Do Androids Dream of Electric Sheep? -2-
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1972年、ディックは原稿や資料をカリフォルニア州立大学フラトン校の Special Collections Library に寄贈し、それが Philip K. Dick Science Fiction Collection として Pollak Library に収蔵されている。フラトン校でディックはSF作家の卵だったK・W・ジーター、ジェイムズ・P・ブレイロック、ティム・パワーズと親交している。ディック最後の長編は『ティモシー・アーチャーの転生』で、1982年、彼の死後に出版された。
《神秘体験》
1974年2月20日、ディックは親知らずを抜き、その際のチオペンタールの効果から回復しつつあった。追加の鎮痛剤の配達を受け取るためドアに応対に出ると、女性配達員が彼が "vesicle pisces" と呼ぶシンボルのペンダントを身につけていることに気づいた。この名称は彼が2つの関連するシンボルを混同していることに起因すると見られる。1つは2つの弧を描く線が交差して魚の形になっているイクトゥスで、初期キリスト教徒が秘密のシンボルとして用いたものである。もう1つは2つの円が交差した形の vesica piscis である。女性配達員が立ち去ると、ディックは奇妙な幻覚を体験し始めた。当初は鎮痛剤に起因するものと思われたが、何週間も幻覚が続いたためディックは鎮痛剤のせいだけではないと考えた。「私の心に超越的で理性的な精神が侵入するのを体験し、これまで正気でなかったのが突然正気になったかのように感じた」とディック自身がチャールズ・プラットに語っている。
1974年の2月から3月まで彼は一連の幻覚を体験し、これを "2-3-74"(1974年2月-3月の意)と名付けた。ディックによれば、最初はレーザービームと幾何学模様の幻覚が見え、時折イエス・キリストや古代ローマの幻影が見えたという。幻覚は長さと頻度が増していき、ディックは自分が「フィリップ・K・ディック」であると同時にローマ人に迫害された紀元1世紀のキリスト教徒「トーマス」でもあり、二重の人生を生きていると主張し始めた。ディックは自らの体験を宗教的に解釈しようとし始めた。彼はその「超越的な理性的精神」を "Zebra"、"God"、"VALIS" などと呼ぶようになる。彼はその体験をまず半自伝的小説『アルベマス』に書き、さらに『ヴァリス』、『聖なる侵入』、『ティモシー・アーチャーの転生』というヴァリス三部作を書いた。
あるときディックは預言者エリヤが乗り移ったと感じた。彼は『流れよ我が涙、と警官は言った』が自身が読んだことのない聖書の使徒行伝の物語を詳細化した改作だったと信じた。
《結婚と子供》
ディックは5回結婚し、2人の娘と1人の息子をもうけた。すべて離婚して解消されている。
1回目: 1948年5月、ジャネット・マーリンと結婚。6カ月後(1948年)に離婚
2回目: 1950年6月、クレオ・アポストロリデエスと結婚。1959年に離婚
3回目: 1959年4月、アン・ウィリアムズ・ルビンシュタインと結婚。1965年10月に離婚
娘: ローラ・アーチャー(1960年2月生)
4回目: 1966年6月、ナンシー・ハケットと結婚。1972年に離婚
娘: イゾルデ・フレイア・ディック(1967年3月生)
5回目: 1973年4月、レスリー・バスビーと結婚。1977年に離婚
息子: クリストファー・ケネス(1973年7月生)
《死》
1982年2月17日、インタビューの仕事を終えた後に視界の不良を訴え、翌日脳梗塞で意識不明となっているところを発見された。
搬送された病院で脳死と判定されてから、家族の判断で生命維持装置を外され、3月2日に亡くなった。
死後、父親が遺灰をコロラド州フォート・モーガンに持ち帰った。双子の妹が死んだ際、その墓にはディックの名も刻まれ、命日だけが空欄になっていた。ディックはその墓に妹と一緒に埋葬された。
自作の初映画化である『ブレードランナー』の公開直前であったが、完成版を観ることはなかった。
後にディックのファンにより姿を似せた遠隔制御式アンドロイドが製作された。このアンドロイドはサンディエゴ・コミコンでの『暗闇のスキャナー』映画化発表で壇上で披露された。2006年2月、アメリカウエスト航空の従業員がこのアンドロイドの頭部を紛失し、未だに見つかっていない。
