213号室へ招待されたら生きては帰れない。- 2 -
【ジェフリー・ダーマー】- 2 -
Jeffrey Dahmer
アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。
その後、アメリカ陸軍への入隊手続きをとったジェフリーは、アラバマ州のフォート・マクレラン基地に配属となり、憲兵になるための訓練を受けるが挫折。テキサス州サンアントニオのフォート・サム・ヒューストン基地に転属を命ぜられ、そこで新たに衛生兵としての訓練を受ける。訓練が終了すると、旧西ドイツのバウムホルダーにある、駐独アメリカ軍第8歩兵師団68連隊第2大隊に配属された。入隊当初は勤務成績も良く、順調に昇進もしていたが、ドイツ勤務となり基地内の免税店で酒が安く買えるようになると再び酒浸りの日々を送るようになり、任務がこなせなくなったため、1981年に兵役満了を待たずして除隊となる。このとき、陸軍はジェフリーの将来に配慮して不名誉除隊にはせず、健康上の理由による名誉除隊とした。
なお、ドイツ駐留時代、バウムホルダー基地周辺で5件の未解決殺人事件(被害者のうち一人は女性)が発生している。ジェフリーはこれについて自白しておらず、犯人も不明のままだが、その手口からジェフリーの犯行だとする声が根強く残っている。
陸軍除隊後、ジェフリーはフロリダのリゾート地で日銭仕事をしながらぶらぶらしていたが、やがて帰郷するための交通費をライオネルに無心してオハイオへ舞い戻り、祖母の元に身を寄せることになる。
ここでも相変わらず酒浸りの生活は改まることはなく、学生の時と同じように血液銀行で頻繁に売血を繰り返したためブラックリストに載せられたり、バーで問題を起こしては警察の世話になったりしていたが、その一方、経済的な安定を得るためにミルウォーキーのアンブロシア・チョコレート社の工場作業員として就職し、家族を安心させるという面も見せた。
就職してほどなく、ミルウォーキーのゲイバーやクラブに通うようになったが、そこでも無愛想で孤独な一匹狼、という評判が立った。ジェフリーは目をつけた男に睡眠薬を混ぜた酒を飲ませるようになったが、暴行目的というよりは薬の量や薬効を調べるための実験に近かった。しかし、ある日、「クラブ・バス・ミルウォーキー」という店で飲み仲間の一人が意識を失って病院へ担ぎ込まれたため、同店から出入り禁止を言い渡され、それから間もない1986年9月8日、12歳の少年ふたりに自慰行為を見せたとして、1年間の保護観察処分を言い渡された。
- 第二の殺人 -
1987年9月15日、保護観察期間が終わったばかりのジェフリーは、ゲイバー「クラブ219」でダイナーの見習いコックである24歳の白人青年と出会い、ホテルで一夜をともにした。ところが翌朝、目が覚めると青年は口から血を流して死んでいた。のちのジェフリーの供述ではこのとき泥酔しており、一切の記憶はなく、ショックに打ちのめされたとしている。自分が絞殺したことは間違いなかったため、事態を打開するため、クローゼットに死体を隠すと、大急ぎでスーツケースを購入、ホテルに戻って死体を詰めこむと、タクシーで祖母の家へ戻り、地下室で解体。いくつかのビニール袋に分けてゴミ収集場所に出した。この事件に関して十分な物証を得られなかった警察は告発を断念している。
1988年1月16日、「クラブ219」近くのバス停でインディアンの血を引く少年に目をつけると、ビデオのモデルのアルバイトをしないかと持ちかけて、祖母の家に連れ込んだ。そこで睡眠薬入りの飲み物を飲ませて絞殺。解体したあとは酸で肉を溶かし、骨を砕いて周辺にばらまいた。
3月24日、「フェニックス」というゲイバーでヒスパニック系の青年を、やはりモデルにならないかと口説いて祖母の家に連れ込み、同様の手口で殺害している。以後、飲み物に溶かした睡眠薬で眠らせて殺害し、遺体を解体するというジェフリーのルーティンワークが確立した。ただ、このころになると、地下から漂ってくる異臭に、祖母はいいかげん耐えられなくなっていた。ライオネルに電話し、地下室を調べさせたところ、どす黒い血だまりのようなものをみつけてジェフリーを問い詰めたが、子供のときのように、動物の死骸を酸で溶かしていたと弁解するばかりだった。しかし、そろそろ一人立ちさせる頃合だと思ったライオネルは、ジェフリーに独立を促した。
