Code Name Coq Rouge
【ヤン・ギィユー】
(Jan Oscar Sverre Lucien Henri Guillou ヤン・ギルーとも)
スウェーデンの作家/ジャーナリストである。作品には、「カール・ハミルトン」(Carl Hamilton )という名のスパイが登場するスパイ小説やテンプル騎士団のアルン・マグヌッソン(Arn Ma gnusson)が登場する歴史小説3部作がある。
ギィユーは作家のリサ・マークルンドや内縁の妻で出版人のアン=マリー・スカルプ(Ann-Marie Skarp)と共にスウェーデンで最大の出版社の一つであるPiratf・rlaget社を所有している。
誕生:1944年1月17日
スウェーデン ストックホルム県 セーデルテリエ
職業:小説家、ジャーナリスト
国籍:スウェーデン、 フランス
活動期間:1971年 -
ジャンル スパイ小説、歴史小説、政治スリラー
デビュー作 Om kriget kommer(1971年)
ギィユーは、スウェーデンでは事件記者時代に有名になった。1973年にギィユーと同僚のペーター・ブラット(Peter Bratt)は、スウェーデンの秘密情報機関「Informationsbyr・n」(IB)の存在を暴露した。現在でもギィユーはスウェーデンの夕刊タブロイド紙『アフトンブラーデット』(Aftonbladet)のコラム記者としてジャーナリスト活動を続けている。
2009年10月にタブロイド紙『エクスプレッセン』(Expressen)は、ギィユーが1967年から1972年までソビエト連邦のスパイ組織KGBの工作員として活動していたと告発した。
ヤン・ギィユーはこの期間にKGBの現地工作員と数回連絡を取ったことを認め、KGBから報酬を受け取ったことを打ち明けたが、自身の目的がジャーナリスト活動のために情報を収集することであったという立場は崩さなかった。
この告発はスウェーデンの公安警察(スウェーデン語: S・kerhetspolisen)が発表した書類と元KGB大佐のオレグ・ゴルディエフスキー(Oleg Gordievsky)へのインタビューに基づいていた。後の裁判で『エクスプレッセン』紙は、ギィユーがソ連のスパイであったというのは見出しと記事の誤った解釈だと主張して告発を取り消した。
《経歴》
ストックホルム県セーデルテリエで生まれた。父親でフランス人のシャルル・ギィユー(Charles Guillou)は、ストックホルムのフランス大使館に務める管理職員の息子としてスウェーデンにやって来た。母親のマリアン・ギィユー(旧姓ボトルフセン、Botolfsen)は、ノルウェー人の家系であった。ヤン・ギィユーは、生まれたときにフランスの国籍を得、1975年にスウェーデン国民となった。
《仕事》
ギィユーは1966年から1967年にかけて『FIB aktuellt』誌の記事を書いてジャーナリストとして出発した。後に共産党の『Folket i Bild/Kulturfront』誌を共同で創刊し、1970年から1977年にかけてこれに携わった。現在は『アフトンブラーデット』紙にコラムを寄稿し、時に応じてその他の時事出版物に現在の出来事、特に米国の対テロ戦争、イスラエルのパレスチナ人に対する政策、スウェーデンの公安警察、スウェーデンの法廷手続きや公聴会といった中東での紛争や国内の様々な問題に対し常に左翼の視点と反米的立場から意見を述べている。
ギィユーは、犯罪/ドラマのTVシリーズ『Talismanen』(TV4、2003年)の脚本を共同で執筆。
《著作》
ギィユーの処女作『Om kriget kommer』は1971年に出版された。
『ハミルトン』
1986年にギィユーは、架空のスウェーデンの軍事スパイ「カール・ハミルトン」(Carl Hamilt on)が登場する小説を出版した。ギィユーが作り出した架空のヒーローは元々アタック・ダイバーになるために選抜、訓練を受けていたが、後にネイヴィー・シールズの一員となるためにカリフォルニアでの特殊訓練に選ばれた。ハミルトンは左翼思想の持ち主であり、一時的に公安警察のために働いていた期間に上司の一人から「コック・ルージュ」(Coq Rouge、赤い雄鶏)と綽名された。最初の作品『Coq Rouge』と合わせてシリーズ11作が刊行された。
このシリーズの登場人物の幾人かは実在の人物をモデルにしている。ヤン・ギィユー自身はエリック・ポンティ(Erik Ponti)という人物のモデルであり、ギィユーはこの名前を自伝的小説『エリックの青春』(原題 Ondskan:悪魔)の中でも使用している。
