すくすく育つ。
ちっちゃいちっちゃいオモチャのような子が、すくすく育ち。
体質なのでしょうかぁ?
肉餃子みたいな?
やがて貫禄すら醸し出し・・・。
あれから10年を迎えました。
そんな鈴さんは、現在プチダイエットで6㎏を切りました。
でも、すくすく育ち過ぎましたから、身体もデカくてやっぱり体感的にも重いッスぅ!
我が家の家族になって10年となった本日でございます。
鈴さんは、チーさんの生まれ変わりなのかぁ?
先代のチーさんも、衰弱した子猫の時に保護したのだが(他の子も境遇は同じだが)、私に対する接し方や雰囲気が鈴さんはチーさんに似ている。 ダイエット後の弛んだお腹もチーさんとよく似ている。
と!私が勝手に思っている ?思いたいだけなのだろうが・・・。
ただチーさんは穏やかな性格なのに対し、鈴さんはちょっとhardである。
でも、一方で誰かの生まれ変わりと考えるのは本当に正しいのか?
とも思う。
そう思いたいだけで、単なる人間のエゴのような気もする?
鈴さんにも自我があり、誰かの生まれ変わりと考えると、鈴さんの存在を否定してしまうような・・・。
『ちょっとまてぇニャー!』
『10年も連れ添ってぇ、ワタシの性格理解しとらんのとちゃうかぁ?』
『ワタシはワタシ、唯一無二のワタシですぅ。』
『己、下僕失格ニャー』

☆猫は9つの命を持っている
「猫に九生あり」ということわざをご存じでしょうか?猫の生命力の強さや身体能力の高さを根拠に、猫は9つの命を持っていて、一度死んでしまっても8回生まれ変わることができるという説があります (あくまでも説です)。
また、亡くなった猫は毛皮を着替えて戻ってくるという言い伝えもあり、また猫に生まれ変わって飼い主さんのもとに帰ってくると信じられています (信じたいです)。
毛皮を着替えて見た目が変わっても、飼い主さんが「あの子の生まれ変わりかも!」とわかるような、何らかの特徴や共通点を持っていることが多いそうです。
☆猫が他の動物や人間に生まれ変わることもある?
猫が前世と別の猫種や性別に生まれ変わることは珍しくないとか、時には犬や鳥などの他の動物に生まれ変わることもあるといわれているようです。
可愛がっていた愛猫が亡くなった後に、なぜか妙に心惹かれる犬に出会ったという場合には、その犬が愛猫の生まれ変わりなのかもしれません。
また、猫が人間に生まれ変わることは稀ですが、可能性はゼロではないようです。亡くなった愛猫が転生して、飼い主さんの赤ちゃんとして生まれてくるという奇跡的な出来事もあるとのこと。(それは、それでちょっと複雑な心境かも?)
☆猫は亡くなってから1年ほどで生まれ変わる?
動物は人間よりも、亡くなってから生まれ変わるまでにかかる期間が短く、猫は早ければ数時間、ほとんどの場合は1年ほどで生まれ変わるといわれているようです。(本当ですか?)
また愛猫の転生の時期が近づくと、飼い主さんが愛猫の気配を感じたり、今まで以上に愛猫との思い出がよみがえってきたりといった前兆があるとか。
マジっすかぁ?
本当に生まれ変わりはあるのだろうか?
