hiroチャンのブログ -533ページ目

Marilyn Monroe 



6月1日と言えば・・・。

【マリリン・モンローの日】


1926年6月1日ロサンゼルスで生まれたことから、ロサンゼルス市とハリウッド商工会議所が1992年に制定。







《マリリン・モンロー》 

Marilyn Monroe 

1926年6月1日 - 1962年8月5日 

アメリカ合衆国の俳優、モデル、歌手で、様々な映画で 典型的な「金髪美女」(ブロンド・ボムシェル Blonde bombshell)の役を演じ、1950年代から1960年代初頭にかけて最も人気のあるセックスシンボルの1人である。

本名:ノーマ・ジーン・ベーカー





1946年映画界入り。「ナイアガラ(1953)」での《モンロー・ウォーク》とこの年創刊された雑誌『プレイボーイ』に載った無名時代のヌード写真が大きな話題を呼ぶ。 



「紳士は金髪がお好き(1953)」
「七年目の浮気(1955)」
「お熱いのがお好き(1959)」
等で世界的な人気を得た。









野球選手のJ.ディマジオ、劇作家A.ミラーらとの結婚歴がある。
ケネディ兄弟との不倫疑惑があり1962年に自宅で裸体のまま遺体となって発見されたが、その死因は謎につつまれている。


(*≧∀≦*)胸強調してみたッスゥ



(///∀///)恥ずかしいッスゥ




高額で落札されたレントゲン写真






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Nepalese royal massacre


【ネパール王族殺害事件】 

Nepalese royal massacre
2001年6月1日にネパールの首都カトマンズ、ナラヤンヒティ王宮で発生した事件。ディペンドラ王太子(事件直後、危篤状態のまま名目上は国王に即位し、その3日後に死亡)が父・ビレンドラ国王ら多数の王族を殺害したとされる事件である。
ただし、後述の事件に関する不自然さ、矛盾などからディペンドラが真犯人かどうかは疑問視されている。
また、事件後に即位したビレンドラの弟ギャネンドラの動向などから、彼が行ったクーデターとする説もある。だが、いずれの説も決定的な証拠がなく、その真相は現在に至るまで不明なままである。

ビレンドラ国王の末弟・ディレンドラ王子(この事件で銃撃され、3日後に死亡)の娘婿で、現場に居た国軍のシャヒ大佐の証言を元として、6月14日夜に政府の調査委員会が国王に提出・発表した。
かねてより、ディペンドラ王太子は結婚(希望)相手であったデブヤニ・ラナについて父である国王や母・アイシュワリヤ王妃らに反対されていた。6月1日に開かれた王族の晩餐会でこの問題が話し合われ、結婚に反対する国王と王妃は、王太子の王位継承権を剥奪するとまで発言。部屋に戻った王太子は泥酔状態で再び会場に現れると銃を乱射、自身も直後に銃で自殺を図った。この事件により、ビレンドラ国王夫妻、第二王子ニーラージャン、王女シュルティ、王の姉シャンティとシャラダ、シャラダの夫、王弟ディレンドラ、王のいとこジャヤンティーの9人が射殺された。

この事件はあまりにも突発的な上、公式発表および政府のその後の対応においていくつかの不可解な点があるとされる。
王族が全員集合していたのにビレンドラの弟・ギャネンドラだけが欠席していたこと。
事件発生当時、ギャネンドラは地方視察の途中で、ポカラの別荘に滞在していた。
出席していた王族の中でもギャネンドラの家族が全員生き残ったこと。
息子のパラス王子は無傷、妻のコマル妃も足を負傷したのみ。
周囲を警護していた国軍が物音に気づかなかったという点。
ディペンドラの不自然な自殺の仕方。
銃による自殺とされるが、弾丸が後部から入っており実行しようとするとかなり無理な体勢をとらなければならない。また、銃弾は右利きだったディペンドラの左側頭部から右側頭部にかけて貫通していた。
有力紙『デシャンタル』でもディペンドラを検死した医師らの証言をもとに、右利きのディペンドラの左側頭部から右側頭部にかけて銃弾が貫通しており自殺説に疑問が残るとしている。

