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Brokeback Mountain


【ヒース・レジャー】- 2 - 

Heath Ledger
オーストラリア出身の俳優。 





2008年の死後に公開された『ダークナイト』では主人公バットマンの宿敵ジョーカーを演じた。





ヒース・レジャーは、一ヶ月間ロンドンのホテルにひとりきりで閉じこもり、ジョーカー独特の声や笑い方を作り上げるなどして圧倒的な役作りで撮影に臨み、ジャック・ニコルソンのとはまた違ったジョーカー像を創造することに成功し、批評家から高い評価を得る。
この作品で彼はアカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞 助演男優賞、英国アカデミー賞 助演男優賞など主要映画賞を総なめにした。故人のアカデミー賞受賞は、ピーター・フィンチ以来32年ぶり2例目となる。アカデミー授賞式には亡き本人に代わり、両親と姉が出席。父親のキム・レジャーは、「息子の演技を評価していただき、ありがとうございます」と礼を述べた。また、関係者にも感謝の意を伝え、「息子は映画の世界を愛していました」とメッセージを送った。また、同助演男優賞の中では史上4番目(28歳と324日)の若さでの受賞となった。
死亡時、テリー・ギリアム監督作『Dr.パルナサスの鏡』の撮影途中であったため、ジョーカーを演じた『ダークナイト』が遺作になるものとみられていたが、親友のジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウが代役の出演を快諾して製作の続行が可能になり、無事に完成し公開された。なお、本作でのヒースの演技はカット・加工されることなく予定通り使用された。さらに、ヒースの代役を務めた3人は出演料のすべてを娘のマティルダに寄付した。

ヒースレジャーは映画監督業にも興味があり、生前いくつかのミュージックビデオでは監督をつとめている。2006年には、オーストラリアのヒップホップアーティストN'faのシングル「Seduction Is Evil (She's Hot)」やベン・ハーパーのシングル「Morning Yearning」のミュージックビデオを監督した。

《突然の死》
2008年1月22日、ヒースは映画『ダークナイト』の完成を待たずに、マンハッタンの自宅アパートで遺体で発見された。28歳没。前年11月頃から不眠症となり、「とても疲れているのに二時間程しか眠れない」と映画『ダークナイト』出演に際してのインタビューでは睡眠薬服用を公言している。また、インタビュー時期は自身の婚約解消と別居が重なる時期でもあった。当時はインフルエンザにもかかっており、薬の併用摂取(特定の薬物を過剰摂取したわけではない)による急性薬物中毒による事故死だった。
1月26日にロサンゼルスで、2月9日に地元パースの大学で葬儀が行われた。

2001年から2002年まではヘザー・グラハム、2002年から2004年まではナオミ・ワッツと交際。『ブロークバック・マウンテン』で共演した女優ミシェル・ウィリアムズと2005年に婚約。同年10月28日に長女マティルダ・ローズが誕生したが、2007年9月に婚約解消。その後はヘレナ・クリステンセン、ジェマ・ワード、メアリー=ケイト・オルセンとも交際の噂があった。

映画評論家のピーター・トラヴァースは、雑誌『ローリング・ストーン』誌上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャーの壮麗な演技は、まさに演技における奇跡である」と述べ、「レジャーは彼(イニス)がどう動くか、どんな喋り方や動き方をするかを理解しているだけではなく、どう呼吸するかまで理解している」と評した。
作家、音楽・映画批評家、詩人のステファン・ホールデンは、『ニューヨーク・タイムズ』紙上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャー氏の演技は、マーロン・ブランドやショーン・ペンの最良の演技に匹敵するくらい、偉大な演技である」と評した。
ダニエル・デイ=ルイスは、ヒース・レジャー死去直後の2008年全米映画俳優組合賞、主演男優賞の受賞スピーチにおいて、自分に映画界復帰の気持ちを与えてくれた俳優としてヒース・レジャーの名前を挙げ、「『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした」と語り、「映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした」と述べて、賞をヒース・レジャーに捧げた。






