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TERRORISM - 2


【パリ同時多発テロ事件】- 2 -

2015年11月13日(日本時間14日)にフランスのパリ市街と郊外(バンリュー)のサン=ドニ地区の商業施設において、ISIL(イスラム国ないしIS)の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上を生んだテロ事件。

事件後の情勢
11月30日からパリに於いて国連の地球温暖化対策に関する会議(COP21)が開かれることになっており、会議には日本、アメリカなど各国の首脳が出席する予定であることから治安対策としてフランス政府当局は入国管理を厳重にする方針を明らかにするなど、フランス国内でのテロ活動に対する監視態勢を強化していたという。
この事件により、フランス政府は全国に非常事態宣言を出し、テロリストの侵入を抑制するために国境封鎖を決めたほか市民に不要不急の外出を控えるように呼びかけた。また、1500人以上の兵士を動員し警戒にあたらせた。
フランスのオランド大統領は14日、テレビを通じて演説し、「今回のテロは、IS(イスラミック・ステート、イスラム国)の軍事部門が実行した」と述べた。同日、ISは「ISフランス州」の名義で犯行声明を出した。それによると、実行犯8人がISから送り込まれていた。
フランスの地元メディアは、「戦後最悪のテロ」や「パリ中心部の戦争」と報じている。
フランス政府による国家緊急体制の構築
オランド大統領は13日夜には事件現場の一つバタクラン劇場を視察し、「前例のないテロだ」と犯行を非難した。そして緊急閣議を開催、翌朝の国家安全保障会議に臨んだ。その後に非常事態宣言を布告した。同日、国民議会は緊急の会合を開いた。議会でマニュエル・ヴァルス首相は「フランスはテロリストとイスラム過激派との戦争に突入した」と演説した。一方でヴァルス首相は「フランスはイスラームとムスリムとは戦争をしない」とも発言した。議会では冒頭に黙祷が捧げられたが、その後誰ともなしにフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』が歌われだし大合唱となった。議会で国歌が歌われたのは第一次世界大戦終結以来である。オランド大統領は14日には同日から3日間を国民服喪の日とすることを発表した。またオランド大統領はトルコのアンタルヤで開催予定のG20の出席を取りやめた。17日にはヴェルサイユ宮殿で元老院と国民議会の両院合同会議を開催した。オランド大統領は演説で、「フランスは戦争をしている」と述べ、テロと戦うことを宣言、すでに行われている軍事行動について説明したうえで非常事態宣言の期間延長のための法改正を訴えた。またテロ対策として憲法の改正も視野に入れていることを発表した。
軍事的対応
フランス軍はロシア軍やアメリカ軍と連携し、シリアのラッカにあるISの司令室、訓練所、弾薬庫などを空爆し、ISのメンバー数人が死亡した。
捜索中の銃撃戦
突入作戦で集合する警官隊(2015年11月18日サン=ドニ)。
2015年11月18日4時半(日本時間12時半)、警察がサン=ドニにある事件の主犯格(指示役)と見なされているアブデルハミド・アバウドのアパートを捜索していた際、数人の男女が立てこもって警察官に発砲して銃撃戦となり、1名が自爆、アバウドは警察官に射殺され、アバウドの従妹も死亡、計3人の被疑者が死亡し、警察官5人が負傷した。警察は作戦開始から約6時間後に制圧完了し、8人の被疑者を拘束した。

この事件の死亡者数は少なくとも130人、負傷者数は352人になっている。フランスのヴァルス首相は日本時間11月15日、犠牲者のうち「103人の身元を特定できた」と発表した。

