先日、DVDレンタルショップで久しぶりに4本の映画を借りてきました。

3本目を観はじめた時に

「あれ~、これ前に観たことがある」

タイトルを覚えてなかったのです。
自分の記憶力に不安を感じ始めて十年あまり。

記憶力の低下を確信する出来事でした。

映画のタイトルは「ツナグ」

自分の薬局の店名「ジョイン」が意識に合ったわけではありませんが、
「ツナグ」に反応してしまったのだな、と変な納得。

映画のエンドロールで、樹木希林さんの朗読が始まった。

「・・・おのれの十字架をになう」「人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、」
などなど、私の低下している脳をやさしく刺激する言葉が流れていきました。

観終わって、さっそくネットで調べてみたところ、
ドイツのヘルマン・ホイヴェルス神父(上智大学の学長も務める)が書かれた「人生の秋に」の詩の一部だということがわかりました。

以前に上智大学で教鞭をとっていたアルフォンス・デーケンの著書で、死生学に関する本を読んだ時期があります。

この共通項にも、変に納得してしまう私(上智大学出身でも、キリスト教徒でもありません)です。

心に響いたその詩をここで紹介します。



最上のわざ

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの荷物は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。

手はなにもできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床の神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。


ヘルマン・ホイヴェルス