1988年9月25日、ミルウォーキーの北24番街808番地のアパートに引っ越したジェフリーは、引っ越してから24時間も経たないうちに問題を起こしてしまった。
翌日、ラオス人少年を自室に連れこみ、睡眠薬を飲ませたのだ。しかし少年はなんとか逃げ出して警察に駆けこみ、ジェフリーは未成年に対する性的暴行のかどで逮捕、1週間拘置された後、保釈金を積んで仮釈放となった。ジェフリーの早期仮釈放申請について、父ライオネルは、治療プログラム終了前の息子の釈放に反対する手紙を書いたにも関わらず、ジェフリーは釈放されたのであった。
4ヶ月後の1989年1月30日、ジェフリーは少年に対する性的暴行の罪で有罪判決を受けたが、判決公判が4ヶ月後に開かれることになった。

判決日を待っていた3月25日、ゲイバー通いを再開していた彼は、レストランのマネージャーを務める26歳のハンサムな黒人青年と知り合った。祖母の家に連れ込むと、睡眠薬入りの飲み物、絞殺、解体、ゴミ袋に詰めるという陰惨なルーティンワークがいつものように繰り返された。
祖母の家で犯行に及んだのは、警察が自分のアパートを監視していると思い込んだからである。
このときジェフリーは、記念に頭蓋骨を取っておくことにした。
5月23日、判事はジェフリーに1年間の刑務所外労働と5年間の保護観察処分を言い渡した。この寛大な判決により、ジェフリーは日中は勤務先で働き、夜や週末は刑務所で過ごすことになった。
1990年3月、ジェフリーは仮釈放となり、新たに北25番街924号にあるアパートに居を構える。ここはミルウォーキー有数のスラム街である。のちに、「ザ・シュライン・オヴ・ジェフリー・ダーマー(ジェフリー・ダーマーの神殿)」として犯罪史に不朽の名を残すこととなるオックスフォード・アパートメント213号室である。
新居に移って間もない5月、ジェフリーは犯行を再開する。犠牲になったのはイリノイ州の刑務所を出所して間もない青年だった。6月24日にはイスラム風に頭にターバンを巻いた、「シャリフ」という愛称で親しまれたゲイの青年がジェフリーのルーティンワークの素材になった。7月にヒスパニック系の少年に手を出して失敗、危うく殺人が発覚しそうになったため、約2ヶ月の自粛期間を置いて9月3日に行なわれた殺人は、ジェフリーの犯行に新機軸を打ちたてることとなる。
ミルウォーキーの本屋の前で出会ったダンサーの黒人青年は、ジェフリー好みの筋肉質なハンサムな男だった。いつもの手際でアパートへ連れ込み、睡眠薬を与えると2ヶ月間封印した破壊衝動を押さえきれなかったのか、喉を掻き切った。そして、いつものように解体しただけでは飽き足らず、食人行為におよんだのである。
さらに2週間後、行き当たりばったりで拾った23歳の黒人青年も、ダンサーと同じ運命をたどった。
続く・・・。
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213号室へ招待されたら生きては帰れない。- 1 -
【ジェフリー・ダーマー】-1-
Jeffrey Dahmer
アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。
本名:ジェフリー・ライオネル・ダーマー
Jeffrey Lionel Dahmer
別名:ミルウォーキーの食人鬼
生誕:1960年5月21日
アメリカ合衆国・ウィスコンシン州ミルウォーキー
死没:1994年11月28日(34歳没)
アメリカ合衆国・ウィスコンシン州ポーテージ
死因:刑務所内での囚人による撲殺
有罪判決:殺人罪
判決:終身刑
殺人詳細
犯行期間:1978年-1991年7月22日
国:アメリカ合衆国
州:オハイオ州、ウィスコンシン州
逮捕日:1991年7月22日。
1978年から1991年にかけて、主にオハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を絞殺し、その後に屍姦、死体切断、人肉食を行った。その突出した残虐行為は、1990年代初頭の全米を震撼させた。またこの事件では、ミルウォーキー警察当局の無能と、人種的および性的マイノリティに対する偏見がジェフリーの蛮行を許したとして厳しく非難されることになった。