《各国首脳のコメント》
日本: 安倍晋三首相はオランド大統領に哀悼と連帯の意を伝えるとともに、パリの日本大使館に鈴木庸一大使を本部長とする現地対策本部を設置した。
アメリカ合衆国: バラク・オバマ大統領は、オランド大統領に電話で弔意を伝えると共に、国際的な連携を確認した。また、国内のテロ対策を強化した。
中国: 李克強首相はパリで一連のテロ攻撃事件が発生したことについて、フランスのバルス首相に見舞いの電報を打ち、死傷者と遺族に心からの哀悼の意と見舞いの気持ちを表し、またテロ行為に強い憤りを表し強く非難した。
オーストラリア: マルコム・ターンブル首相は、全人類への攻撃であると声明を発表した。
ロシア: ウラジーミル・プーチン大統領はフランスに対し、全面的なテロ捜査への協力を表明、ISILに対する空爆を強化した。
国際機関
トルコのアンタルヤで開催されたG20の首脳会合。冒頭ではテロの犠牲者への黙祷が捧げられた。
国際連合: 潘基文事務総長は、「卑劣なテロ攻撃である」と犯行を非難する声明を発した。
欧州連合: 「我々は必要とされるすべての手段と断固とした決意をもって、協力してこの脅威に立ち向かう。」と表明した。11月17日、EU国防相理事会は全会一致で欧州連合基本条約の相互防衛条項を初めて発動した。
NATO: ストルテンベルグ事務総長は「結束してテロと戦う。テロでは民主主義は倒せない」と述べた。
G20 G20首脳会合: 同年11月15日、16日にトルコのアンタルヤで首脳会合が予定通り開催された。フランスのオランド大統領は国内事態収拾のため欠席した。会議において、「テロとの戦いに関するG20声明」が採択された。


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TERRORISM - 1


【パリ同時多発テロ事件】

2015年11月13日(日本時間14日)にフランスのパリ市街と郊外(バンリュー)のサン=ドニ地区の商業施設において、ISIL(イスラム国ないしIS)の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上を生んだテロ事件。

場所:フランス(パリ、サン=ドニ)
1:サン=ドニ、スタッド・ド・フランス近く
2:パリ10区(11区フォンテーヌ・オ・ロワ通り界隈と程近い地点)、ビシャ通りとアリベール通り、マリー・エ・ルイーズ通りの交差地点界隈のカンボジア料理店
3: パリ11区、フォンテーヌ・オ・ロワ通りと10区との境目を走るフォーブール=デュ=タンプル通りとの交差地点界隈のカフェとピザ屋
4: 11区ヴォルテール大通り沿いのレストランやバタクラン劇場
5: 11区、シャロンヌ通りのカフェ
6: 11区ヴォルテール大通り沿いのカフェ
その他: 11区レピュブリック大通り沿い、11区ボーマルシェ大通り沿い
日付:2015年11月13日 - 14日
21:16 ・ 00:58 (CET)
攻撃手段:爆破、射撃、一撃離脱戦法、人質、自爆
武器:AK-47 アサルトライフル、手榴弾、種々の爆発物、自爆用ベスト
死亡者:少なくとも 130人
テロリスト8人
負傷者:300人以上(重傷者99人を含む)
犯人:アブデルハミド・アバウド始めlSIL(イラク・レバントのイスラム国)メンバー
動機:シリアとイラクでのフランスによる爆撃に対する報復
関与者数:少なくとも8名

事件発生時、サン=ドニにあるスタジアムスタッド・ド・フランスでは、男子サッカーのフランス対ドイツ戦が行われており、フランスのオランド大統領とドイツのシュタインマイアー外務大臣も観戦していた。現地時間(CET)21時(日本時間14日5時)ごろ、同スタジアムの入り口付近や近隣のファストフード店で爆弾とみられる爆発音が3回響き、実行犯とみられる人物が自爆テロにより4人死亡、1人が巻き込まれて死亡した。
その後、21時30分ごろよりパリ10区と11区の料理店やバーなど4か所の飲食店で発砲し、多くの死者が出た。犯人らはイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが行われていたバタクラン劇場を襲撃し、劇場で観客に向けて銃を乱射した後、観客を人質として立てこもった。
14日未明にフランス国家警察の特殊部隊が突入し、犯行グループ3人のうち1人を射殺、2人が自爆により死亡したが、観客89人が死亡、多数の負傷者が出た。