第12回全米映画俳優組合賞(2005年度)で、ヒース・レジャーは、アンサンブル演技賞にノミネートされていた『ブロークバック・マウンテン』の紹介のために、ジェイク・ジレンホールと舞台に上がった。このとき、彼は緊張のあまり手に腰を当て、落ち着きなく、ときに意味のないくすくす笑いを発するなど挙動不審な行動を行った。この様子を『ロサンゼルス・タイムズ』紙が「明らかにゲイの人たちをからかっていた」と報道した。この報道に慌てたレジャーは直接新聞社に電話して、自分の「あがり症(stage fright)」について告白した。そして「自分はたくさんの人を前にすると緊張するんだ」「自分の神経質さに対して大変申し訳なく、謝罪したい気持ちです。もし自分のあがり症のせいで、この映画や映画のテーマ、またこの映画の製作にたずさわった人たちを侮辱したと誤解されたのなら、それは本当に恐ろしいことです」と弁解した。また、腰に手を当てていたことも「子供の頃からのクセなんだ。母親に聞いてもらってもいい。たぶん緊張してそんなことをするんだと思う。自分はひどく落ち着きのない人間で、たえず動き回っていて、じっと座ったり立ったりしていることができないんだ」と語った。
トーク番組やバラエティショーに出るのも苦手としていた。

『パトリオット』で共演したメル・ギブソンとは親交があったものの、『ブロークバック・マウンテン』の出演を機にレジャーとの関係が疎遠になった。ギブソンはレジャーにゲイの役を演じないように忠告したが、彼がこの忠告を無視して『ブロークバック・マウンテン』への出演を決めたため、両者の関係は冷めてしまったという。ギブソンは超伝統主義カトリック教徒として知られ、道徳的にも極めて保守的な信条の持ち主であったため、レジャーが同性愛者の役柄を演じるのは受け入れがたかったと見られる。
ギブソンの代表作『マッドマックス』シリーズの4作目の制作企画が2001年~2003年頃にあった時、『パトリオット』以来の共演の可能性があった。ギブソンが演じた主人公マックスのDNAを受け継ぐ「息子」としての新しいマックス役で、ギブソン演じるマックスが過去のフラッシュバックで登場する形で共演するとされていた。また2014年にジョージ・ミラー監督はレジャーをキャスティングしようとしていた事を認めている。
『Dr.パルナサスの鏡』の出演オファーを1度は断るも、その後、自分から直接テリー・ギリアム監督のもとに出向いて前言を撤回。「ケータリング係でもいいから参加させてほしい」と頼んだ。

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ROCK YOU! 


【ヒース・レジャー】-1- 

Heath Ledger
オーストラリア出身の俳優。



本名:ヒース・アンドリュー・レジャー
Heath Andrew Ledger
生年月日:1979年4月4日
没年月日:2008年1月22日(28歳没)
出生地:オーストラリア・西オーストラリア州パース
国籍:オーストラリア
職業:俳優
ジャンル:映画
活動期間:1996年 - 2008年
《主な作品》
『恋のからさわぎ』
『ROCK YOU!』
『ブロークバック・マウンテン』
『ダークナイト』
『Dr.パルナサスの鏡』

《受賞》
アカデミー賞
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
2005年『ブロークバック・マウンテン』
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
2005年『ブロークバック・マウンテン』
放送映画批評家協会賞
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
MTVムービー・アワード
ベストキス賞
2005年『ブロークバック・マウンテン』
悪役賞
2008年『ダークナイト』
AFI賞
最優秀外国男優賞
2005年『ブロークバック・マウンテン』
2008年『ダークナイト』
英国アカデミー賞
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
全米映画俳優組合賞
助演男優賞
2008年『ダークナイト』
その他の賞
インディペンデント・スピリット賞
インディペンデント・スピリット・ロバート・アルトマン賞
2007年『アイム・ノット・ゼア』

