213号室へ招待されたら生きては帰れない。- 4 -
【ジェフリー・ダーマー】- 4 -
Jeffrey Dahmer
アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。
ダーマーは人肉についてこう述べている。
「塩とこしょうで味付けし、肉を柔らかくしてから食べたよ」
「死体のなかでも特に上腕二頭筋が美味だった。
筋肉を切り取って空揚げにして、野菜と一緒に食べたよ。
美味しかった。脂肪肉は細かく切ってシチューにした。
一度人の肉を食べたら、
二度と牛肉や鶏肉なんか食べられなくなるよ」
元FBI捜査官ロバート・K・レスラーは、ジェフリーとの対談を行っている。
レスラーは、FBIを退職してから半年後の1991年1月に、ミルウォーキーへの招聘を受け、ウィスコンシン大学の後援で、プロファイリングと児童虐待についての講義を行った。
レスラーの講義を受けた人物の1人で、ジェフリーの事件を捜査していた警察官が、レスラーの講義がジェフリーの事件についてとても参考になったという手紙をレスラーによこした。これが契機となり、レスラーはジェフリーの事件に関わるようになった。
レスラーはジェフリーの犯した行為について、「精神異常」を理由にした情状酌量の余地があると見ていた。レスラーはジェフリーの裁判で弁護側の証人になることを決める。
ジェフリーの弁護士ジェラルド・P・ボイルが、マスコミおよび裁判関係者に向けてある答弁を発表した。
当初は「心神喪失による無罪」を主張していたジェフリーが、「有罪だが心神喪失」という答弁に変更したという発表であった。
ウィンスコンシン州の州法では、有罪だが心神喪失であると主張することが許されており、裁判の結果に関係なく、ジェフリーは何らかの監禁施設で一生を過ごさせる、というものであった。
ボイルは、「ダーマーの精神状態」を裁判の争点とした。その精神状態を判断すべく、発表から一週間後に、2日をかけてジェフリーへのインタビューを行うこととなった。
インタビューが組まれるに先立ち、レスラーはジェフリーの住居を見て、証拠物件を吟味した。ジェフリー個人に留まらない枠の中で、連続殺人犯の行動パターンを元に、ジェフリーを評価するためであったとしている。
逮捕されたときに証拠はすでにあったため、ジェフリーは犯行を自白していた。
レスラーは、彼の犯行を認めさせるのではなく、彼の行為の理由、犯行時の彼の精神状態についてを窺い知るヒントを探すことを考えた。
ジェフリーは、レスラーからの質問で、被害者の肉体を、性行為の対象としての人間ではなく、性的な物体のように扱おうとすることも語っていた。
レスラーは他にも、ジェフリーが被害者たちをどのように殺したかについても質問した。
被害者の頭にドリルを使って生きたまま穴をあけ、その中に希塩酸を注入した行為について、ジェフリーは、被害者の知性を消し去り、体は生かしたままで自分の言うことを聞かせるゾンビにしようとしたと説明した。
被害者の1人がジェフリーの元から逃げ出し、そこに警察官と遭遇したことで自分の部屋を見た際に、深く調べもせずに帰ったため、ジェフリーは殺すことに成功したことも語った。
レスラーは、連続殺人犯の多くは、罪を犯していくうちに自分は捕まらないと思うようになり、一時的に警察を出し抜いたりすると、その思いはさらに強まるとしている。
犯罪を犯して捕まることはないのだから、続けても良いのだという態度にさせるが、これは注意を怠り、逮捕される原因にもなるとしている。
「いつも相手と深く知り合うことを避けていた。そうすることで、相手を生き物だと思わずに済んだ。相手の人間性を否定していた。しかし、こんなことをやってはいけないという思いが消えたことは一度もない。罪悪感を覚えた」とジェフリーは語っている。レスラーから、相手を殺す際、こいつは君に殺されても仕方がないと考えたことはあるかと聞かれると、ジェフリーは強く否定した。「ウィスコンシン州がよこした心理学者も同じことを聞いてきた。僕は世の中のためにならない人間を殺しているつもりだったのかと。僕は一度もそんなことを思ったことはない」。