ディペンドラは事件時に自分では立てないほどの泥酔状態であったとされる。だが、遺体の検視をした医師の証言ではアルコールが検出されなかったことが述べられている。現場ではディペンドラが使用したライフル銃の薬包47包、軽機関銃の薬包29包が見つかっているが、泥酔状態の彼が2種類の銃器を操作して、自身の父、母、妹、弟といった直系親族を識別して撃つことが出来たのか疑問が生じる。
さらには、現場では王太子の使用したとされるライフル銃など4種類の銃器が発見されたことから、複数犯が殺害にあたったのではないかとの疑問も生じる。
死亡した王族の葬儀が性急かつ非公開で行われた点。

通常、国家元首や王族が死亡すると外交的にも国内的にも大々的な式典がおこなわれるのが通例だが、本事件後はそういった儀礼が一切なく、また国民にも非公開のうちに事件後数日で行われた。

事件の真相については、「親印派の王弟ギャネンドラがアメリカやインドの後押しを受けて、親中派のビレンドラ国王・ディペンドラ王太子らを抹殺した宮廷クーデター」との説がある。
ネパールはマヘンドラ国王の治世から専制君主制で、また地方では封建的な制度が残っており、毛沢東派勢力(マオイスト)派の共産軍が農村部で王政の転覆と共産革命を目指して内戦(ネパール内戦)を起こしていた。そのような背景のなか、ビレンドラ国王がこれまでの専制君主制から立憲君主制の議会民主主義への緩やかな移行を宣言し、1990年には憲法改正が行なわれ、選挙選出による議会制度も導入されていた。
だが国王の君主大権が非常に強く残っており、国軍は議会や内閣ではなく国王に直属していた。
事件の不自然さに加え、ギャネンドラの家族が全員無事だった事と、彼がビレンドラ国王の民主化に最後まで強硬に反対を唱え、民主化後は政争の激化などマイナス面を批判し続けていたことが、この陰謀説を有力めいたものにしている。また、2001年になって与党ネパール会議派は反政府ゲリラであるマオイストに対して国軍の投入を考えていたが、現実主義者であるビレンドラは内戦の激化を恐れ、野党ネパール統一共産党とともに慎重な姿勢を見せていた。だが、ギャネンドラは反政府勢力に対して強権的であり、この事件は彼の主導でわずか2週間で収拾が図られて会議派もそれを追認しているが、背景にはそのような要因もあったとされる。
ネパール共産党毛沢東派の最高幹部バーブラーム・バッタライは有力紙『カンティプル』で、<新たな"王宮大虐殺事件"を認めるわけにはいかない>との題で論評を出し、この事件の真相に疑問を持つ国民の声を代弁した。王宮大虐殺事件とは、かつてラナ家のジャンガ・バハドゥル・ラナが王宮で主要な重臣を抹殺し、王をも凌ぐ権力を手に入れて一族による宰相位の世襲を実現化した事件であり、バッタライはこの事件と同様に今回の事件もギャネンドラが王権を奪取するために行ったクーデターであると示唆した。
カゲンドラ・サングラウラもまた、<第二の王宮大虐殺事件―政府の秘密主義に国民は霧に迷った鳥>との題で『カンティプル』に論評を出し、政府に対して真相解明を求めている。また、サングラウラはこの事件に無傷で生き残ったギャネンドラの息子パラスへ疑いの目を向けている。
司法解剖が行われなかったと言う点もあわせ、様々な推測や噂が流れているため、真相の究明は困難である。ただ謀殺の疑惑を覆す証拠もなく、謀殺であったのかなかったのかその真相は五里霧中に隠れているとし、王宮内の長い権力闘争の歴史をたどれば今回の事件は決して特異な例ではなく、特に驚くことでもないのかもしれない。

