hiroチャンのブログ -170ページ目

Birdman of Alcatraz -2- 



ストラウド(1930年代)



《レブンワースの鳥男》
1920年、レブンワース刑務所に収監中のストラウドは運動場でスズメの巣を発見した。ストラウドは巣の中にいた3羽の負傷したスズメが成鳥になるまで育てた。受刑者は時折カナリアの購入が許可された。ストラウドはカナリアを集めるようになり、カナリアを育てて世話をすることに時間を費やした。ストラウドはカナリアを売って母親の生活の助けにすることができた。ストラウドによれば、剃刀の刃と爪を道具にして木箱を材料に最初の鳥篭を作ったという。それからまもなく、レブンワースの運営体制が変わり、ウィリアム・ビドル (英: William Biddle) が所長になった。
ビドル所長はレブンワースが先進的な社会復帰を促進する刑務所であると示せる可能性を感じ、ストラウドに鳥類研究のための鳥篭や化学薬品、文房具を与えた。刑務所の来訪者はストラウドの鳥類飼育所を見せられ、その多くがストラウドの飼育するカナリアを購入した。ストラウドは数年にわたって300羽ほどのカナリアを独房の中で育て、2冊の書籍を書いた。

1933年の6万字に及ぶ論文Diseases of Canariesは密かにレブンワースから持ち出された。
1943年の新版Stroud's Digest on the Diseases of Birdsは情報が更新された。ストラウドは鳥類病理学の分野においていくつかの重大な貢献を果たし、特に出血性敗血症疾患群の治療で大きな成果をあげた。ストラウドは鳥類愛好の分野の中で敬意とある程度の同情を集めた。

ストラウドの活動は刑務所の運営にとって問題も起こした。規則では、刑務所で送受する手紙は全て目を通してコピーをとった後に承諾を受けることになっていた。ストラウドが鳥類関係の事業に没頭したことで、この手紙の規則を果たすためだけでフルタイムで働く事務官が必要になった。そのうえ、ストラウドが飼育していた鳥はほとんどいつも独房内を自由に飛ぶことが許可されており、数多くの鳥が飼育されていたために、ストラウドの独房はひどく不潔になった。



1931年、ストラウドの事業を中断させ、飼育していた鳥を排除しようとする動きがあった。しかし、ストラウドと彼の文通者相手の一人であり、鳥類研究者でもあるインディアナ州のデラ・メイ・ジョーンズ (英: Della Mae Jones)が新聞や雑誌にストラウドの話を知らせたことで、事業中止は失敗に終わった。
大規模な手紙運動と5万人の署名が書かれた嘆願書がハーバート・フーヴァー大統領に元に送られ、これによりストラウドは鳥の飼育を許可された。刑務所は過密状態だったにもかかわらず、ストラウドに鳥を飼うための2つめの独房までも与えられた。しかし、手紙を書く権利は大きく縮小された。
ジョーンズとストラウドは親密になり、これによってジョーンズは1931年にカンザス州へ転居し、ストラウドと新しい事業を開始した。鳥類用の薬の販売である。

刑務所の職員たちはストラウドの活動にうんざりしており、ストラウドの活動が評判になるとよりいっそうストラウドをレブンワースから追い出そうとした。しかし、ストラウドはカンザス州の法律に、カンザス州で結婚した受刑者の移動を禁止するというものがあることを発見した。この目的のため、ストラウドはジョーンズと代理結婚した。
刑務所の管理者たちは激怒し、ストラウドは妻との文通を禁止された。ストラウドの結婚に狼狽したのは刑務所の職員だけではなかった。ストラウドの母親も結婚には激怒した。
ストラウドは母親のエリザベスと親密な関係にあったが、母親はジョーンズとの結婚に強く反対していた。
女性というものは息子に面倒事ばかり起こすと信じていた。母親は以前はストラウドにとっての強力な擁護者であり、法廷闘争の際はストラウドを援助してくれた。しかし、その後はストラウドの仮釈放に反対するようになり、ストラウドにとって刑務所から釈放されるための大きな障壁となった。
母親はレブンワースから転出し、その後は一切ストラウドと接触しようとしなかった。母親は1937年に死亡した。