レスラーは、裁判が終わったあとも、さらにインタビューに答えたり、研究への協力を要請すると、ジェフリーは了承した。レスラーはジェフリーに、体を大事にするよう注意した。レスラーは、ジェフリーは精神病であり、刑務所ではなく精神病院に入れる方が適切であると考えた。

1992年1月27日から2月15日にかけて、ジェフリー・ダーマーの公判がセイフティ・ビルディング5階の法廷で開かれた。
容疑事実は既にジェフリーが認めていたため、弁護側は精神異常による無罪を申し立てた。
しかし、1992年2月15日、陪審は10対2の過半数で弁護側の主張を退け、オハイオ州でおこなわれた最初の殺人事件と、告発を断念した2件目の殺人事件を除く15件の殺人事件について有罪を評決した。2月17日、ローレンス・グラム判事は15件の殺人事件に対して、累計で936年の禁固刑に相当する終身刑を宣告した。
ジェフリーは死刑を望んでいたが、ウィスコンシン州では1853年に死刑制度が廃止されていたため、その望みはかなわなかった。
のちに、死刑存置州であるオハイオ州で行われた裁判でも終身刑が宣告されている。
1994年11月28日、ウィスコンシン州ポーテージにあるコロンビア連邦刑務所のシャワールームで、黒人収容者クリストファー・J・スカーヴァーに撲殺された。
ジェフリー、スカーヴァーともう1人の囚人でシャワールームを清掃する職務に従事していたとき、スカーヴァーはトレーニングルームより持ち出したベンチプレスの鉄棒で2人を殴打した。まもなくスカーヴァーは看守に逮捕され、ただちにジェフリーは救急車で病院へ搬送されたが、搬送中に死亡が確認された。
スカーヴァーは、自分は「神の息子」で、「父」から2人を殺すよう命令され、信用できる相手とできない相手とを教えてくれたと供述しているが、スカーヴァーもまた有罪となった。
しかし、人種の隔たりがこのような事態を引き起こしたとも考えられている。
父のライオネルは、息子の事例研究には協力的であった。
しかしジェフリーの死後、科学捜査のために彼の遺骸を解剖することに対して同意拒否をした。宗教的な理由によるものであった。
殺人事件後、オックスフォード・アパートメントは解体され、更地になった。当初は、その場所を慰霊公園にする計画があったが、それは実行されなかった。
現在では、草で覆われた更地がチェーン・リンクの高いフェンスで覆われている。
被害者の家族は悲しみに暮れていたが、ジェフリーの父ライオネルがA Father's Storyを出版してからは、ライオネルやその再婚した妻と心を通わせている。彼はその本の収益の一部を被害者に慰謝料として寄付していた。ただ現在は被害者の少数派が彼に対し「無責任な父親である」と裁判を起こしているため、裁判費用不足から慰謝料の寄付は滞っている。現在、彼は化学企業の研究員を退職し、オハイオ州で妻と共に暮らし、創造論と進化論を主題に時々コンサルタント業務をしている。
彼らはジェフリーの犯罪にも関わらず、いまもジェフリーを愛しているという。ジェフリーの母ジョイスは、ジェフリーの裁判から数年後に亡くなった。
映画
ジェフリーの事件を題材にした映画が3本製作されている。
1993年 - Jeffrey Dahmer: The Secret Life
日本では劇場未公開だがビデオ作品『ジェフリー・ダーマー ミルウォーキー連続虐殺食人鬼』として発売されている。
2002年 - Dahmer
日本では劇場未公開だがビデオ作品『ジェフリー・ダーマー』として発売されている。
2006年 - Raising Jeffrey Dahmer
