日向国延岡藩(内藤家 7万石)の蔵米切手です。記載文言は、「覚 一  豊後米弐拾五俵也 右可渡也 水火難不存候以上 延岡蔵」とされています。

 延岡藩は、江戸初期以降、高橋家・有馬家と続き、元禄年間からは最南端の譜代大名として三浦家・牧野家・内藤家と続きました。 豊後国の一部を所領(飛地)としたのは正徳2年(1712)入封した牧野家以降です。

 内藤家は延享4年(1747)に入封し、明治維新までの124年間を治めました。切手には年号が記載されていませんので発行年は分かりませんが、124年もの間、日向及び豊後の一部を所領していますので、この切手は内藤家発行のものと思われます。

 内藤家は、鳥羽・伏見の戦い時には大坂駐在の部隊を出していましたので、以降は朝敵とされてしまいましたが、薩摩・熊本両藩の取りなしでこれを免れました。幕末期の豊後国領地は、国東・速見・大分3郡84か村でありました。