1960年5月21日、ジェフリーはミルウォーキーで、父ライオネルと母ジョイスのダーマー夫妻の長男として生まれた。4歳になるころ、ジェフリーはオハイオ州アクロンに引っ越す。父親のライオネルは当時、マーケット大学で電子工学を学ぶ学生で、生活は不安定だった。このため、夫妻はウィスコンシン州ウェストアリスにあるライオネルの実家に身を寄せていたが、母親のジョイスは情緒不安定気味で、妊娠中は激しいつわりに悩まされ、医師からバルビツールやモルヒネなどの投与を受け、妊娠中にもかかわらず一日あたり26錠の錠剤を服用していた。ジェフリー出産後も彼女の精神状態はひどくなる一方で、ささいなことで夫と衝突を繰り返し、次第に夫婦仲は険悪なものとなっていく。その後、分析化学で博士号を取得したライオネルは、化学企業の研究員として就職、仕事の都合で一家は各地を転々とするようになった。ジョイスは次男となるデイヴィッドを身ごもった時も薬物依存に陥り、ほとんど寝たきりになってしまっていた。妊娠中における大量の薬剤服用や投与の影響に加え、精神状態が悪化してかんしゃくを起こす母親と、研究にかまけて家庭を顧みなかった父親との間で幼いジェフリーは、精神的な安定を欠いた少年として成長することになる。
ジェフリーが6歳の時、ジョイスが次男を出産する準備に入ると、ジェフリーは1日中ぼさっと座って動かなくなるという不思議な行為を見せる。彼は幼少時からほとんど笑わなかった。8歳のころに、小学校の同級生から性的な虐待を受けている。この時、双方の両親が話し合い、今回は警察には不問ということになった。
学校時代には物静かでふさぎこみがちな一匹狼として知られ、一人で森をぶらぶらして過ごすことが多かった。父から昆虫採集用の科学薬品セットをもらったジェフリーは夢中になり、猫や鼠の骨をホルマリンの瓶に採集して回った。小動物の死骸を強酸で溶かし、白い骨を取り出すのが面白く、事故で死んだ動物の死骸を集めて回ったという。犬や猫のほかに、シマリスやアライグマ、さらにはゴキブリやクモのような虫の死体も集め、それらの死体をホルマリン入りの瓶に詰めて保存していた。死んだ動物の首を木の枝に突き刺すという残忍な行為も行っている、ジェフリーは多くの連続殺人犯とは違い、生きた小動物や昆虫に対する虐待は行わなかったが彼自身のネクロフィリアの兆候はここに始まっていた。
父親は事件発生後まで自宅の裏庭にあった骨塚の存在を知らなかった。かなり大きな骨塚にもかかわらず気付かなかったのは不自然でもあるが、愛情を注がなかったジェフリーの両親ならあり得た話だった。
バス・タウンシップのリビア高校に入ると、知能指数の高さで注目された(IQ145を示した)が、情緒不安定と集中力の欠如から成績はまったく振るわず、授業中にヤギの声真似をして鳴いて授業妨害をしたり、知恵遅れの子供の物真似をしたり、挙げ句の果てにスーパーマーケットで試食品のアルファルファをかじり、アレルギー発作の真似をして騒動を起こすなど、趣味の悪い悪戯を繰り返す問題児として評判は芳しくなかった。
両親の不仲は年々悪化した。ジェフリーが高校生になった頃には、家の中をロープで二分して住み分けるまでになっていた。ジェフリーはますます内気になり空想を膨らましていった。ピッツバーグのPPGインダストリーズの科学者として働いていた父ライオネルは、「耐えがたい虐待と、完全な義務の放棄」という理由で提訴されていた。翌年の7月24日、サミット郡裁判所のリチャード裁判官は、「これ以上、2人が夫婦であり続けることは難しい」として、母ジョイスに、ジェフリーの弟デイヴィッドの引き取りを許可し、1978年に協議離婚が成立した。父ライオネルは姿を消し、母は弟を連れて出て行った。母はジェフリーも連れて出ようとしたが、彼は無反応であったと言われる。当時18歳のジェフリーは「成人」と見なされ、裁判所も両親も、ジェフリーのことについてはまったく触れないまま姿を消した。実質的に、ジェフリーは見捨てられたのであった。
1978年、ジェフリーは高校卒業を控えていたが、離婚を巡り家庭裁判所で泥仕合を続けていた両親は、それぞれに家を出て別居しており(弟は母親の元に引き取られていた)、家には彼一人だけが取り残されていた。
この頃に自分が同性愛者であることに気付き、その苦悩と孤独を紛らわせるため、アルコールに逃避することも覚えていた。