《伝記》
ローレンス・スーチンの1989年の伝記『聖なる侵入 フィリップ・K・ディックの生涯』(Divine Invasions: A Life of Philip K. Dick 邦訳未) がディックの伝記の決定版とされている。
1993年にはフランス人作家エマニュエル・カレールが Je suis vivant et vous ・tes morts を出版。これが2004年 I Am Alive and You Are Dead: A Journey Into the Mind of Philip K. Dick として英語に翻訳され出版された。ディックの内面を描いた伝記的小説である。そのため、普通の伝記に見られる出典・脚注・索引などがない点が批判された。
脚本家で映画監督のジョン・アラン・サイモンはディックの小説『アルベマス』をベースとした伝記映画"Radio Free Albemuth"を製作した。
BBC Two は1994年にディックを扱ったドキュメンタリー Arena - Philip K Dick: A day in the afterlife を放送した。
他にも The Gospel According to Philip K. Dick(2001) や The Penultimate Truth About Philip K. Dick(2007) といったドキュメンタリー映画が製作されている。
《作風と作品》
ペンネーム
ディックはリチャード・フィリップス (Richard Phillips) とジャック・ダウランド (Jack Dowland) というペンネームを使って作品を発表したことがある。Fantastic Universe 誌1953年10月号に掲載された「生活必需品」はリチャード・フィリップス名義で掲載された。これは、「訪問者」という短編も同号に掲載されたためである。
「ぶざまなオルフェウス」という短編はジャック・ダウランド名義で発表された。これは、主人公が偉大なSF作家ジャック・ダウランドのミューズとして霊感を授けようとする話で、作中でジャック・ダウランドはフィリップ・K・ディックというペンネームで「ぶざまなオルフェウス」という短編を書いたことになっている。
"Dowland" という姓はルネサンス期の作曲家ジョン・ダウランドにちなんだもので、ジョン・ダウランドはディック作品で何度か言及されている。例えば『流れよ我が涙、と警官は言った』の題名はダウランドの曲『流れよ我が涙』を引用したものである。『聖なる侵入』に登場する有名歌手リンダ・フォックスはリンダ・ロンシュタットがモデルだが、彼女の歌う曲は全てジョン・ダウランド作曲とされている。
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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』-1-
Philip K. Dick
フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick, 1928年12月16日 - 1982年3月2日)は、アメリカのSF作家。


本名:フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick)
誕生:1928年12月16日 イリノイ州シカゴ
死没:1982年3月2日(53歳)カリフォルニア州サンタアナ
職業:SF作家
国籍:アメリカ合衆国
活動期間:1952年 - 1982年
ペンネーム:Richard Philips、
Jack Dowland
《代表作》
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『高い城の男』など
《主な受賞歴》
ヒューゴー賞、ネビュラ賞
デビュー作:『ウーブ身重く横たわる』
影響を受けたもの:ハイデッガー、フローベール、A・E・ヴァン・ヴォークト、ジェイムズ・ジョイス、バルザック、カント、マルセル・プルースト、カール・グスタフ・ユング、サミュエル・ベケット、ドストエフスキー、ジョン・スラデック、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ハーバート・ジョージ・ウェルズ