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GODZILLA -4-
GODZILLA -4-
《海外版》
この作品は、アメリカのハリウッド資本に買い取られ、主演をレイモンド・バーとしてテリー・モース監督のもと追加撮影が行われ、再編集されたのちに日本映画で初めてメジャー系の配給網に乗せられ、1956年に『Godzilla, King of the Monsters!』(『怪獣王ゴジラ』)との題名で全米公開された。封切り後には4日間で1万7千ドル(当時)を稼ぎ出し、最終的に50万ドル(当時)を上回る興行成績となった。海外版では、アメリカの新聞記者スティーブ・マーティンがカイロへ行く際に立ち寄った東京でゴジラに遭遇し、その体験を回想して語る形式になっている。
光学合成で焼きこまれた、ゴジラの光る背びれや口から吐く白熱光によって高圧送電線の鉄塔が溶け落ちるシーンは、海外でも大評判となった。本多によると、とくにこの白熱光を見たアメリカのバイヤーは「素晴らしいリアリズムだ」と絶賛し、すぐさま売買契約を申し込んできたという。
海外版『ゴジラ』は全米のみならず世界50か国で上映されて人気を呼び、400億円もの外貨を得ると共に、怪獣「ゴジラ」の名を世界に轟かせた。スティーヴン・スピルバーグも少年時代に本作を観て「どうして怪獣をあんなに滑らかに動かせるんだろう」と衝撃を受けたという。ただし、当時の時代背景に配慮したためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされている。
当時の日本映画の海外契約は、すべてフィルムの買い取り形式であり、フィルムの編集権は売却先の興行側にあった。本来こういった監督の了解を得ない形での再編集は本意でないことも断っている。アメリカで正式な完全版の『ゴジラ』が上映されたのは2005年になってようやくのことであり、今更ながらそのテーマ性と完成度の高さが同地で絶賛されている。
劇中の登場人物がゴジラの大きさを「身長400フィート以上」「建物30階ほどの高さ」というシーンがあり、オリジナル版の倍の大きさのように演出されている。
《各シリーズへの関連》
昭和ゴジラシリーズ(『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』まで):山根博士の予想が的中し、新たなゴジラが出現する。二代目のゴジラはしばしば人間に味方する。
平成ゴジラシリーズ(『ゴジラ (1984年の映画)』から『ゴジラvsデストロイア』まで)
『ゴジラ (1984年の映画)』 - 昭和シリーズの出来事はすべてリセットされた。1954年以来30年ぶりに新たなゴジラが出現、日本を襲撃する。
『ゴジラvsデストロイア』(1995年) - オキシジェン・デストロイヤーは初代ゴジラを打倒したが、東京湾の海底に眠る古代の微生物を目覚めさせた。この微生物は怪獣デストロイアに進化し、死期の迫ったゴジラと対決する。本作には山根恵美子や新吉の子供たちが登場する。山根博士の書斎も再現されている。
ミレニアムシリーズ(『ゴジラ2000 ミレニアム』から『ゴジラ FINAL WARS』まで):各作品はそれぞれ異なる世界となっている。
『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年) - 初代ゴジラがオキシジェン・デストロイヤーで倒されず、生き延びた平行世界の物語。ゴジラは繰り返し日本を襲撃し、その度に甚大な被害をもたらす。復讐心に燃える日本人はブラックホール砲を開発し、ゴジラ抹殺に乗り出すが、この超兵器は時空に亀裂を作り、太古の巨大昆虫を現代に甦らせる。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年) - 初代ゴジラは東京を襲撃したが、「ある科学者」の作った「未知の毒化合物」で消滅したとされている。その事実を知るのは政府の高官だけである。
『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年) - 初代ゴジラはオキシジェン・デストロイヤーで倒された。その後、日本政府は初代ゴジラの骨をメインフレームにサイボーグ怪獣三式機龍(メカゴジラ)を建造、二代目ゴジラとの戦いに投入する。
『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年) - 『ゴジラ×メカゴジラ』と『モスラ』(1961年)の直接の続編。小美人が現れ、「初代ゴジラの骨を組み込んだ三式機龍は生命への冒涜であり、海に還さなければならない」と忠告する。
2010年以降
『シン・ゴジラ』(2016年) - ストーリー上の繋がりはないが、名前の由来が大戸島の呉爾羅、自衛隊の攻撃がまったく効かない、一度東京に上陸するも海に引き返す、最後は薬品で無力化されるといった、初代と類似した展開がある。また鳴き声や劇伴に初代の音源が使われている。