高校在学中に、登校前に酒を飲んだことで教師から叱責を受けたり、ロッカーからジンのボトルが発見されたことで停学処分を受けたこともあった。
高校卒業を孤独のうちに迎えたジェフリーは、その数日後、町外れでロックコンサート帰りの19歳のスティーブン・ヒックスというヒッチハイカーを拾った。音楽の趣味が合い、また彼好みのタイプだったことから、酒とマリファナで自宅へ誘った。両親が離婚して以来、空き家となっていた自宅にヒックスを連れ込み、住んでいたころの思い出を語り聞かせた。ジェフリーは、人と打ち解けることの喜びを初めて味わったが、彼が父親の誕生日祝のために帰宅すると言い出した。彼を帰したくないジェフリーは、手近にあったダンベルでヒックスを背後から殴って、気を失ったところを絞殺。死体の衣服をはぎ取って犯し、ナイフで腹部を切り裂くと、鮮血をすくって体に浴びた。その内臓を床に広げて血だらけにし、その上を転がって射精した。その後死体を床下へ運び込み、バラバラに解体した。しばらくは手元においていたが、腐敗しだしたため、首以外の部分はゴミ袋に詰めて近くの森に埋めた。
これが、ジェフリーの初めての殺人である。この殺人は衝動的なものであり、長くジェフリーのトラウマとなることとなった。この事件以後、彼はますますアルコールに依存することとなる。彼は逮捕後、この事件を「もっとも思い出したくない出来事」として語っている。
その後、再婚した2番目の妻、シャリを伴って帰宅したライオネルの勧めで、ジェフリーはオハイオ州立大学へ進学する。経営学を専攻したものの、重度のアルコール依存症に陥っていたジェフリーは授業をまともに受けられる身ではなかった。大学での彼の日常は講義に出席する代わりに、飲み代を稼ぐために血液銀行で売血し、その金で大学の寮の自室で浴びるように酒を飲むというものだった。結局、1学期終了と同時に大学から退学勧告を受ける。
続く・・・。
Enemy at the Gates
【エド・ハリス】
Ed Harris
アメリカ合衆国の俳優、映画監督。

本名:Edward Allen Harris
生年月日:1950年11月28日
出生地:アメリカ合衆国ニュージャージー州
身長:175 cm
職業:俳優、プロデューサー、監督、脚本家
ジャンル:映画、テレビドラマ、舞台
活動期間:1976年 -
配偶者:エイミー・マディガン(1983年 - )
《主な作品》
映画
『ライトスタッフ』
『アビス』
『アポロ13』
『ザ・ロック』
『トゥルーマン・ショー』
『ポロック 2人だけのアトリエ』
『ビューティフル・マインド』
『めぐりあう時間たち』
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』
『ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女』
『ウエストワールド』
《受賞》
全米映画批評家協会賞
助演男優賞
2005年『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
放送映画批評家協会賞
助演男優賞
1995年『ニクソン』『アポロ13』『理由』
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
1998年『トゥルーマン・ショー』
助演男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画)
2012年『ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女』
全米映画俳優組合賞
助演男優賞
1995年『アポロ13』
アンサンブル演技賞
1995年『アポロ13』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道

《来歴》
長老派教会会員の中流階級の家庭で、3人兄弟の次男として生まれる。 高校ではフットボールチームでキャプテンを務め、チームを優勝に導いた。
1969年、スポーツ奨学金でコロンビア大学に進学したが挫折。2年後に家族の引っ越しに伴いオクラホマ州へ移り、演劇に興味を持ったことからオクラホマ大学へ入学する。地元の劇場で働いた後、カルフォルニア芸術大学で再び演技を学んだ。