1933年、ストラウドはDiseases of Canariesの売り上げから一切印税を受け取っていないと著書で宣伝した。
出版社はその報復で刑務所長に苦情を訴え、その結果、ストラウドをアルカトラズへ移送する訴訟が起こされた。アルカトラズ刑務所では鳥の飼育は禁止されることになる。
しかし、結局、レブンワースで鳥の飼育とカナリアの販売業を続けることが許可された。ストラウドはその後の数年間、トラブルをほとんど回避していった。しかし、研究用という名目で導入された設備の一部が、実際はアルコール製造のための蒸留器具として使用されていたことが明るみに出た。

刑務所の職員たちはとうとうストラウドをレブンワースから追放するための口実を手に入れた。ストラウドの危険な性向と独房の衛生状態に関する長年の懸念を理由に、ストラウドをアルカトラズへ移送するための訴訟を起こした。

《アルカトラズ》
1942年12月19日、ストラウドはアルカトラズ連邦刑務所へ移送され、受刑者番号594として登録された。ストラウドはレブンワースから移されて愛する鳥たちと別れることになるのを前もって知らされておらず、出発のわずか10分前に移送の通知が来たと言われている。鳥と設備はストラウドの兄弟の元へ送られた。
アルカトラズ刑務所の厳格な規則により、ストラウドはこれまでの仕事を続けることができなくなったためである。それからストラウドは6年間隔離されて収監され、さらに11年間は病棟で拘禁された。

1943年、ストラウドは精神科医のロムニー・M・リッチーからの診察を受け、知能指数112の精神病質と診断された (レブンワースにいたときの1942年の最初の報告では、ストラウドの知能指数は116とされた)。アルカトラズで収監されていた間、ストラウドは2点の原稿を著した。自伝のBobbieとLooking Outward: A History of the U.S. Prison System from Colonial Times to the Formation of the Bureau of Prisonsである。裁判官はストラウドには物を書き、書いた原稿を保有する権利があるという決定を下していたが、その出版を禁止するという刑務所長の決定は支持した。
ストラウドの死後、原稿の書き写しがストラウドの弁護士であるリチャード・M・イングリッシュ (英: Richard M. English) の元に送られた。

アルカトラズではストラウドは同性愛者であるという噂が注目されていた。父親がアルカトラズ刑務所の看守だったドナルド・ハーリー (英: Donald Hurley) は、ストラウドの周囲に人がいるというのは稀なことだったが、そのようなときはいつも、ストラウドは注意深く観察されていたと述べた。その理由は、ストラウドは明らかに同性愛の傾向があったことを刑務所の職員たちはよく知っていたためだったという。
ハーリーは著書の制作のために元受刑者とインタビューを行った。元受刑者は、ストラウドが常に隔離収監されていた理由は、ストラウドが気性の荒い同性愛者だったからだと聞いたことがあったという。

1963年2月、ストラウドは映画『終身犯』でストラウドを演じたバート・ランカスターと面談した。ストラウドはその映画や元となった書籍を読んだことがなかった。また、自分の仮釈放を阻む原因の1つが、自分が同性愛者であることだと述べたという。

ストラウドはアルカトラズ刑務所収監中に図書室の利用を許可されており、法律の勉強を始めた。時折、看守の1人とチェスを興じることも許された。ストラウドは政府に対して、自分の長い刑期はアメリカ合衆国憲法修正第8条で禁止されている残酷で異常な刑罰に相当すると請願した。

1959年、ストラウドは健康状態の悪化により、ミズーリ州スプリングフィールドの連邦刑務所収容者医療センターへ移送された。ストラウドの釈放のための試みは成功しなかった。

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Birdman of Alcatraz -1-


【ロバート・フランクリン・ストラウド】

Robert Franklin Stroud 


(1951年) 