影響を与えたもの:テリー・ギリアム、ジャン・ボードリヤール、スラヴォイ・ジジェク、デヴィッド・クローネンバーグ、リチャード・リンクレイター、ウォシャウスキー兄弟、フレドリック・ジェイムソン、ロベルト・ボラーニョ、チャーリー・カウフマン、クリストファー・ノーラン
《概要》
ディックの小説は社会学的・政治的・形而上学的テーマを探究し、独占企業や独裁的政府や変性意識状態がよく登場する。後期の作品では、形而上学と神学への個人的興味を反映したテーマに集中している。しばしば個人的体験を作品に取り入れ、薬物乱用や偏執病・統合失調症や神秘体験が『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』といった作品に反映されている。
1963年、歴史改変SF『高い城の男』でヒューゴー賞 長編小説部門を受賞。
1975年、未知のパラレルワールドで目覚めた有名人を描いた『流れよ我が涙、と警官は言った』でジョン・W・キャンベル記念賞を受賞した。
1978年、『暗闇のスキャナー』で英国SF協会賞を受賞。ディックは、それらの作品について、「私は、私が愛する人々を、現実の世界ではなく、私の心が紡いだ虚構の世界に置いて描きたい。なぜなら、現実世界は、私の基準を満たしていないからだ。私は、作品の中で、宇宙を疑いさえする。私は、それが本物かどうかを強く疑い、我々全てが本物かどうかを強く疑う」と述べている。
ディックは、自らを "fictionalizing philosopher"(小説化する哲学者)と称していた。なお、philosopherは、哲学者以外に、冷静な人、理性的な人、思慮深い人などを指す言葉である。
44編の長編に加え(2010年1月現在)、ディックは約121編の短編小説を書いた。そして、そのほとんどがSF雑誌に掲載された。ディックは、作家になってからは、ほぼ常に貧乏だったが、死後になってから、彼の作品が『ブレードランナー』、『トータル・リコール』、『スキャナー・ダークリー』、『マイノリティ・リポート』といった映画になってヒットしている。『バルジョーでいこう!』(Confessions d'un Barjo )のような一般映画も、ディック作品を原作として生まれている。
「ブレードランナー」としてハリソン・フォード主演で映画化

「トータル・リコール」アーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化

「マイノリティ・レポート」トム・クルーズ主演で映画化

2005年、タイム誌が1923年以降の英米の小説ベスト100を掲載し、そこにはディックの『ユービック』も含まれていた。
2007年、ディックは、SF作家として初めて The Library of America series に収録されることになった。
ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムはアメリカSFを全面批判したが、ディックだけは称賛し「ペテン師に囲まれた幻視者」と彼を評している。ただし、後の1976年に「アメリカSF批判」の件でレムがアメリカSF作家協会から追放された「レム事件」が起きた際、ディックは「ポーランドで自分の作品が騙されて出版された」として、彼を猛烈に非難した。
《経歴》
-前半生-
ディックの父は、アメリカ合衆国農務省の役人だった。
1928年、イリノイ州シカゴにて二卵性双生児の一子として生まれる。双子の妹ジェイン・シャーロット(Jane Charlotte)は40日後に死去した。その死は、彼の作品、人間関係、人生にまで影響を与え、多くの作品に「幻影の双子」のモチーフが登場する原因となった。
その後、一家はサンフランシスコ・ベイエリアに引っ越した。ディックが5歳のとき、父はネバダ州リノに転勤になったが、母はついて行くのを嫌がり、結果として両親が離婚することになった。親権は母親が得た。母はワシントンD.C.に職を得て、そこにディックと共に引っ越した。ワシントンD.C.では、小学4年生まで過ごした。作文の成績は "C" だったが、教師は「物語を作ることへの興味と才能がある」と意見を記している。1938年7月、母と共にカリフォルニアに戻り、この頃からSFに興味を持ち始めた。ディックは、後に1940年に初めてSF雑誌というもの("Stirring Science Stories"という誌名だったという)を読んだと述べている。