コック・ルージュ シリーズ
『Coq Rouge - ber・ttelsen om en svensk spion』(1986年):(コック・ルージュ - スウェーデン人スパイの物語)
『Den demokratiske terroristen』(1987年):(民主的なテロリスト)
『I nationens intresse』(1988年):(国家のために)
『Fiendens fiende』(1989年):(敵の敵)
『Den hederv・rde m・rdaren』(1990年):(名誉ある殺人)
『Vendetta』(1991年):(ヴェンデッタ)
『Ingen mans land』(1992年):(誰のものでもない地)
『Den enda segern』(1993年):(唯一の勝利)
『I hennes majest・ts tj・nst』(1994年):(女王陛下のスパイ:女性を示す「hennes majest・t」は、この場合エリザベス2世を指していることに注意)、日本語訳 (「ヤン・ギルー」の表記で) 三木 宮彦(翻訳)(1995年)『白夜の国から来たスパイ』 TBSブリタニカ
『En medborgare h・jd ・ver varje misstanke』(1995年):(疑惑の多い市民)
『Hamlon』(1996年):(ハムロン)
『:en:Madame Terror|Madame Terror』(2006年):(マダム・テラー)
『Men inte om det g・ller din dotter』(2008年):(あなたの娘の件でなければ)
ハミルトンを題材とした映画とテレビ作品
『Code Name Coq Rouge』(コードネーム - コック・ルージュ)、ステラン・スカルスガルド主演(1989年)

『F・rh・ret』(尋問)、ステラン・スカルスガルド主演(TV 1989年)
『Enemy's Enemy』(敵の敵)、ペーテル・ハベル(Peter Haber)主演(TVシリーズ 1990年)
『The Democratic Terrorist』(民主的なテロリスト)、ステラン・スカルスガルド主演(1992年)
『Tribunal』、シュテファン・ハウク主演(TV 1995年)
『ハミルトン』(Hamilton):ピーター・ストーメア主演(1998年、TVドラマ版2001年)


『エージェントハミルトン』
過去にカール・ハミルトンを演じた5人の俳優
新シリーズでは、ヤーコブ・オフテブロが演じている。
十字軍3部作
『V・gen till Jerusalem』、(ヘルサレムへの道)(1998年)
『Tempelriddaren』、(テンプル騎士団)(1999年)
『Riket vid v・gens slut』(旅路の果ての王国)(2000年)
ギィユーは『Arvet efter Arn』(アルンの遺産)(2001年)という題名でストックホルムの開祖であるビリエール・ヤール(Birger Jarl)に関する続編も著している。
エリックの青春
ギィユーは学生時代を描いた自叙伝『エリックの青春』(原題 Ondskan:悪魔、1981年 日本語訳 柳沢由実子 訳 扶桑社 2006年を著し、これは映画『Evil』(2003年)にもなった。この映画は2003年度のアカデミー賞の候補作品となった。
受賞
1984年 ・ 偉大なジャーナリスト賞(Stora Journalistpriset):ケイス・セーデルホルム(Keith Cederholm)事件での記事に対して
1984年 ・ アフトンブラーデットTV賞(Aftonbladets TV-pris):「今年の男性出演者」部門
1988年 ・ スウェーデン推理小説アカデミー(Swedish Academy of Crime Writers)から「最優秀スウェーデン犯罪小説賞」(B・sta svenska kriminalroman):『I nationens intresse』(国家のために)
1990年・ フランス・カルチャー(France Culture)から「フランス・カルチャー賞」(Prix France Culture):『エリックの青春』(Ondskan)(フランス語への最優秀翻訳書籍賞)
1998年 ・ スウェーデン地方公共団体労働組合(Sveriges Kommunaltj・nstemannaf・rbund)から「今年の作家賞」(・rets f・rfattare)