ジェフリーの父親の視点から描いた映画。日本では劇場未公開だがビデオ作品『ジェフリー・ダーマー ライジング』として発売されている。
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213号室へ招待されたら生きては帰れない。- 3 -
【ジェフリー・ダーマー】- 3 -
Jeffrey Dahmer
アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。

さらに2ヶ月後の4月7日、やはり19歳の黒人青年をオックスフォード・アパートメント213号室へ招待したが、このときはロボトミー手術を施そうとしている。動機は殺して写真と死体の一部を残してもさみしさだけが募るから、それよりは自分の言いなりになる理想の恋人を自分の手で作り出そうというものだった。しかし、頭蓋骨に穴をあけて塩酸を流し込むというおぞましい手術は失敗に終わり、結局いつものルーティンワークに立ち戻っている。
5月24日には31歳の聾唖者がオックスフォード・アパートメント213号室に消えたが、それから数日と経たないうちに、14歳のラオス人少年を毒牙にかける。このときはいつもの手順を踏まず、彼に睡眠薬を飲ませて性的暴行を加えた後、再びロボトミー手術を試みている。その後、少年はジェフリーがビールを買いに出かけたすきをねらって脱走したが、意識がもうろうとしていたため全裸のままアパートのそばでへたり込んでしまい、一時はアパート周辺は騒然となった。しかし、駆け付けた警官がジェフリーの、これは恋人同士の痴話喧嘩だという説明を信用して引き上げてしまったため、少年は助からなかった。
6月30日、シカゴでおこなわれたゲイ・プライド・パレード見物に訪れたジェフリーは、そこで新たな犠牲者を誘った。それから5日後には再びシカゴを訪れ、23歳の黒人青年をミルウォーキーのオックスフォード・アパートメント213号室に誘った。このとき、青年の友人はジェフリーの誘いを受けるべきかどうか相談されて、「行けよ。彼、まともそうな感じじゃないか」と答えたが、後にこの友人は後悔の念をにじませながら、「連続殺人者が、どんな顔か知っている奴なんかいないよ」と語っている。
7月15日、ジェフリーは6年間勤務したアンブロシア・チョコレート社を解雇された。理由は頻繁な欠勤と遅刻、それにともなう勤務成績の急激な悪化だった。また、家賃の滞納が続いたため、7月いっぱいで部屋の立ち退きを迫られていた。
このころになると、もはや普通の人としての仮面をかぶり続けることすら不可能になりつつあった。
犯行も終盤を迎えると、かなり行き当たりばったりに犠牲者を手にかけるようになり、ただでさえ手狭な部屋はこれまで手にかけてきた犠牲者のバラバラ死体であふれかえり、異臭はもはやアパート全体を覆いつくすほどだった。解雇通知を受け取ったジェフリーは、その日のうちに24歳のトラック運転手に声をかけ、いつも通りの犯行におよぶ。
7月19日、ミネソタ州から仕事を探すためにミルウォーキーを訪れていた失業中の白人青年をオックスフォード・アパートメント213号室へ招待した。17人目の犠牲者だった。
死体の部屋
1991年7月22日午後11時30分。北25番街を定時巡回していたラルフ・ミュラー巡査とロバート・ロース巡査は、「助けて!」という悲鳴を聞きつけ、すぐさまパトカーを急停車させると、前方から左手首に手錠をぶら下げた黒人の男がパトカーの方に走ってきた。男は、近所のアパートに住む頭のおかしい白人の男に殺されかけたと訴え、ふたりは半信半疑ながら、男の案内でそのアパート──オックスフォード・アパートメントへ向かった。問題の男の住む213号室のベルを鳴らすと、ブロンドのハンサムな白人青年が顔を出した。