バークレーの高校に入学した。アーシュラ・K・ル=グウィンとは同じ高校の同学年(1947年卒)だったが、当時は互いを知らなかった。高校卒業後にカリフォルニア大学バークレー校に進学してドイツ語を専攻したが、ROTCに参加するのが嫌で中退した。バークレーでは、詩人のロバート・ダンカンや詩人で言語学者のジャック・スパイサーと親交を結び、スパイサーはディックに火星人語のアイデアを与えている。ディック本人の言によれば、彼は1947年に KSMO というラジオ局でクラシック音楽番組の司会を務めていたという。
1948年から1952年まで、レコード店の店員として働いた。1955年、ディックとその2番目の妻であるクレオ・アポストロリデエスの前にFBIの捜査員が現れた。彼らは、クレオが社会主義者で左翼活動をしていたせいだと思い込んだ。2人はそのFBIエージェントに一時的に力を貸した。
《作家》
1950年代初期に執筆した処女作「市に虎声あらん」は、核実験やカルト宗教を題材にしたSFではない文学作品だったが、暴力描写などが原因で生前は出版社に拒否され、結局出版できたのは2007年であった。1951年に出版社に売れた最初の小説「ルーグ」も修正を指示され、雑誌に掲載できたのは1953年だった。この作品以降専業作家となり、商業誌に最初に作品が掲載されたのは1952年の「ウーブ身重く横たわる」である。1955年には長編『太陽クイズ(偶然世界)』が初めて売れた。1950年代はディックにとって最も貧しく苦しい時期で「図書館の本の延滞料すら払えなかった」という。SF短編を書いて糊口を凌いでいたが、出版できなかった処女作のような純文学を書くことを夢見ていた。この時期にジャンルに捕らわれないSF以外の長編をいくつか書いているが、注目を集めることはなく、1960年に「純文学の作家として成功するには20年から30年かかる」と書いている。しかし1963年1月、エージェントから売れなかった純文学作品を全て送り返され、純文学作家の夢が絶たれた。唯一生前に出版された純文学作品が『戦争が終り、世界の終りが始まった』である。
1963年、『高い城の男』でヒューゴー賞を受賞。SF界では天才として迎えられたが、エース・ブックスなどの原稿料の安いSF出版会社にしか相手にされなかったという面もある。その後も経済状態は好転しなかった。
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電話事業はじめました。
12月16日はグレゴリオ暦で年始から350日目(閏年では351日目)にあたり、年末まであと15日ある。
====12月16日の記念日===
【電話創業の日】
1890(明治23)年のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始した。
加入電話は東京155台・横浜44台で、女子7人・夜間専門の男子2人の交換手が対応した。
電信電話記念日 10月23日
(σ;¬_¬)σ電話?

移動電話犬ですか?
受話器取れます・・・?ヾ(--;)
【念仏の口止め】
正月の神様(年神様)は念仏が嫌いであるとして、この日にその年最後の念仏を行い、翌日から1月16日の「念仏の口明け」までは念仏を唱えないという風習。全国的なものではなく、また、かつて行われていた地方でも現在ではあまり行われていない。地域によって日が異なり、愛媛県喜多郡では12月16日、兵庫県美曩郡では12月11日などとなっている。
念仏の口明け 1月16日
南無阿弥陀仏・・・。南無阿弥陀仏・・・。
南無阿弥陀仏・・・。南無阿弥陀仏・・・。

我等は明日も明後日も念仏を唱えるのじゃ~ぁ!
【紙の記念日】
1875(明治8)年のこの日、東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始した。
抄紙会社は実業家・澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、王子製紙の前身となった。
【和解の日 [南アフリカ]】
元は1838年のこの日のブラッドリバーの戦いで白人(ブール人)が黒人のズールー族に勝利したことを記念した「誓いの日」であった。1994年にアパルトヘイトが廃止されたのに伴い、この日を白人と有色人種の「和解の日」とした。
【独立記念日 [カザフスタン]】
1991年のこの日、カザフスタンがソビエト連邦から独立した。
【ナショナルデー [バーレーン]】
1971年のこの日、中東のバーレーンがイギリスの保護国から独立した。