生誕:1890年1月28日
アメリカ合衆国ワシントン州シアトル
死没:1963年11月21日(73歳)
別名:バードマン・オブ・アルカトラズ
Birdman of Alcatraz
職業:セールスマン ・ 鳥類学者
身長:191センチメートル
罪名:1909年 故殺
1912年 暴行
1916年 殺人
刑罰:合計54年間
故殺/12年間の懲役
暴行/6ヶ月間の懲役
殺人/死刑、後に仮釈放の可能性のある終身刑に減刑
配偶者:デラ・メイ・スポア (英: Della May Spore)
親 ベンジャミン・ストラウド
エリザベス・ストラウド

ロバート・フランクリン・ストラウド (英:Robert Franklin Stroud、1890年1月28日 - 1963年11月21日) はアメリカ合衆国で最も悪名高き犯罪者の1人と評される殺人犯。 


(1920年代) 


レブンワース刑務所で収監中に鳥類の飼育・販売や研究を行い、鳥類学の著述家としても評価されていることから、移送先の刑務所の名前をとって「バードマン・オブ・アルカトラズ」(英: Birdman of Alcatraz、直訳すると「アルカトラズの鳥男」) の異名でも知られる。ストラウドは1909年に投獄されて以来、釈放されることなく一生を刑務所で過ごした。その生涯を描いた1962年の映画『終身犯』 (ストラウド役はバート・ランカスター) は第35回アカデミー賞にノミネートされている。

その生涯であるが、アラスカ州で売春婦のポン引きをしていた18歳のストラウドは1909年1月、知人のバーテンダーを銃殺し、12年間の懲役の判決を言い渡されている。収監先でも受刑者や職員と頻繁に衝突し、1916年には看守を刺殺して第一級殺人で有罪となり、絞首刑を宣告された。しかし数回の裁判の後に、独房監禁での終身刑に減刑された。

1920年、ストラウドは収監中のレブンワース刑務所の運動場で、スズメの巣と負傷した3羽のスズメを見つけた。このスズメの世話から始め、その後数年のうちにはカナリアを約300羽飼育するにいたっている。さらに、刑務所改革を進めていた刑務所長から研究用の設備を与えられると、ストラウドは鳥類に関する研究の幅を広げ、『カナリアの病理』("Diseases of Canaries") のタイトルで執筆した。この執筆内容は密かにレブンワースから持ち出され、1933年に初版が、1943年には新版が出版された。ストラウドの研究は鳥類病理学、特に出血性敗血症疾患群の治療の分野に貢献し、鳥類学者や畜産農家の間で多大な敬意と、それなりの同情をも集めることとなった。こうしてストラウドは収監の身ながらビジネス的に成功し、しまいには独房にある設備の一部を利用してアルコールを密造するようになる。これが発覚すると刑務所の職員らは激高し、1942年12月19日にアルカトラズ連邦刑務所へ移送されることとなった。

1943年、アルカトラズでストラウドを診察した精神科医のロムニー・M・リッチー (英: Romney M. Ritchey) は、知能指数112の精神病質と診断を下している。
アルカトラズでは規則により鳥類の飼育を許可されず、また研究設備を奪われたことから、ストラウドは刑罰の歴史に関する執筆を行っている。

1959年、ストラウドはミズーリ州スプリングフィールドの連邦刑務所収容者医療センターへ移送されると、1963年11月21日に死亡するまでこの地で余生を過ごした。死後はイリノイ州メトロポリスで埋葬された。著述家のカール・シファキス (英: Carl Sifakis) は、「アメリカの刑務所で自己改善と社会復帰に努めた、おそらく最も有名なケースがストラウドであろう」と評している。

《生い立ちと逮捕》
1890年、ストラウドはワシントン州シアトルで生まれた。母親のエリザベス・ジェーン (英: Elizabeth Jane、旧姓:マッカートニー <英: McCartney>、1860年 - 1938年) と父親のベンジャミン・フランクリン・ストラウド (英: Benjamin Franklin Stroud) の間で生まれた子供の中では最年長だが、母親と前夫との間に2人の姉がいた。父親は虐待癖のあるアルコール中毒者だったことから、ストラウドは13歳で家出をしている。