男は礼儀正しく警官に応対したが、背後から強烈な悪臭が漂いだし、さらによく見るとアルコール依存症特有の症状が出ていた。男はジェフリー・ダーマーと名乗り、失業したばかりで酒を飲んだくれていたことや、悪ふざけで手錠をかけたことを申し訳なさそうに話した。警官が手錠の鍵を部屋に取りに行こうとすると、何かを思い出したように捜査を拒絶し激しく暴れ出したため、その場で手錠をかけられた。
巡査の一人がジェフリーの前科照会をおこなったところ、1989年に少年に対する性的暴行の廉で有罪判決を受け、5年間の保護観察下に置かれていたことが判明した。直ちに部屋の中を捜索すると、黒人青年の手錠の鍵とともに、大量のバラバラ死体のポラロイド写真が発見された。さらに冷蔵庫から肉片や内臓などを入れたビニール袋、切断された複数の頭部が発見された。その後の家宅捜索で、容量260リットルのポリ容器からは酸で溶解された3人分の胴体をはじめ、着色された頭蓋骨が複数、キッチンの鍋からは切断された手が数本と男性器が1本発見された。床には引きはがされた皮膚や切断した指などが無造作に捨てられていた。また、被害者のものと見られる運転免許証や社会保障カードなどの身分証明書のほか、死体の解体に使われたチェーンソーや解剖器具などが押収された。検死官が最終的にまとめた報告書によれば、発見された人体は全部で11人分だった。また、捜索にあたった刑事たちの何人かは黄色い防護服に身を包み、防毒マスクをつけたまま捜索と証拠物件の押収に当たった。凄惨さを極めた部屋の家宅捜索では、数々の犯行現場に立ち会った刑事の中にすら気分を悪くする者がいたり、中でも人肉がぎっしり詰まった冷蔵庫が運び出されたときはあまりの悪臭に周囲の野次馬が後ずさりし、嘔吐するほどだったという。
(オックスフォード・アパートメント213号)

クローゼットにかかっていた腕は彼のもので、冷凍庫から発見された食べかけの心臓も彼のものだった。
●アンソニー・シアーズ(24)
●リッキー・ピーク(33)
●アーネスト・ミラー(24)
●エロール・リンゼイ(19)
家族に合鍵を作るといって出かけて、そのまま失踪。
●トニー・ハフ(31)
●ジェラミア・ウェインバーガー(23)
●ジョセフ・ブレッドホフト(25)
妻と3人の子供がいた。失業中でバス停にいた彼に「モデルになってくれればお金を出す」と声をかけたのだ。
●マット・ターナー(20)
警官が冷蔵庫の中で見つけた生首のひとつが彼のであった。
●コネラク・シンサソンポーン(14)
睡眠薬入りの酒を飲ませれながらも、自力で脱出、英語が分からないながらも、必死に身振りで警官に訴えた子である。部屋に飾られた頭蓋骨が彼のであった。
●カーティス・ストロウター(18)
家族にモデルになるので学校に行きたいと将来を語っていた少年である。
生きたまま腹を開かれ、大腸を取り出されている悲惨な場面がビデオに残されていた。
- ミルウォーキー警察の失態 -
ジェフリーの事件でとりわけ悲劇的だったのは、犠牲者の一人、14歳のラオス人少年のケースである。この少年の兄は、1988年にジェフリーに性的暴行を加えられた被害者だったのだ。この事実に加え、さらに、みすみす少年をジェフリーの手に返した3人の警官が、先刻解決したつもりでいたゲイ同士の痴話喧嘩を笑い話のネタにしたのだが、たまたまテープレコーダーのスイッチがオンになっていたため、会話がしっかりと録音されていた。ジェフリーがラオス人少年殺害を自供後、このテープが外部に流出し、ラジオとテレビで放送され、ミルウォーキー警察は米国中から非難されることとなった。その後、この3人の警官に対し、職務怠慢のかどにつき懲戒免職処分が発表されたが、警察に対する怒りは収まらず、ミルウォーキー警察本部長フィリップ・アレオは世論からの全方位からの集中砲火にさらされたあげく、警察組合から部下を守らなかったとして不信任案を議決された。ミルウォーキーの黒人やアジア系住民からは、警官たちは明らかに白人のジェフリーの方を信用し、有色人種の少年の方を無視したと見なされた。ジェフリーの事件で、ミルウォーキーの人種間緊張が高まった。8月にはミルウォーキー市内で一連の事件の犠牲者の追悼集会が開かれ、その際、怒りで興奮した群衆による暴動が懸念されたが、ジェシー・ジャクソン師ら黒人運動指導者の働きかけにより、これは回避された。