【戦勝記念日 [バングラデシュ]】
1971年のこの日、第三次印パ戦争でパキスタン軍が降伏し戦争が終結、パキスタンがバングラデシュの独立を承認した。
====毎月16日の記念日===
エコの日 [京都市]
閻魔の縁日
===12月10日~1月10日===
年末年始の輸送等に関する安全総点検
===12月15日~1月10日===
年末年始海上犯罪の一斉取締り
===12月15日~1月14日===
年末年始の食品等一斉取締り
===12月15日~1月15日===
年末年始無災害運動
===12月1日~12月28日===
食品・添加物等の年末一斉取締り
===10月1日~12月31日===
赤い羽根共同募金運動
===12月1日~12月31日===
大気汚染防止推進月間
脱スパイクタイヤ運動推進月間
地球温暖化防止月間
未成年者飲酒防止強調月間
歳末たすけあい運動,海外たすけあい運動
年末年始の防犯運動
====12月16日の出来事====
1477年(文明9年11月11日)
大内政弘が周防国に撤兵し、応仁の乱が事実上終結する。
1575年
チリ南部のバルディビア沖でマグニチュード8.8の地震発生。(バルディビア地震)
1916年
帝政ロシアで絶大な権力を行使した「怪僧」グリゴリー・ラスプーチンが暗殺(グレゴリオ暦12月29日)。
1707年(宝永4年11月23日)
富士山が噴火し、宝永山が出現する。
1773年
マサチューセッツ植民地・ボストンで、イギリス本国の政策に反発した現地植民地人が港に停泊中のイギリス船を襲撃しイギリス東インド会社の船荷の紅茶箱を海に投棄。(ボストン茶会事件)
1793年
フランス革命戦争: トゥーロン攻囲戦で砲兵中尉のナポレオンらがトゥーロンへの一斉攻撃を開始。
1809年
フランス皇帝ナポレオン1世が、子供が生まれないことを理由にジョゼフィーヌと離婚。
1811年
ニューマドリッド地震、マグニチュード7.5前後の地震が2回発生。翌年1月23、2月7日にもほぼ同規模の地震が発生した。
1890年
東京 - 横浜で日本初の電話交換業務を開始。
1936年
柴犬が天然記念物に指定。

1941年
呉海軍工廠で史上最大の戦艦「大和」が竣工。
バルジ作戦開始。ドイツ軍が西部戦線で戦車を大量に投入し反撃。翌年の米軍の大反撃により失敗。
1945年
A級戦犯容疑者としてGHQから出頭命令を受けていた近衛文麿元首相が服毒自殺。
1957年
東京23区のゴミを夢の島への埋め立て開始。
1960年
ユナイテッド航空のDC-8とトランスワールド航空のL-1049スーパーコンステレーションがニューヨーク上空で衝突して墜落、墜落地の住民を含めて134人が死亡。(1960年ニューヨーク空中衝突事故)
1988年
北海道の十勝岳が噴火。
1989年
ルーマニアのティミショアラでラースロー司教国外退去への抗議デモに対して治安部隊が発砲、ルーマニア革命の発火点となる。
1989年
中国民航機ハイジャック事件
1997年
テレビアニメ『ポケットモンスター』を見ていた人々がけいれんなどの症状を起こす。(ポケモンショック)
1998年
イラク武装解除問題: 米英軍が、国際連合の大量破壊兵器査察に非協力的としてイラクを空爆。
2011年
野田佳彦内閣総理大臣は、東京電力福島第1原子力発電所の原子炉が冷温停止状態(ステップ2)を達成し、いわゆる原発事故の「収束宣言」を行なった。
2012年
第46回衆議院議員総選挙の投開票が行われ、自由民主党が294議席を獲得し3年3ヶ月振りの政権復帰を決める。また敗れた民主党の野田佳彦内閣総理大臣は、敗北の責任を取り内閣総理大臣と民主党代表の辞意を表明した。
2012年
東京都知事選挙の投開票が行われ前東京都副知事の猪瀬直樹が当選した。
2015年
日本の最高裁判所大法廷において、夫婦別姓訴訟で選択的夫婦別姓を認めない民法の規定は合憲、再婚禁止期間訴訟で100日を超える女性の結婚禁止期間は違憲、とする判断がそれぞれなされた。
2018年
北海道札幌市豊平区でガス爆発事故。52人負傷。(札幌不動産仲介店舗ガス爆発事故)
2024年
アメリカのウィスコンシン州の州都マディソン郡にあるキリスト教系の私立学校で銃乱射事件が発生。10代の生徒1人と教師1人が死亡。6人が負傷した。容疑者とみられる17歳の女子生徒は警察が駆けつける頃には亡くなっていた。自殺とみられる。
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