故人のアカデミー賞受賞は、ピーター・フィンチ以来当時32年ぶり2人目。

オーストラリアでテレビ・映画に出演した後、1999年に『恋のからさわぎ』でハリウッドデビューを果たす。当初はアイドル路線的な注目だったが、ほどなくして本人がこの路線を拒否し、以後出演作品を選ぶようになる。
『ブロークバック・マウンテン』(2005年)の演技が絶賛され26歳でアカデミー主演男優賞にノミネート、一躍若手演技派俳優と目されるようになった。
その後も順調にキャリアを重ねていったが、2008年、睡眠薬等の薬物併用摂取による急性薬物中毒により急死。死後、『ダークナイト』(2008年)の演技により、アカデミー助演男優賞を受賞した。28歳での同賞受賞は史上4番目の若さだった。





1979年4月4日、西オーストラリア州パースにて生まれる。ファーストネームのヒースはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の主人公ヒースクリフに由来する。父親のキム・レジャーはレーサー兼鉱山エンジニア、母親のサリー・レジャー(旧姓レンショー)はフランス語教師だった。
レジャー家はスコットランド人とアイルランド人の血を引くパースでは有名な家系で、先祖は「レジャー・エンジニアリング・ファウンドリー」という鋳物工場を経営して、パースからカルグーリーへ至る有名なパイプライン建設の際には原材料を供給していた。また、ヒースの曾祖父の名前を冠した団体「サー・フランク・レジャー慈善信託」は、地元の大学に対して、講師を招いたり才能ある学生へ奨学金を支給するために財政援助をしており、地域の人々から尊敬を集めている 。
ヒース・レジャーが11歳の時に両親は離婚。その後、父親はエマ・ブラウンと、母親はロジャー・ベルと再婚した。兄弟には実姉(ケイト)と異母妹(オリヴィア)、異父妹(アシュリー・ベル)がいる。
学生時代はホッケー選手として活躍し、演劇部の部長を務めた。飛び級で16歳の時に高校を卒業。

10歳の時に地元の劇団に所属し、オーストラリア国内の舞台やテレビに出演。小さい役ながら1992年公開の『Clowning Around』に出演している。1996年、オーストラリアのテレビドラマ『Sweat』でレギュラー役をつかむ。番組自体あまり人気がなく、また役柄がゲイ役だったこともあり、この頃、街中で嫌がらせやいじめを受けることもあったというが、彼の演技は業界関係者の注目を浴び、これが本格的なキャリアの出発点となっる。その後、1997年公開のオーストラリア映画『ブロックロック』で本格的に映画デビューを果たし、同年に全米放送のテレビシリーズ『Roar』でさらに注目を集める。

1999年公開の『恋のからさわぎ』でハリウッドに進出。この映画の成功で、ヒース・レジャーのもとにはアイドル路線的な役柄のオファーが殺到するようになったが、本人がこの路線を拒否し、エージェントにはシリアスで重みのある役柄を演じたいと申し入れた。しかし、大した実績もない駆け出しの若手俳優にそうしたオファーがそうそう来るはずもなく、その後ほぼ1年間、本人いわく「ヌードルと水」だけの貧窮生活を送ることになる。


2000年、ヒース・レジャーは『パトリオット』に出演してメル・ギブソンの息子役を演じた。この映画の評価自体は二分されたものだったが、レジャー自身は「メジャーなスターになれるだけの才能とルックスを備えている」と評価されるなど、その演技は好感をもって受け入れられた。



2001年公開の『チョコレート』では、ビリー・ボブ・ソーントンの息子役を演じた。冒頭40分足らずの出演であったが、その演技は「短いながらも強烈な存在感」との批評を得るなど、単なる若手アイドル俳優ではないことを示した。ダニエル・デイ=ルイスも、後年の全米映画俳優組合賞での追悼スピーチの中で、『ブロークバック・マウンテン』とともにこの映画での彼の演技を讃えている。


2001年公開の『ROCK YOU!』でハリウッド作品に初主演する。この作品は全米興行収入初登場1位を記録、約5600万ドルのヒットとなりトップスターの仲間入りを果たす。


