私の原点

心の根幹
 
物心ついた時からの
心の中味は
 
 
 
妬み怨み嫉みでイッパイだ。
 
 
 
 
悔しい口惜しい
なんで?!
 
ズルイズルイズルイ
 
 
私は何であかんの?!
 
 
なんで私はこんなんなん?!
 
 
 
 
 
 
常に誰かと比べ
 
悔しさを持っていた。
 
 
 
 
 
誰かと言うても
 
身近な人たち。
 
 
 
 
従妹や幼馴染。
 
 
 
 
高校生の頃かな?学生の時
友人に対して
 
「ズルイズルイ」と言い過ぎて
 
 
「私は何も狡いと言われるような事をしてないのに、貴女はズルイと言う。不快だ。」
と、直接言われた事がある。
 
 
 
私がびっくりした。
 
 
あれ?私何でそんなにズルイと
言うてたのだろう?と。
 
 
 
 
 
以下、ズルイと思う気持ち。
 
 
あ、、、ズルイとは言うたら
あかん事なんや。
 
 
そりゃそうか。
 
 
正々堂々としてたら
ズルくなんて何もないし。
 
 
 
え?
でもほんまに狡いと思ってる自分がいる。
 
 
 
 
私はオカシイのか?
 
 
 
だってズルイと思うもん。
 
周りの人みんなズルイ。
 
 
 
 
以上。
 
 
 
 
 
最近でもスグ
 
 
「〇〇いいなー。」
「私も〇〇が良かったー。」
 
 
 
と、口癖のように言うてしまう。
 
意識して「ズルイ」とは言わないが
 
「羨ましい」という気持ちは満載。
 
 
 
 
視点がまだまだ『自分』ではなく
『他人』なのかな。
 
 
それと、何かしら
『我慢』を自らに課しているからかもしれない。
 
 
 
 
 
「足りないわたし」
ばっかり気になる。
 
 
 
多分何でも「ある」はずなのに
目に入るのは「私にはない」ばかり。
 
 
 
 
『足るを知る』って1番嫌な言葉だった。
 
 
満たされちゃったら
成長なんて出来ないよ!
 
 
と、本気で信じていた。
 
 
 
昭和初期ごろの価値観だろうか。
 
ハングリー精神が素晴らしいと
教えられた過去の私。
 
 
 
 
 
もう、そんな時代ではない。
 
 
ちゃんと『ある』
ちゃんと『足りている』
 
 
 
それを自覚する事が
今は何よりも大切らしい。
 
 
 
 
 
頭ではそう理解しているのだけれど
 
腑に落ちない感が半端なくあるわ。
 
 
 
 
我慢して本音を出してないからかな。
それに繋がる?
 
 
なんでこんなに私は
全ての行動に
『ナチュラルな我慢』という
制限かけてるんやろう?
 
 
↓重たい私の常識↓
 
我慢するのが当たり前。
だれも自分の思うようになんて行きてない。
人と上手くやるには我慢は必要。
皆んな我慢してるんだから。
我慢無くしてこの世は回らない。
 
 
↑以上↑
 
 
 
うわっ!ゲロー
自分で吐き出してて
こんなの嫌やわーー!!ゲロー
 
 
こんな嫌な事を肚の中に溜めてたんやチーン
 
 
私の中の
おばあちゃんの教えはしつこいな!!
 
 
もういらなーーーい!!
 
 
ポイッ!(ノ´▽`)ノ ⌒(我慢)
 
と棄てよう。
 
 
 
 
我慢が必要なんて価値観は棄て去る事と
 
私には『ある』という感覚を
自分の中に落とし込む事が
 
 
必要だなぁ〜。