その後、18歳になる頃にはアラスカのコードバでポン引きとなっている。その地で売春婦とダンスホールのショー演者として働いていた36歳のキティ・オブライエン (英: Kitty O’Brien) に出会う。そして、同州のジュノーに渡り、ストラウドはオブライエンのポン引きを行うようになった。

19歳になる直前の1909年1月18日、知人でありバーテンダーのF・K・"チャーリー"・フォン・ダーマー (英: F. K. "Charlie" von Dahmer) と喧嘩の末、銃で撃って死亡させている。その経緯だが、フォン・ダーマーは売春の代金を踏み倒したあげく、オブライエンを殴り、さらにはオブライエンの娘の写真が入っていたロケットペンダントをその首から引きちぎったとされる。ストラウドは警察署に出頭し、凶器の銃を提出して自首している。警察の報告によると、ストラウドはフォン・ダーマーを殴って気絶させた後に至近距離で銃を発砲したという。

ストラウドの母親は弁護士を雇ったが、ストラウドは1909年8月23日に故殺で12年間の懲役が言い渡され、ピュージェット湾のマクニール島にある連邦刑務所に収監された。なお、アラスカには当時、州法に基づく司法権がなかったため、ストラウドの事件は連邦の管轄となった。

《刑務所生活》
ストラウドは受刑者番号1853として登録された。ストラウドはマクニール島で最も暴力的な囚人の1人だった。しばしば仲間の受刑者や職員に反目した。ストラウドは自分が台所から食べ物を盗んだことを報告した受刑者を刺したと言われている。ストラウドが脅迫してモルヒネを奪おうとしたことを刑務所の本部に報告した病院の従業員に暴行を加えたこともあった。麻酔剤を密かに持ち込む計画に関与した受刑者を刺したとも言われている。
1912年9月5日、ストラウドは暴行でさらに6ヶ月の懲役の判決を言い渡され、マクニール島からカンザス州レブンワースにある刑務所へ移送された。
1916年3月26日、ストラウドはカフェテリア担当の看守のアンドリュー・F・ターナー (英: Andrew F. Turner) から小さな規則違反の懲戒を受け、8年間会っていなかった弟ととの面会の権利を取り消されることになった。ストラウドは15センチメートルの飛び出しナイフでターナーの心臓を刺した。
ストラウドはこの刺殺事件により第一級殺人で有罪となり、裁判官により絞首刑が言い渡された。この判決は控訴で覆されることとなった。
1917年5月28日の2度目の裁判でも有罪となったが、死刑ではなく終身刑となった。その後、ストラウドを死刑にすることを望んでいたジョン・W・デイビス訟務長官が自発的に"confession of error"を提出した。
ストラウドは1918年5月に3度目の裁判を受け、6月28日に再び絞首刑の判決が下った。ストラウドの母親がウッドロウ・ウィルソン大統領に懇願し、死刑執行の8日前に処刑は中止となった。

ストラウドへの刑罰は終身刑に減刑された。レブンワース刑務所の所長のT・W・モーガン (英: T. W. Morgan) はストラウドが暴力的であるという評判から減刑の決定に強く反対した。モーガン所長は大統領を説得して、ストラウドは元々独房拘禁で死刑を待つ身だったのだから、中止された処刑が執行できるようになるまでその条件を優先させることを約束させた。ウィルソン大統領下の司法長官のアレクサンダー・ミッチェル・パーマー (英: Alexander Mitchell Palmer) は、ストラウドが余生を独房拘禁の元で過ごすことを確実のものとした。



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フライドチキンと言えば・・・。


11月21日は、グレゴリオ暦で年始から325日目(閏年では326日目)にあたり、年末まであと40日ある。

====11月21日の記念日===
【フライドチキンの日】

1970(昭和45)年のこの日、名古屋市郊外に日本ケンタッキー・フライド・チキンの第1号店がオープンした。






神奈川県横浜市に 本社を置く、フライドチキンチェーン店「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」などを運営する日本KFCホールディングス株式会社が制定。