1975年、ファインアートで教養学士となる。
俳優としての転機は1980年公開の『ボーダーライン』でチャールズ・ブロンソンと共演したことである。翌年の『ナイトライダーズ』ではバイクに乗ったアーサー王を演じた。1989年の『ジャックナイフ』でゴールデングローブ賞に初ノミネート。1995年の『アポロ13』ではゴールデングローブ賞、アカデミー賞にノミネートされた。1998年『トゥルーマン・ショー』でゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞。
2000年の『ポロック 2人だけのアトリエ』では監督も務め、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。2005年には『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で全米映画批評家協会賞助演男優賞を受賞している。
《私生活》
1983年に『プレイス・イン・ザ・ハート』の撮影中に共演したエイミー・マディガンと結婚。1人の娘がいる。
《主な出演作品》
公開年 邦題/原題 役名 備考
1978 コーマ/Coma レジデント
1980 ボーダーライン/Borderline ホッチキス
1981 ナイトライダーズ/Knightriders ビリー
白バイ野郎ジョン&パンチ/Chips ロニー テレビドラマ
1982 クリープショー/Creepshow ハンク
1983 ライトスタッフ/The Right Stuff ジョン・グレン
アンダー・ファイア/Under Fire オーテス
1984 スイング・シフト/Swing Shift ジャック・ウォルシュ
プレイス・イン・ザ・ハート/Places in the Heart ウェイン
1985 コードネームはエメラルド/Code Name: Emerald ガス・ラング
アラモベイ/Alamo Bay
ジェシカ・ラングのスウィート・ドリーム/Sweet Dreams チャーリー
1987 情事の突破口!/追いつめられたエリート弁護士の復讐/The Last Innocent Man ハリー・ナッシュ テレビ映画
ウォーカー/Walker ウィリアム・ウォーカー
1988 ワルシャワの悲劇 神父暗殺/To Kill a Priest ステファン
1989 ジャックナイフ/Jacknife デヴィッド・フラニガン
アビス/The Abyss バッド・ブリッグマン
1991 ステート・オブ・グレース/State Of Grace フランキー
パリス・トラウト/Paris Trout ハリー
1992 摩天楼を夢みて/Glengarry Glen Ross デイヴ・モシ
立候補/ダーティ・トリックス/Running Mates ヒュー・ハサウェイ テレビ映画
1993 ザ・ファーム 法律事務所/The Firm ウェイン・タランス
ニードフル・シングス/Needful Things アラン
1994 チャイナ・ムーン/China Moon カイル
ザ・スタンド/The Stand スターキー テレビ・ミニシリーズ。クレジットなじ
ミルク・マネー/Milk Money トム
1995 理由/Just Cause ブレア・サリファン
アポロ13/Apollo 13 ジーン・クランツ
ニクソン/Nixon エヴェレット・ハワード・ハント
1996 レイジング・ブレット/復讐の銃弾
Eye for an Eye マック
ザ・ロック
The Rock フランシス・X・ハメル准将
Absolute Power セス・フランク
1998 トゥルーマン・ショー
The Truman Show クリストフ ゴールデングローブ賞 助演男優賞 受賞
グッドナイト・ムーン
Stepmom ルーク・ハリソン
奇蹟の詩 サード・ミラクル
The Third Miracle フランク
2000 ポロック 2人だけのアトリエ
Pollock ジャクソン・ポロック兼監督・製作・脚本
スターリングラード
Enemy at the Gates ケーニッヒ少佐




2001 戦争のはじめかた
Buffalo Soldiers バーマン大佐
ビューティフル・マインド
A Beautiful Mind パーチャー