再編集『シン・ゴジラ:オルソ』(2023年)。『シン・ゴジラ』のモノクロ編集版。
2022年11月3日、国産実写映画としては7年ぶりとなる新作ゴジラを2023年11月3日に公開することが発表された。タイトルは『ゴジラ-1.0』で監督・脚本・VFXは山崎貴が務める。
『ゴジラ-1.0』では第1作より前の戦後間もない日本が舞台となっている。
再編集『:ゴジラ-1.0/C』(2024年)。『ゴジラ-1.0』のモノクロ編集版。
海外製作作品(レジェンダリー版)
2014年には、ワーナー・ブラザースの提供、レジェンダリー・ピクチャーズの製作による『GODZILLA ゴジラ』が公開された。ゴジラのデザインはトライスター版と異なって原典を踏襲したものとなったほか、内容には自身もゴジラファンである監督のギャレス・エドワーズによる「SF要素を排除し、徹底して現実的な路線で製作している」との方針が示された。
2019年 公開の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』では、ゴジラに加えてラドン・モスラ・キングギドラが登場した。2021年公開の『ゴジラvsコング』 では、キングコングが登場した。2024年『ゴジラ×コング 新たなる帝国』前作の続編。
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G -3-
G -3-
1954年公開の第1作『ゴジラ』では、作中に登場する古生物学者の山根恭平博士が「200万年前のジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間生態を持つ生物の末裔が、ビキニ環礁の原子爆弾研究で、自分の環境を破壊されたことにより出現。人間に恨みを持っているかのように東京湾から品川へと上陸し、東京の各所を次々と破壊するが、最期は東京湾潜伏中にオキシジェン・デストロイヤーで溶解され、消滅する。
《登場兵器・メカニック》
架空
オキシジェン・デストロイヤー
Oxygen Destroyer。
『ゴジラ』(1954年)に登場する架空の物質で、「水中酸素破壊剤」とも表記される。数あるゴジラ作品の中で、ゴジラを完全に死に至らしめた唯一の手段である。
科学者の芹沢大助が酸素の研究中に偶然発見し開発した薬剤で、劇中では詳細には触れられないが、特殊な物質を電磁的に反応させることにより水中の酸素を一瞬で破壊し、その場にいるすべての生物を一瞬のうちに死に至らしめるうえ、完全に液化する効果がある。その威力を見た芹沢は、これを大量破壊兵器として軍事使用されることを怖れ、ゴジラへの使用のために世間に公開することを拒むが、社会のためには役立てたいと考えていた。
テレビで放送された「平和への祈り」を聞き、芹沢は一度限りの使用を決断。ただし、その秘密を永遠の闇に葬る決意も固めており、ゴジラへの使用分以外は資料なども含めて一切を焼却処分している。
芹沢は自らも海に潜ってゴジラへの使用成功を見届けた後、そのまま海中で自決しゴジラと運命を共にする。これにより、オキシジェン・デストロイヤーの存在と製法は封印されたため、以降の作品にもオキシジェン・デストロイヤーに関する資料は一切残っていない。
実在
防衛隊(架空の部隊)
M24軽戦車
2.5tトラック(いすゞ型・GMC型)
3/4tトラック(ダッジWC54型)
1/4tトラック(三菱型・ウィリスMB型)
13tけん引車M5
トラッククレーン
モーターグレーダー(日本開発機型)
くす型護衛艦
F-86D/F戦闘機
155mmりゅう弾砲M1
M1919A4重機関銃
M1917重機関銃
7.62mm小銃M1
海上保安庁
ちふり型巡視船「しきね」「こうず」
S-55ヘリコプター
警察・消防
パトロールカー(トヨタBFR型)
消防ポンプ車(日産180型)
《作品解説》
企画の発端
本作品のプロデューサー田中友幸は1953年に「太平洋の鷲」(本多猪四郎監督)、その後に『さらばラバウル』(本多猪四郎監督)を製作した際に前年に東宝に復帰したばかりの円谷英二と出会い、円谷が手掛けた特撮の成功もあって「特撮物はいける」と実感していたという。
この田中が『さらばラバウル』の製作のかたわら全力で進めていたのがインドネシアとの合作映画製作の企画だった。1953年8月、東宝との間で日尼合作映画を製作することで合意。両社は仮契約を締結した。これを受けて合作映画の企画が進行し、タイトルは『栄光のかげに』。
翌1954年2月16日、脚本の最終的な打ち合わせと本契約のため、田中と谷口はインドシアの首都ジャカルタを訪問した。2人はイスマイルと協議を重ねて合意に至り、東宝とペルフィニは本契約に調印。
しかし、1954年3月25日、両社は突如として合作映画の製作を断念せざるを得ない状況へと追い込まれる。4月5日、東宝とペルフィニの両社は共同声明を発表し、日尼合作映画の製作の断念を正式に公表した。