KFCの行ったクリスマスキャンペーン を 契機 に、フライドチキンがクリスマスのご馳走として定着した。

9月 9日はカーネル・サンダースの誕生日にちなんで『カーネルズ・デー』となっている。


1985年、阪神タイガースがリーグ優勝した時に、虎ファンに胴上げされた末に道頓堀川に放り込まれたカーネル・サンダース像が2009年に川底から発見された。
その伝説のカーネルさんは、日本KFC東京本社勤務となられてました。


長年の苦労が報われ本社勤務へ・・・。


その後は関西に戻り、現在は大阪市にある関西オフィスに「幸福の象徴」として一般には非公開(経年劣化の為)だが展示されていた。 

しかし長年の保管により、人形のプラスチック胴体は老朽化が進んでいたため、2024年3月8日、大阪市の住吉大社にて供養された。お供え物としてオリジナルチキンが奉納された。

老朽化により保管が困難となり廃棄処分となった。 


【インターネット記念日】

1969(昭和44)年のこの日、インターネットの元型であるARPAネットの公開実験が、カルフォルニア大学ロサンゼルス校・スタンフォード研究所・カルフォルニア大学サンタバーバラ校・ユタ大学の4か所を結んで開始された


電子メールの日 1月23日

ボクとのコミュニケーションが減ったのは、インターネットのせいですかぁ?
天敵め!シュ・・・しゃーぁ・・・。



ネット中毒ですか?



ネットよりも生のコミュニケーションを大切に!


お子様とのコミュニケーションの方が大切です。


【世界テレビ・デー(World Television Day)
1996(平成8)年12月の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1996(平成8)年のこの日、国連で「第1回世界テレビ・フォーラム」が開催された。
国連加盟各国は、平和・安全・経済・社会開発・文化交流の拡充等の問題に焦点を当てたテレビ番組の世界的な交流を促すことにより、この日を記念するように呼びかけられた。


【世界ハロー・デー(World Hello Day)】
1973年の秋、エジプトとイスラエルが紛争の危機(第四次中東戦争)となったことをきっかけに制定。10人の人にあいさつをすることで、世界の指導者たちに「紛争よりも対話を」とのメッセージを伝えるという日。
World Hello Day


【歌舞伎座開業記念日】
1889(明治22)年のこの日、東京・木挽町(現在の東銀座)に歌舞伎座が開場した。
元々木挽町には江戸三座のひとつ・森田座(後の守田座)があったが、1841年の天保の改革の時に浅草に移され、それから半世紀ぶりのことだった。当時の建物は戦災で焼失し、1951(昭和26)年に復興された。
歌舞伎の日 2月20日


【早慶戦の日】
1903(明治36)年のこの日、初の早稲田大学対慶應義塾大学の試合「早慶戦」が行われた。
東京・三田で行われた野球の試合で、11対9で慶應が勝利した。