検察当局は、実行犯が3チームに分かれて襲撃を行ったことを明らかにした。
検察当局が首謀者と考えているのはISIL内組織「預言者の剣」リーダーのモロッコ系ベルギー人・アブデルハミド・アバウドで、シリアから指示を出しているとされたが、サン=ドニのアパートに潜伏しているのを発見され、射殺される。
バタクラン劇場への襲撃を行ったのは3名で、うち自爆した1人はパリ南郊に住むアルジェリア系フランス人男性とされる。犯罪歴がありイスラム過激派への関与が疑われて監視対象になっていた。同劇場で死亡した銃撃犯もドランシー出身のアルジェリア系フランス人の男性で国際手配中だった。また死亡した3名はベルギー人であることが判明。スタッド・ド・フランス付近で自爆した3名の男性のうち、1名はベルギー在住のフランス人、1名はイドリブ出身のシリア人であるとされ、シリア人男性は、もう1名のスタッド・ド・フランス付近での自爆者とともに、難民としてギリシャレロス島経由で入国したものと見られている。
レストランを襲撃したのち、カフェで自爆した2名の男性のうち、1名はベルギーでバーを経営するフランス人で、この男性の弟で、バーのマネージャーを務めるフランス人も、攻撃に使用されたフォルクスワーゲン・ポロを借りた容疑で指名手配された。
14日、攻撃に使用されたフォルクスワーゲン・ポロはベルギーとの国境で停止し、乗車していた3名が逮捕された。さらに3名がベルギー国内で逮捕された。

2016年3月18日、事件の準備で中心的な役割を果たしていた疑いがあるモロッコ系フランス人の男がベルギーのブリュッセルで逮捕される。

15日にパリの東モントルイユで発見された自動車「セアト」からは、複数のAK-47自動小銃が発見された。
バタクラン劇場近くで発見された「フォルクスワーゲン・ポロ」は、ベルギーでレンタルされたものであった。襲撃に使われた車両1台をレンタルした人物も事件に関わったとして、フランス当局から指名手配されている。

時刻は現地時間。()内は日本時間(分は一致)。
2015年11月13日
21時(14日5時)20分 - パリ郊外のスタッド・ド・フランスで爆発。市民1名、自爆テロ犯1名が死亡。
21時(14日5時)25分 - パリ10区にあるカンボジア料理店「ル・プティ・カンボージュ」とバー「ル・カリオン・バー」の付近で、武装グループが発砲、15名が死亡し、10名が重傷。最初にカリオンの外から客に向かって発砲後、歩いてカンボジア料理店へ向かい11人を射殺した(カンボージュは市内で本店を長く経営する移民一家が4年前に開店した支店で、カリオンとともに同地区の人気店)。
21時(14日5時)30分 - スタッド・ド・フランスで2度目の爆発。テロ犯が死亡。
21時(14日5時)32分 - 11区(10区との境目を走るフォーブール=デュ=タンプル通りとフォンテーヌ・オー・ロワ通りの交差地点界隈)のピザ店「ラ・カーザ・ノストラ」付近で、武装グループが発砲。5名が死亡、8名が重傷。最初に「カフェ・ボン・ビエール」の外で発砲し、ビザ店との間で5名を射殺した(2店とも近隣の人気店)。
21時(14日5時)36分 - 11区シャロンヌ通りのカフェ「ラ・ベル・エキップ La Belle ・quipe」付近で、武装グループが発砲。19名が死亡、9名が重傷。隣の「スシ・マキ」でも被害が出た(同店は香港出身の中華系アメリカ人経営の日本料理店)。
21時(14日5時)40分頃 - 11区ヴォルテール大通りのレストラン「ル・コントワール・ヴォルテール」付近で自爆テロ。同店テラス席に座り自爆し、自爆テロ犯1名が死亡、客15人が負傷した。
21時(14日5時)40分 - バタクラン劇場へ武装グループが発砲し押し入り、立てこもり。
21時(14日5時)53分 - スタッド・ド・フランス付近で3度目の爆発が起こり、テロ犯1名が死亡した。
22時(14日6時)15分 - パリ警視庁コマンド対策部隊(BRI-BAC)の先遣隊がバタクラン劇場に到着
11月14日
0時(8時)20分 - BRI-BACおよび特別介入部隊(RAID)がバタクラン劇場に突入しテロ犯3名が死亡。うち2名は自爆。少なくとも89人が死亡し負傷者が多数出る。
11月18日
4時(12時)30分頃 - サン=ドニで、容疑者の関係先を家宅捜索中に、警察官と数人の男の間で、90分間にわたり銃撃戦が発生。警察官2人が負傷した。