田中は急遽代替企画を立てざるを得なくなった。ちょうどその頃、同年3月に行われたビキニ環礁での核実験と第五福竜丸、第十三光栄丸の被爆事件が社会問題となっていた。これに着想を得た田中は、「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という特撮映画の企画を立てた。この時点での企画仮題は、『海底二万哩(マイル)から来た大怪獣』であった。
田中がこの企画を東宝本社の企画会議に提出したところ、製作総指揮の森岩雄の目にとまることとなった。森は戦前から東宝に関わり、円谷を招いた本人であるが、1952年(昭和27年)に公職追放解除を受け、本社に復帰してハリウッド視察を行い、特撮映画の重要性を再認して、戦後解体されていた「特殊技術課」を東宝内に再編成し、円谷を再度招いてこの部門の強化を進めていた。こうして、東宝上層部が「到底撮影は無理」として満場一致で反対するなか、森岩雄ただ1人がこの企画に賛成意見を述べ、強硬に支持し、ついにはGOサインにこぎつけることとなった。
「G作品企画」
この前代未聞の企画に臨み、本企画は「G作品」と銘打たれ、極秘裏に進行されることとなった。大まかなストーリーや怪獣の設定が決まると、田中は次に、文芸部の松下忠と2人で、田中自身ファンであった怪奇幻想作家の香山滋の自宅を飛び込みで訪ね、原作執筆を依頼したところ快諾を得た。5月中旬のことだった。こうして香山の筆によって、田中曰く「シナリオ風の原作」が1週間ほどして完成し、これを基に「G作品検討用台本」が印刷された。この時点で、正式に円谷英二が企画に参加することとなった。
《制作》
制作に当たっては超大作の扱いで公称7,000万円(当時)の大型予算が組まれ、本編では黒澤組から志村喬を準主演に、成瀬組からカメラの玉井正夫、美術の中古智、照明の石井長四郎を迎え入れるなどベテランを起用。予算面での規模が大きかったため、当時製作部長だった北猛夫を特別に「美術監督」に据えている。
特撮を担当した円谷英二は本作のために飯塚定雄、井上泰幸、開米栄三、入江義夫など各方面から若いスタッフを集め、彼らは後に日本特撮界に欠かせない重鎮となった。
51日間かけて9月下旬にクランクアップした。
円谷組の特撮B班の撮入は少し遅れて8月下旬からとなり、10月下旬まで71日間、都合3か月かけての撮影となった。
10月25日に作品が完成。東宝撮影所では完成を祝い、興行成功を祈って本尊にゴジラの撮影用の2号ぬいぐるみをまつり、宮司役に平田昭彦、巫女役には河内桃子が扮して撮影所中庭で神式の「ゴジラ祭」(修祓(しゅばつ)式)が行われた。田中、本多、円谷らのスタッフ陣と香山滋が祈祷を捧げている。
この「ゴジラ祭」の後、東宝の上層部、スタッフを集めて撮影所内で行われた「所内検定試写」では本編と特撮のあまりにも素晴らしい出来栄えに場内は総立ちとなり、巻き起こった万歳斉唱と大拍手はいつまでも鳴り止まなかった。そんな中、原作者の香山はラストシーンでゴジラがオキシジェン・デストロイヤーによって溶けて死ぬシーンを哀れに思い、1人座ったまま感極まって泣いていた。
《作品公開と反響》
こうして完成した本作は封切りと同時に当時としても例を見ない観客動員数を記録して空前の大ヒットとなり、東宝の同年度の初日観客動員数の記録を塗り替えた。渋谷東宝に並ぶ観客の列は道玄坂まで伸び、封切り初日は都内だけで14万-15万人の動員があったという。あまりの大入りに、田中友幸自ら渋谷東宝や日劇でチケットもぎを手伝うこととなった。1番館での封切り動員だけで観客動員数は961万人に上り、国民のほぼ10人に1人はこの映画を見たことになる。『ゴジラ』の成功は、当時傾いていた東宝の屋台骨を一気に立て直したとも言われている。
一方、公開時の日本のジャーナリズムの評価はおおむね低く、「ゲテモノ映画」「キワモノ映画」と酷評されることも多かった。しかし、三島由紀夫だけが「原爆の恐怖がよく出ており、着想も素晴らしく面白い映画だ」「文明批判の力を持った映画だ」としてドラマ部分まで含めて本作品を絶賛した。著名人としてはのちに小津安二郎、手塚治虫、淀川長治、水木しげるらが本作品を絶賛している。
作品は外国でも大評判となり、すでに特撮技術者として並ぶ者のなかった円谷英二の名が外国にまで広く知れ渡ることとなった。田中や本多は「まず欧州で認められ、米国で大ヒットしたことで日本国内の評価が定まったようだ」としている。
本作は『原子怪獣現わる』(1953年)から強い影響を受けている。例えば、本作の制作段階の仮題『海底二万哩から来た大怪獣』は『原子怪獣現わる』の原題『The Beast from 20,000 Fathoms』と酷似している。また、「核実験で目覚めた怪獣(恐竜)が都市を襲撃するが、架空の兵器で倒される」大筋もよく似ている。
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