【かきフライの日】
味のちぬやが2011年に制定。
11月は牡蠣がおいしくなる時期で、21は「フ(2)ライ(1)」の語呂合せ。


【任天堂の日】
任天堂がコンピュータゲームのハードや大作ソフトの発売日をこの日に当てることが多いことから、ファンからは俗に「任天堂の日」と呼ばれている。


【八一忌,秋艸忌,渾斎忌】
歌人・書家の会津八一の1956(昭和31)年の忌日。


【波郷忌,惜命忌,忍冬忌】
俳人・石田波郷の1969(昭和44)年の忌日。

====毎月21日の記念日===
漬物の日
ふれ愛交番の日
大師の縁日

===11月15日~11月22日===
夫婦の遺言週間

===11月18日~11月24日===
暮らしと土木の週間

===11月12日~11月25日===
女性に対する暴力をなくす運動

===11月19日~11月25日===
ハイビジョン・ウィーク

===10月1日~11月30日===
麻薬・覚せい剤乱用防止運動
間伐推進強化月間

===11月1日~11月30日===
品質月間
JAS普及推進月間
知的所有権保護強化月間
生命保険の月
損害保険の月
公共建築月間
伝統的工芸品月間
漆愛用月間
素形材月間
政府刊行物普及月間
てんかん月間
乳幼児突然死症候群(SIDS)対策強化月間
やけど予防月間
全国青少年健全育成強調月間
指名手配被疑者捜査強化月間
下請取引適正化推進月間
ゆとり創造月間
職業能力開発促進月間
建設雇用改善推進月間
快適通勤推進月間
標準営業約款普及登録促進月間(Sマーク普及月間)
組織化促進強化月間
国民年金制度推進月間
もりとふるさと月間
みやぎ教育月間 [宮城県]
ふくしま教育月間 [福島県]
いばらき教育月間 [茨城県]
えひめ教育月間 [愛媛県]

===11月21日~11月30日===
最低賃金周知旬間
寄生虫病予防運動
全国海難防止強調運動

===11月10日~12月10日===
手足の不自由な子供を育てる運動

===11月11日~12月12日===
電池月間

===11月16日~12月15日===
東京都エイズ予防月間

===10月1日~12月31日===
赤い羽根共同募金運動

====11月21日の出来事===
235年
ローマ教皇アンテルスが即位。

1779年
平賀源内が門弟2人の誤殺容疑で投獄。

1783年
パリでモンゴルフィエ兄弟が熱気球による初の有人飛行に成功。

1859年
安政の大獄: 吉田松陰の死刑を執行。

1806年
ナポレオン戦争: ナポレオン・ボナパルトによって大陸封鎖令が発せられる。

1903年
三田綱町球場にて早稲田大学野球部と慶應義塾大学野球部の対抗戦(早慶戦の起こり)。

1905年
E=mc・の式が載ったアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論の第2論文がドイツの学術誌『アナーレン・デア・フィジーク』に掲載される。

1916年
第一次世界大戦: イギリス海軍に病院船として徴用されていた客船「ブリタニック」が触雷し沈没。

1939年
ヨーロッパ航路の貨客船「照国丸」がイギリスの機雷に触れ沈没。乗客乗員は全員救助。

1944年
第二次世界大戦: 戦艦金剛がサマール沖海戦の帰還中にアメリカ海軍バラオ級潜水艦シーライオンの魚雷が2本命中し沈没。

1960年
東海道本線・金谷 - 藤枝間で架線試験電車クモヤ93000により175km/hの狭軌世界記録を樹立。

1969年
米大統領リチャード・ニクソンと日本の佐藤栄作首相が、安保堅持・1972年の沖縄返還などの日米共同声明を発表。

1970年
名古屋市郊外に日本ケンタッキー・フライド・チキンの第1号店(名西店)がオープン。

1974年
長嶋茂雄が巨人軍監督に就任。

1986年
11月15日からの伊豆大島・三原山の噴火に伴い、全島民が一時島を脱出。

1987年
1977年に日航機ハイジャック事件を起こし、偽パスポートで入国していた日本赤軍幹部・丸岡修が都内で逮捕。

1990年
任天堂の据え置き型ゲーム機、スーパーファミコンが日本国内で発売。

1995年
ユーゴスラヴィア紛争: ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争終結のためのデイトン合意がなされる。

2004年
任天堂の携帯型ゲーム機、ニンテンドーDSが北米で発売。

2009年
任天堂の携帯型ゲーム機、ニンテンドーDSi LLが日本国内で発売。

2011年
オウム真理教元幹部・遠藤誠一に最高裁判所が上告審判決(上訴棄却、死刑が確定)。オウム真理教事件の一連の刑事裁判がすべて終結。

2013年
ラトビア、リガスーパーマーケット屋根崩落事故。死者50人以上。

2014年
当時の内閣総理大臣・安倍晋三により衆議院が解散された(7条解散)。

2017年
2017年ジンバブエクーデター: ロバート・ムガベ大統領が書簡で辞意を表明。

2024年 
MLBの最優秀選手賞(MLB)(MVP)に、ア・リーグではニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジ 外野手が、ナ・リーグっはロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が選ばれる。


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