つづく・・・。

事故物件の結末


【オーシャン・アベニュー112番地(112 Ocean Avenue)】

アメリカ合衆国ニューヨーク州アミティビル(Amityville)に所在する、伝統家屋である。「112」は実際には番地(地番)ではなく住居番号である。

(1973年のオーシャン・アベニュー112番地)

1924年に築造されたベッドルームが6部屋ある20世紀初頭風の家屋で、「ハイ・ホープス(High Hopes)」の名で知られている。3階の屋根裏部屋の2つの四角い窓を目と想定すると、全体が不気味な顔を連想させる。

【デフェオ一家殺害事件】

The DeFeo murders 

1965年、デフェオ(DeFeo)一家がオーシャン・アベニュー112を購入した。

1974年11月13日、この家の23歳になる息子ロナルド・デフェオ・ジュニアが、彼の両親と4人の兄弟姉妹全員を射殺する。


1974年11月13日午後6時30分頃、ニューヨーク州アミティヴィルの自宅(オーシャン・アベニュー112番地)で、両親と4人の弟妹全員を35口径のレバー式マーリン・ライフルで射殺した。


1975年の裁判で、彼は「頭の中にいる何者かの声に『殺せ』とせき立てられていた」と主張したが、終身刑の判決を受けた。ニューヨーク州ビークマン(Beekman)にあるグリーン・ハーベン終身刑務所(Green Haven Correctional Facility)で服役していた。 


2021年2月2日にアルバニー医療センターに移送され何らかの治療を受けていたが、2021年3月12日に死亡した。これにより、デフェオ一家は殺人犯を含めて、全員死亡となった。


父:ロナルド・デフェオ・シニア(44歳)
母:ルイーズ・デフェオ(42歳)
長女:ドーン・デフェオ(18歳)
次女:アリソン・デフェオ(13歳)
次男:マーク・デフェオ(12歳)
三男:ジョン・デフェオ(9歳)
※ドーン以外全員が2階寝室で、ドーンが3階寝室で射殺された。

【ラッツ一家(Lutz family)の引越し事件】

1975年12月、ジョージ・ラッツ(George Lutz)がこの家を購入し、妻キャシー(Kathy)と3人の子供とともに引っ越してきた。だが彼らは、わずか28日でこの家を手放すことになった。

「この家に住んでいる間中、ずっと得体の知れない怪奇現象に脅かされていた」のだという。この話にヒントを得て、1977年にジェイ・アンソンが小説『アミティ・ビル・ホラー(The Amityville Horror)』を書き、1979年には主演ジェームズ・ブローリン(James Brolin)、共演マーゴット・キダー(Margot Kidder)、ロッド・スタイガー(Rod Steiger)でハリウッドにより同タイトルで映画化された(日本でのタイトルは『悪魔の棲む家』)。


しかし、この話にはかなりの嘘があることが指摘されている。とはいえ、一家惨殺のあった家にラッツ一家が越してきたことや最後の結末は事実である。
だがそれは映画とは違い、経済面でのトラブルによるものであった。

実はラッツ夫妻に“家に棲みつく悪魔の仕業”にして、体験談を出版することで多額の収入を得ることが出来ると持ちかけたのは、『デフェオ一家殺害事件』で、家族を殺害したロナルドの弁護を担当した弁護士であった。

1976年1月にラッツ一家がこの家を手放して以降、噂はあっという間に広まり、多数の野次馬が殺到して近隣の安寧を妨げた。そのため大幅な修繕が行われ、象徴的だった人の顔を連想させる窓は取り除かれた。観光客が押しかけることのないよう住所も変更された。「惨劇」が行われた地下室も、修繕が行われた際取りつぶされた。


(2005年のオーシャン・アベニュー112番地)



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