続く・・・。
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213号室へ招待されたら生きては帰れない。- 2 -
【ジェフリー・ダーマー】- 2 -
Jeffrey Dahmer
アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。
その後、アメリカ陸軍への入隊手続きをとったジェフリーは、アラバマ州のフォート・マクレラン基地に配属となり、憲兵になるための訓練を受けるが挫折。テキサス州サンアントニオのフォート・サム・ヒューストン基地に転属を命ぜられ、そこで新たに衛生兵としての訓練を受ける。訓練が終了すると、旧西ドイツのバウムホルダーにある、駐独アメリカ軍第8歩兵師団68連隊第2大隊に配属された。入隊当初は勤務成績も良く、順調に昇進もしていたが、ドイツ勤務となり基地内の免税店で酒が安く買えるようになると再び酒浸りの日々を送るようになり、任務がこなせなくなったため、1981年に兵役満了を待たずして除隊となる。このとき、陸軍はジェフリーの将来に配慮して不名誉除隊にはせず、健康上の理由による名誉除隊とした。
なお、ドイツ駐留時代、バウムホルダー基地周辺で5件の未解決殺人事件(被害者のうち一人は女性)が発生している。ジェフリーはこれについて自白しておらず、犯人も不明のままだが、その手口からジェフリーの犯行だとする声が根強く残っている。
陸軍除隊後、ジェフリーはフロリダのリゾート地で日銭仕事をしながらぶらぶらしていたが、やがて帰郷するための交通費をライオネルに無心してオハイオへ舞い戻り、祖母の元に身を寄せることになる。
ここでも相変わらず酒浸りの生活は改まることはなく、学生の時と同じように血液銀行で頻繁に売血を繰り返したためブラックリストに載せられたり、バーで問題を起こしては警察の世話になったりしていたが、その一方、経済的な安定を得るためにミルウォーキーのアンブロシア・チョコレート社の工場作業員として就職し、家族を安心させるという面も見せた。
就職してほどなく、ミルウォーキーのゲイバーやクラブに通うようになったが、そこでも無愛想で孤独な一匹狼、という評判が立った。ジェフリーは目をつけた男に睡眠薬を混ぜた酒を飲ませるようになったが、暴行目的というよりは薬の量や薬効を調べるための実験に近かった。しかし、ある日、「クラブ・バス・ミルウォーキー」という店で飲み仲間の一人が意識を失って病院へ担ぎ込まれたため、同店から出入り禁止を言い渡され、それから間もない1986年9月8日、12歳の少年ふたりに自慰行為を見せたとして、1年間の保護観察処分を言い渡された。
- 第二の殺人 -
1987年9月15日、保護観察期間が終わったばかりのジェフリーは、ゲイバー「クラブ219」でダイナーの見習いコックである24歳の白人青年と出会い、ホテルで一夜をともにした。ところが翌朝、目が覚めると青年は口から血を流して死んでいた。のちのジェフリーの供述ではこのとき泥酔しており、一切の記憶はなく、ショックに打ちのめされたとしている。自分が絞殺したことは間違いなかったため、事態を打開するため、クローゼットに死体を隠すと、大急ぎでスーツケースを購入、ホテルに戻って死体を詰めこむと、タクシーで祖母の家へ戻り、地下室で解体。いくつかのビニール袋に分けてゴミ収集場所に出した。この事件に関して十分な物証を得られなかった警察は告発を断念している。