ビレンドラ国王が民主的な国王として国民に慕われていたなかで、国王夫妻や王太子、他の王族が死亡しただけでなく、その弟ギャネンドラによるクーデターではないのかとの陰謀説も飛び交い、王室そのものの威信が大いに失墜した。
事件当日、ビレンドラが即死していたため、陸軍病院に搬送されていたディペンドラが意識不明のまま王位を継承し、ギャネンドラが摂政となった。6月4日未明、ディペンドラが死亡し、その日のうちにギャネンドラの王位継承が国家評議会によって認められた。ネパール王国は初代プリトビ・ナラヤン・シャハの創始以来、王位はずっと一貫して父から子へと継承されてきたが、傍系からのギャネンドラの継承は王国の政体に変質を生じさせた。
数少ない生存者であるギャネンドラは王位についたものの、いつまでたっても政党間でいがみ合い、らちのあかない議会政治に失望し、また毛沢東派勢力の制圧が進まないことを理由に、同年11月26日に非常事態宣言を発令して議会を停止し、内閣を側近でかためるなど専制的な政策をとった。
だが、只でさえ不人気で人望の無かったギャネンドラは結局、この事で国内外からの強い反発を招き、マオイストによるネパール内戦を激化させたばかりか、2006年4月の大規模な民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)への引き金を引いてしまった。また、彼のビレンドラが行ってきた民主化に対する反動政策から、「事件の犯人はディペンドラではなく、居合わせなかったギャネンドラがパラスに行わせたに違いない」、とネパールの民衆は信じるようになった。
民主化運動の結果、同年5月18日に国王の政治的特権はすべて剥奪され、ギャネンドラは元首ですらなくなった。さらに2008年5月28日、制憲議会で共和制が議決、王制は廃止されギャネンドラは退位することになり、ネパール王国(ゴルカ朝)はその長い歴史に終止符を打った。
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6月1日は、グレゴリオ暦で年始から152日目(閏年では153日目)にあたり、年末まであと213日ある。


====毎月1日の記念日===

【省エネルギーの日】
省資源省エネルギー対策推進会議が1980(昭和55)年3月25日に制定し、4月1日から実施。
「地球の化石資源節約の為にエネルギーを大切に使って節約しよう」と、区切りの良い1日を記念日とした。

【安全衛生総点検日】

【あずきの日】
井村屋製菓が制定。
かつて、毎月1日と15日に小豆ご飯を食べる習慣があったことから。

【釜飯の日】
釜飯専門店を運営する株式会社前田家が制定。
1995(平成7)年7月1日の同社の創業記念日に因む。

【家庭塗料の日】

【資格チャレンジの日】
資格取得の通信講座を行う株式会社フォーサイトが制定。
月始めに資格取得について考えてほしいとのことから。

====毎月1日,5日,15日===

【水天の縁日】
水天は水を司る龍神で、降雨を祈る水天法の本尊である。
総本社は福岡県久留米市の水天宮で、ここは安徳天皇等を祀ったものであるが、水に縁のある神様として、海運業・漁業・水商売等を加護し、また安産の守り神ともされている。
安産の神ということから戌の日にも参拝者が多く、特に戌年戌月戌日と縁日が重なると「大戌」といって珍重される。

=====毎月1日,15日====

【妙見の縁日】
妙見菩薩は北極星が神格化されたものとされ、北斗信仰を背景に、特に眼病に霊験あらたかとして信仰されている。

====5月30日~6月4日===

ごみ減量・リサイクル推進週間

====5月31日~6月6日===

禁煙週間

建設産業構造改善推進週間

====6月1日~6月7日====

水道週間

がけ崩れ防災週間

====5月11日~6月10日===

けん銃取締り特別強化月間

全国暴力団総合対策特別強化月間

====6月1日~6月10日===

電波利用保護旬間

育児休暇制度促進旬間

====5月15日~6月15日===

情報通信月間


====6月1日~6月19日===

建築文化週間

====4月1日~6月30日===

春季における都市緑化推進運動

====5月1日~6月30日===

不正大麻・けし撲滅運動

====5月31日~6月30日===

あやめ月間

====6月1日~6月30日===

まちづくり月間

環境月間

海洋環境保全推進月間

リウマチ月間

男女雇用機会均等月間

就職差別解消促進月間 [東京都]

就職差別撤廃月間 [大阪府]

外国人労働者問題啓発月間

来日外国人犯罪対策及び不法滞在・不法就労防止のための活動強化月間

暴走族追放強化月間

二輪車交通事故防止強化月間

不正改造車排除運動

全国設備管理強調月間

全国安全週間準備期間

土砂災害防止月間

砂利災害防止月間

鉄道妨害防止月間

農薬危害防止運動月間

国際演劇月間

食育月間

水道ふれあい月間 [東京都]

