIO-iは9月30日をもっての放送終了を発表したのである。累計赤字は2010年3月期決算では28億円という絶望的数値であった。まあ妥当な判断としか言えない

 

2010年9月30日、RADIO-iは17時間にわたって特別番組を放送、最後にスタッフ全員で「Thank You for the Music!!」歌ったのが最後の楽曲であった

そして2010年9月30日24:02分 RADIO-iは停波した

 

 

 

これがRADIO-iの物語である

 

…と思われた

次回「RADIO-i復活?」

(公開予定 未定)

さあ始まりました。第1回迷ラジオ局解説です。

今日紹介する会社は「愛知国際放送RADIO-i」です!

「え?なにその局?」と疑問に感じる方が多いと思います。

そうですこの局は「県域地上波放送局初、閉局した放送局」なんです!

ではなんでこうなってしまったのかを解説していきます。

 

まずは概要

・放送対象地域 愛知県の一部

・Meganet系列

・送信所

 ・名古屋 79.5MHz 5kW

 ・豊橋   83.0MHz 30W

 ・浜松   79.9MHz 100W

 

①万博に向けての開局

時は1990年代後半。外国人に対する情報提供が課題になっていた。その時代は携帯が普及しておらず、外国人が情報を取得するのは困難であった。そのための外国人に情報を伝える「外国語放送局」が東京や大阪で設立されていた。そんな中、愛知でも6年後に愛知万博が迫っていた。愛知にも外国語放送局が必要になった。そこで1999年8月10日に「愛知国際放送株式会社」が設立された。

そして2000年4月1日、ついに愛知国際放送「RADIO-i」の放送がスタートしました!

同年9月には豊橋、浜松中継局も設置され、順調な滑り出し…のように見えたのだった…

 

次回はまた来週 を予定しています

皆さん始めまして!

房総の暴れ馬と申します

主に私はエキサイトブログや空想鉄道というサイトでも活動しています

今日から「ラジオ」や「テレビ」などについて語るブログをスタートしました!

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