この年のピープル誌の「最も美しい人物50人」にも選出された。その後も『サハラに舞う羽根』や『ケリー・ザ・ギャング』、『ブラザーズ・グリム』など、様々なジャンルの映画に出演した。これらの映画において、ヒース・レジャーの演技はそれなりに評価される向きもあったものの、映画自体の興行がいずれもふるわず、また批評家からの作品レビューも辛辣なものがあった。

2004年製作、2005年公開の映画『ブロークバック・マウンテン』にイニス・デルマー役として出演した。ヒース・レジャーは、せりふの少ないこの主人公の20歳から40歳近くまで20年に及ぶ役柄を、わずかなメイクと、あとは歯を食いしばるようなしゃべり方や声の調子を変えることで演じた。抑制的な、ときに激情を爆発させる彼の演技は、批評家からマーロン・ブランドやショーン・ペンのそれに比せられるなど、手放しの絶賛を受ける。
ヒース・レジャーはこの役でニューヨーク映画批評家協会賞などを受賞。また、史上9番目(26歳と302日)の若さでアカデミー主演男優賞にノミネートされ、映画芸術科学アカデミーの会員に招待された。
『ブロークバック・マウンテン』は2005年度の各映画賞を総なめにした。また、当初全米で5館のみという上映であったが次第に上映館を増やし、興行収入もこの種の映画では考えられないほど記録的なものになった。


2006年公開のオーストラリア映画『キャンディ』では、ドラッグに溺れる詩人志望の役柄を演じた。映画自体は『ブロークバック・マウンテン』以前に撮られていたが、公開は2006年まで先延ばしにされていた。低予算で作られた映画だったが、『ブロークバック・マウンテン』以降のヒース・レジャーの人気もあって、公開されるとそれなりの興行収入を叩きだした。彼の演技も「レジャーは、まっすぐに生きられない人間を、傑出した才能で演じた」「彼は冒頭からキャラクターになりきっている」(『ニューヨーク・タイムズ』)と評されるなど、批評家から高い評価を受ける。


2007年公開の『アイム・ノット・ゼア』では、ボブ・ディラン役を演じる6人の俳優の1人として出演した。この映画がヒース・レジャーの生前に公開された最後の映画となった。

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Jazz聴きませんか?


1月22日はグレゴリオ暦で年始から22日目に当たり、年末まであと343日(閏年では344日)ある。
できごと

====1月22日の記念日===

【ジャズの日】
東京都内の老舗ジャズクラブ「バードランド」「サテンドール」「オールオブミークラブ」のオーナーらによる「JAZZ DAY実行委員会」が2001年から実施。
JAZZの「JA」がJanuary(1月)の先頭2文字であり、「ZZ」が「22」に似ていることから。
ジャズのファン層の裾野を広げる為に、ライブコンサート等さまなざまPR活動が行われる。


ジャズといえば・・・
ドラムでしょう~?







いやいやメインはボーカルだニャ







何を言いますニャ・・・
ピアノあってのジャズですニャ~







哀愁のサックスざましょ!





(-_-;)纏まりそうもないですねぇ




『ベルさんはウッドベースですかぁ?』

わたしの憧れはロン・カーター先生ニャ




『ベルさん、下半身露出ですか?』


下僕、この演奏をレクイエムにしてやるニャ 


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【飛行船の日】
1916(大正5)年のこの日、初の国産飛行船である陸軍の「雄飛号」が、所沢~大阪で実験飛行を行った。


(;σ゜0゜)σオォ~♪

あれが噂の飛行船ですか?








猫さんは風船飛行で
初飛行に挑戦中~♪


浮きますぅ!浮きますぅ!