東北の海クリーン作戦

大阪湾クリーン作戦

瀬戸内海・宇和海クリーン作戦

====6月1日の出来事====

1615年
(慶長20年5月5日)大坂夏の陣: 徳川家康が京都・二条城を出陣。

1660年
メアリ・ダイアーがクエーカー教禁止令によりボストンで絞首刑。北米大陸最後の殉教者。

1831年
イギリスの探検家ジェイムズ・クラーク・ロスが北磁極に到達。

1857年
シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』が発刊。

1880年
東京警視本署に消防本部を設置。

1910年
幸徳事件(大逆事件): 幸徳秋水が逮捕される。

1910年
ロバート・スコットを隊長とするイギリスの南極探検隊が南極点を目指し出発。

1943年
BOAC777便がドイツ軍のJu 88爆撃機により撃墜 (en:BOAC Flight 777)。当該便に搭乗していると思われたイギリス首相ウィンストン・チャーチル暗殺のためだったが、実際に搭乗していた映画俳優のレスリー・ハワードが犠牲となる。

1945年
米・スティムソン委員会がトルーマン大統領に日本への原爆投下を勧告。

1946年
第二次世界大戦中にルーマニアのConduc・tor(指導者)であったイオン・アントネスクが、ルーマニア共産政権により戦犯として銃殺刑に処せられる。

1946年
ベトナムに日本軍将兵を教官とするクァンガイ陸軍士官学校が設立。

1955年
現行の一円硬貨発行。日本初のアルミ硬貨。

1955年
有限会社中村製作所(後のナムコ、後のバンダイナムコゲームス)創業。

1958年
アルジェリア戦争に端を発するフランス第四共和政政府の混乱収拾のため、政府の要請によりシャルル・ド・ゴールが首相に就任。

1962年
ユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマンの死刑をイスラエルのテルアビブ・ラムレ刑務所で処刑を執行。

1965年
福岡県の三井山野炭鉱でガス爆発。237人が死亡、279人が重軽傷。

1980年
24時間ニュース専門チャンネルCNNが開局。

1986年
上野動物園のパンダ・トントンが誕生。日本で初めてパンダの人工受精による出産に成功。

1988年
自衛官護国神社合祀裁判で、最高裁が上告を棄却し合憲判断が確定。

1993年
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争: サラエボ西方のドブリニャで、迫撃砲2発が試合中のサッカー場に着弾。死者13人。

1999年
アメリカン航空1420便オーバーラン事故。11人死亡。

1999年
ソニー、子犬型のペットロボット・AIBOをインターネット限定発売。わずか20分で完売。

『ロボットごときに、家族の地位を奪われてたまるかニャ~!』 


2001年
ネパール王族殺害事件。

2004年
佐世保小6女児同級生殺害事件。

2006年
改正道路交通法が施行され、駐車違反の取り締まりが民間委託に。新たに、民間法人に属する駐車監視員も取り締まり業務を行う。

2007年
安楽死のための自殺装置を作動させ殺人罪で収監されていた医師ジャック・ケヴォーキアンが、健康状態悪化のため仮釈放。

2009年
ゼネラルモーターズ (GM) が、米連邦倒産法第11章(日本の民事再生法)の適用を申請。

2010年
子ども手当の支給開始。

2012年
日本円と中国人民元の直接取引が開始される。

2016年
2017年4月1日に予定されていた消費税10%への増税を2019年10月に再延期することを発表。

2018年
スペイン下院・議会にてマリアーノ・ラホイ首相への不信任決議が可決。翌日、ペドロ・サンチェスが新首相に就任。

2019年
金沢シーサイドライン新杉田駅逆走事故が発生。自動運転列車による逆走衝突事故。

2023年 

将棋の藤井聡太氏が名人戦に勝利し、史上最年少でタイトル7冠を達成。


※予定 

2030年6月1日。アフリカ、ヨーロッパ、アジアの広い地域で日食が発生。金環日食も観測され、日本では北海道の大部分が中心食滞に入る。



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