2002 めぐりあう時間たち
The Hours リチャード・ブラウン
2003 ボブ・ディランの頭のなか
Masked and Anonymous オスカー
白いカラス
The Human Stain レスター・ファーリー
僕はラジオ
Radio ハロルド・ジョーンズ
2005 ヒストリー・オブ・バイオレンス
A History of Violence カール・フォガティ
追憶の街 エンパイア・フォールズ
Empire Falls マイルス テレビ映画
2006 敬愛なるベートーヴェン
Copying Beethoven ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
2007 ゴーン・ベイビー・ゴーン
Gone Baby Gone レミー・ブレサント
ザ・クリーナー 消された殺人
Cleaner エディ・ロレンゾ
ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記
National Treasure: The Book of Secrets ウィルキンソン
2008 アパルーサの決闘
Appaloosa ヴァージル・コール兼監督・製作・脚本
2010 アメリカン・プリズン
Once Fallen リアム・ライアン
ウェイバック -脱出6500km-
The Way Back ミスター・スミス
2011 サルベーション
Salvation Boulevard ポール・ブレイロック教授
2012 崖っぷちの男
Man on a Ledge デイヴィッド・イングランダー
ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女
Game Change ジョン・マケイン テルビ映画
2013 スウィート・エンジェル
Sweet Vengeance 出演兼製作総指揮
ファントム/開戦前夜
Phantom デミ
ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
Pain & Gain エド・デュボイス3世
スノーピアサー
Snowpiercer ウィルフォード
ゼロ・グラビティ
Gravity ミッション・コントロール 声の出演
フェイス・オブ・ラブ
The Face of Love トム/ギャレット
2014 プレーンズ2 ファイアー&レスキュー
Planes: Fire & Rescue ブレード・レンジャー 声の出演
アナーキー
Cymbeline シンベリン
2015 ラン・オールナイト
Run All Night ショーン・マグワイア
2016 ウエストワールド
Westworld 黒服の男/ウィリアム
ハリウッド・スキャンダル
Rules Don't Apply ブランスフォード氏
疑わしき戦い
In Dubious Battle ジョイ
2017 ジオストーム
Geostorm レオナルド・デッコム
マザー!
mother! 男性
2019 ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実
The Last Full Measure レイ・モット
2020 沈黙のレジスタンス ~ユダヤ孤児を救った芸術家~
Resistance ジョージ・S・パットン
2021 ロスト・ドーター
The Lost Daughter ライル
2022 トップガン マーヴェリック
Top Gun: Maverick チェスター・“ハンマー”・ケイン少将
2023 1984年、タウンタウン・アウル
DOWNTOWN OWL ホレス
2024 愛はステロイド
Love Lies Bleeding ロウ・ラングストン・シニア
これまで4度アカデミー賞にノミネートされているが、未だ受賞がない。
アカデミー賞 1995年 助演男優賞 『アポロ13』 ノミネート
1998年 『トゥルーマン・ショー』 ノミネート
2000年 主演男優賞 『ポロック 2人だけのアトリエ』 ノミネート
2002年 助演男優賞 『めぐりあう時間たち』 ノミネート
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