1988年1月16日、「クラブ219」近くのバス停でインディアンの血を引く少年に目をつけると、ビデオのモデルのアルバイトをしないかと持ちかけて、祖母の家に連れ込んだ。そこで睡眠薬入りの飲み物を飲ませて絞殺。解体したあとは酸で肉を溶かし、骨を砕いて周辺にばらまいた。
3月24日、「フェニックス」というゲイバーでヒスパニック系の青年を、やはりモデルにならないかと口説いて祖母の家に連れ込み、同様の手口で殺害している。以後、飲み物に溶かした睡眠薬で眠らせて殺害し、遺体を解体するというジェフリーのルーティンワークが確立した。ただ、このころになると、地下から漂ってくる異臭に、祖母はいいかげん耐えられなくなっていた。ライオネルに電話し、地下室を調べさせたところ、どす黒い血だまりのようなものをみつけてジェフリーを問い詰めたが、子供のときのように、動物の死骸を酸で溶かしていたと弁解するばかりだった。しかし、そろそろ一人立ちさせる頃合だと思ったライオネルは、ジェフリーに独立を促した。
1988年9月25日、ミルウォーキーの北24番街808番地のアパートに引っ越したジェフリーは、引っ越してから24時間も経たないうちに問題を起こしてしまった。
翌日、ラオス人少年を自室に連れこみ、睡眠薬を飲ませたのだ。しかし少年はなんとか逃げ出して警察に駆けこみ、ジェフリーは未成年に対する性的暴行のかどで逮捕、1週間拘置された後、保釈金を積んで仮釈放となった。ジェフリーの早期仮釈放申請について、父ライオネルは、治療プログラム終了前の息子の釈放に反対する手紙を書いたにも関わらず、ジェフリーは釈放されたのであった。
4ヶ月後の1989年1月30日、ジェフリーは少年に対する性的暴行の罪で有罪判決を受けたが、判決公判が4ヶ月後に開かれることになった。

判決日を待っていた3月25日、ゲイバー通いを再開していた彼は、レストランのマネージャーを務める26歳のハンサムな黒人青年と知り合った。祖母の家に連れ込むと、睡眠薬入りの飲み物、絞殺、解体、ゴミ袋に詰めるという陰惨なルーティンワークがいつものように繰り返された。
祖母の家で犯行に及んだのは、警察が自分のアパートを監視していると思い込んだからである。
このときジェフリーは、記念に頭蓋骨を取っておくことにした。
5月23日、判事はジェフリーに1年間の刑務所外労働と5年間の保護観察処分を言い渡した。この寛大な判決により、ジェフリーは日中は勤務先で働き、夜や週末は刑務所で過ごすことになった。
1990年3月、ジェフリーは仮釈放となり、新たに北25番街924号にあるアパートに居を構える。ここはミルウォーキー有数のスラム街である。のちに、「ザ・シュライン・オヴ・ジェフリー・ダーマー(ジェフリー・ダーマーの神殿)」として犯罪史に不朽の名を残すこととなるオックスフォード・アパートメント213号室である。
新居に移って間もない5月、ジェフリーは犯行を再開する。犠牲になったのはイリノイ州の刑務所を出所して間もない青年だった。6月24日にはイスラム風に頭にターバンを巻いた、「シャリフ」という愛称で親しまれたゲイの青年がジェフリーのルーティンワークの素材になった。7月にヒスパニック系の少年に手を出して失敗、危うく殺人が発覚しそうになったため、約2ヶ月の自粛期間を置いて9月3日に行なわれた殺人は、ジェフリーの犯行に新機軸を打ちたてることとなる。
ミルウォーキーの本屋の前で出会ったダンサーの黒人青年は、ジェフリー好みの筋肉質なハンサムな男だった。いつもの手際でアパートへ連れ込み、睡眠薬を与えると2ヶ月間封印した破壊衝動を押さえきれなかったのか、喉を掻き切った。そして、いつものように解体しただけでは飽き足らず、食人行為におよんだのである。
さらに2週間後、行き当たりばったりで拾った23歳の黒人青年も、ダンサーと同じ運命をたどった。
続く・・・。
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