2000年 ・ M・nadens Bok から「今年の一冊賞」(・rets bok):『Riket vid v・gens slut』
ギィユーは2000年から2004年までスウェーデン出版社協会(Publicistklubben)の会長も務めた。
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死刑にされる権利
死刑執行が停止されていたユタ州で、「死刑にされる権利」を要求していたゲイリー・ギルモアが本人の希望どおり処刑される。
【ゲイリー・ギルモア】
(Gary Gilmore、1940年12月4日 - 1977年1月17日)
アメリカの犯罪者、元死刑囚。1976年に弁護士を通じて死刑を要求し全米から注目されるなか執行される。当時、死刑の廃止の潮流にあったアメリカの流れを変えるきっかけになった。
本名:ゲイリー・マーク・ギルモア
Gary Mark Gilmore
生誕:1940年12月4日
アメリカ合衆国テキサス州ウェーコ
死没(刑死):1977年1月17日(36歳没)
アメリカ合衆国ユタ州ドレイパー
罪名:第二級殺人
刑罰:死刑
配偶者:ニコール・ベイカー
有罪判決:殺人罪
1940年、テキサス州ウェーコに四人兄弟の次男として生まれる。父親は詐欺師で、偽名を使いながら全米を移動し横領、詐欺で逮捕され服役経験があり分かっているだけで7回も結婚し子供もいた過去があった。母親はモルモン教徒の農家に生まれた普通の娘で結婚後は二人で新聞社相手の広告詐欺をしながら全米を移動していたが、子供ができてから父親は妻子に暴力を振るうようになり経済的にも精神的にも不安定な環境で成長する。
4男が生まれた1951年頃から一家は定住し、堅気の仕事である本の出版で安定した収入を得るようになったが、ゲイリーは非行に走り10歳で盗みを始めて学校では手の付けられない問題児だった。中学で強盗罪で逮捕され感化院に送られたが脱走したり暴れたため特別練に隔離された。出所後も、犯罪をしては逮捕されるのを繰り返し高い知能と絵の才能があったにもかかわらず、州刑務所、連邦刑務所と人生の半分以上を塀の中で過ごす。獄中でも凶暴で他の囚人に重傷を負わせたり看守を脅して独房に頻繁に放り込まれた。塀の外でも職に就かず酒とドラックに溺れ、喧嘩、窃盗を繰り返し仮釈放中に強盗で逮捕され11年の刑期を宣告され1976年4月まで服役した。出所後、身元引受人の母方の叔母が住むユタ州オレゴンに住む。そこで若いニコール・ベイカーと結婚したが、定職に就かず、盗みを繰り返したため愛想を尽かされて出て行かれてしまう。
7月19日、鬱憤が溜まって町をドライブしていた時、衝動的にガソリンスタンドを襲い強盗を働いた後、店員を射殺した。翌日もモーテルを襲い管理人を射殺した。この時の目撃者が元で逮捕された。
10月の裁判では有罪となり、死刑を宣告された。ユタ州の死刑制度では死刑囚は執行形式を銃殺刑か絞首刑かのいずれかを選択することが出来るため、ギルモアは銃殺刑を選んだ。アメリカでは1967年の死刑制度再検討のためのモラトリアム実施以来、世界的な死刑廃止の潮流の高まりもあって死刑執行が停止されており、アメリカにおいても死刑廃止がいよいよ現実味を帯び始めたところだった。
ところが、これ以上の刑務所生活を望まないギルモアは新たに弁護士を雇い「死刑にされる権利」を州知事に要求する。しかし叶わなかったことからニコールと同時刻に睡眠薬を飲み自殺を図るが失敗した。この頃には世界中のマスコミの注目の的になっており、日本でも新聞、雑誌で取り上げられた。全米のニュースのトップをかざり彼の写真はニューズウィークの表紙にもなった。ワシントンD.C.で開かれた死刑制度に関する連邦議会の公聴会にも証人として出席し、いくつかの意見を述べている。
家族や死刑廃止団体が最後まで説得したものの、ギルモアは嘲笑し聞く耳を持たず、最終的には権利を勝ち取った。執行前にはハンガーストライキを行い、1977年1月17日、本人の希望どおりに複数の銃撃者により処刑された。
その後、アメリカでは死刑が再開されるようになった。
生前、獄中インタビューをした作家ノーマン・メイラーは『死刑執行人の歌―殺人者ゲイリー・ギルモアの物語』を執筆。ピューリッツアー賞を受賞した。
末弟マイケル・ギルモアは、音楽ライターとなり、自身の一族の物語『心臓を貫かれて』を発表し話題を呼んだ。他の兄弟とともに、一族の血を後世に残す気がないために子供をつくらなかった。
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