子どもの立場から。
わたしはまだ子どもを産んだことがありません。
でも何故か、めぐこさんのファンになって
特にほっとく会や、息子さんの記事にハマりました。
その理由はね、、、
『めぐこさんのような母親』が欲しかったから。
子の事をを思う母親。
子の事に悩む母親。
これだけ母親は子を思い良い母を頑張っているんだーっていう
多分めぐこさんのブログにそんな『良い母の証拠』の片鱗を感じ
読み始めたのかな。
わたしは
自分を生きる母に対して寂しさを感じ
いつしか自分を生きる母を責めるようになった。
こんな風になって欲しかったのに!って、今も責める気持ちはあるようだね。
私の事を思って
私の事で苦しんで
私を一番に見て欲しかった。
何よりもわたしを構ってよ!!
という幼き頃に呑み込んだ言葉が消化不良だったんだ。
でも、わたしの母親だって
子のわたしに関心が無かった訳じゃなくて
伝える事が出来なかっただけで
本当はわたしと一緒に居たくても
舅や姑との同居の中、自分を守る事で精一杯だっただけで
そういう事は分かるようになったよ。
弟も二人居るしね。
仕方なかったのかな、とも、、、思えない訳じゃないけど、
それでも、そんな針の筵の中ででも
わたしを抱きしめて欲しかったんだ
という気持ちは、、、
今もある、し
諦められなかった、し
悲しかった、し
寂しかったんだよね。
その寂しさを代替させようと躍起になって動いてきたね。
わたし、あれだけ自分のカラダをぞんざいに扱ってたのに、
生きてる。
頑張ったね、わたし。
母親にも『愛』はあった。
わたしにも『愛』があった。
父親も下手過ぎるけど『愛』が無いわけでもない。
不器用だから、家族への愛の順位が低いだけで、無いわけじゃない。
ちゃんと『愛』は『あった』ね。
それとね、めぐこさんのほっとく会は、頑張り過ぎて見張りすぎるお母さんの為な気がして、
それも羨ましかったんだよね。
わたしの親は良く言えば放任。
悪く言えば関心が無い。無頓着。
なのに、部分的に急に過干渉になる。
(不意に思い出したかのように)
そんな掴み所がなくて、わたしが『そこだけは譲れない!』というピンポイントな部分だけ、何か電波でもキャッチするのか
急に『良い親』ぶって
過干渉になる、笑
それまでは何も言うてこないのに。
ずっと見張ってたのかな?
言葉にするタイミングとか、親なりに図ってたのかな?
まぁそれも過去のことなのでね、今更言うても変わらないけど
愛のある放任に憧れた。
わたしの親は、仕事の事で頭は一杯で
「家族の事は考える余裕が無い」からくる放任だっだから。
そういうのは、ちゃんと感じるんだよねー。
従妹の家族に憧れて
幼馴染の家族に憧れて
目の前に憧れの家族像があったから
余計に自分の親を見比べて
なんで??
ってなってたね。
寂しかったんだね。凄く。
今迄の人生のほとんどを、寂しさに囚われていた気もする程に『寂しさ』を抱えてきた。
わたしには、わたしが居るから大丈夫だよ。
わたしがわたしの一番の味方だよ。
もう責めないよ。
大丈夫。
そう、抱きしめていこうと思いました。
めぐこさんのブログからズレた気もするけど、まぁ気の赴くままに書けたしオッケー!笑