もう少し風船増やしてニャ~♪

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【カレーライスの日】

1982年のこの日、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出された。 


『カレーは具が命ニャー』



『うましぃ!!』

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【統一の日 [ウクライナ]】
1919年のこの日、ウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国が統一条約に調印した。

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【默阿彌忌】
歌舞伎作者・河竹默阿彌の1893年の忌日。
『三人吉三廓初買』『青砥稿花紅彩画』等の人気狂言を書き、近松門左衛門、鶴屋南北とともに、三大歌舞伎作者の一人とされている。

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【左衛門忌】
俳人・吉野左衛門の1920年の忌日。

====毎月22日の記念日===

【ショートケーキの日】
仙台の洋菓子店・カウベルが2007(平成19)年に制定。
カレンダーで22日の真上には15日があり、ショートケーキの上には苺が乗っていることから。 



【禁煙の日】
禁煙を推進する学会で作る禁煙推進学術ネットワークが制定。「2」を白鳥(スワン=吸わん)に見たて、「22」で「吸わん吸わん」との語呂合せから。

【夫婦の日】
毎日新聞社・味の素かどが1987(昭和62)年制定。
「夫婦の日(2/2)」「よい夫婦の日(4/22)」「いい夫婦の日(11/22)」「いい夫妻の日(11/23)」

1月22日は・・・。
いちばん好きよの『夫婦の日』
2月22日は・・・。
ニコニコ『夫婦の日』
3月22日は・・・。
さわやか『夫婦の日』
4月22日は・・・。
よい『夫婦の日』
5月22日は・・・。
いつまでも『夫婦の日』
6月22日は・・・。
むつまじく『夫婦の日』
7月22日は・・・。
なかなかの『夫婦の日』
8月22日は・・・。
やっぱり『夫婦の日』
9月22日は・・・。
こころの通う『夫婦の日』
10月22日は・・・。
永遠(とわ)に誓う『夫婦の日』
11月22日は・・・。
いい『夫婦の日』
12月22日は・・・。
ふたりでひとつの『夫婦の日』

====1月20日~2月19日===

血栓予防月間

====1月1日~2月29日===

「はたちの献血」キャンペーン

====1月1日~3月31日===

消費税の確定申告

====1月22日の出来事===

646年(大化2年1月1日)
大化の改新: 改新の詔が発布される。

1506年
スイス傭兵の最初の150人がローマ教皇領に到着。

1863年
ロシア帝国支配下のポーランドで一月蜂起が始まる。

1887年
東京電燈会社が営業開始。移動式発電機により鹿鳴館に日本初の電燈が燈る。

1901年
イギリスのヴィクトリア女王が死去。エドワード7世が即位。

1903年
アメリカ・コロンビア間の「ヘイ・エラン条約」調印。アメリカがパナマ運河地帯の租借権を獲得。

1905年
血の日曜日事件。ロシアの首都サンクトペテルブルクで軍隊が労働者のデモ隊に発砲。死者千人以上。ロシア革命の契機に(ユリウス暦1月9日)。

1969年
ソ連の最高指導者レオニード・ブレジネフの暗殺未遂事件。

1973年
米最高裁が妊娠中絶を規制する米国内法の大部分を違憲無効とする判断を示す。(ロー対ウェイド事件)

1976年
1971年に発生した連続女性殺人事件の犯人、大久保清の死刑が東京拘置所で執行される。

1980年
ソ連のアフガニスタン侵攻を批判した物理学者アンドレイ・サハロフが閉鎖都市ゴーリキー市へ流刑。

1981年
佐賀替え玉保険金殺人事件。

2002年
三島女子短大生焼殺事件。三島市で元建設作業員の男が女子短大生を監禁・強姦し、翌日未明、意識のある状態のまま灯油を浴びせて焼殺。同年7月23日に被疑者を逮捕し、2008年に死刑が確定。(監禁から殺害までの犯行が極めて残忍な事件である。)


2003年
太陽系外へ向け飛行中の宇宙探査機「パイオニア10号」との通信が、この日の信号を最後に途絶。

2013年
ロシアの小型衛星BLITSは衛星としての機能を喪失。

2021年

核兵器禁止条約(50か国・地域以上が批准)が発効。


2022年

日向灘で最大震度5強を観測する地震が発生した。


2025年 

イエメンの親イラン武装組織フーシ派が2023年11月に紅海で拿捕した日本郵船運航の貨物船の乗組員を解放した。




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